第3話 貴婦人の告白(2)
クレイドが本題の演奏会の話を持ち出すと、イルスァヴォン男爵は「それは是非やりましょう」と迷いのない返答をした。
続いて、アンドレとマリアムも申し出る。
「兄の罪を許すわけにはいきません。私は今の自分にできることなら何でもやります」
「右に同じです。私も自分の心の赴くままに参加させていただきます」
二人の言葉を聞いて、クレイドはほっと胸を撫で下ろすと、リェティーと顔を見合わせて、少しだけ頬をゆるめた。
「……念のために、この作戦について確認したいことがあるのだが」
イルスァヴォン男爵はそう言った。
まず最初に、男爵はこの作戦の発案者は誰かと訊いた。
これはクレイドも想定済みの質問であり、迷うことなく「友人のオベールという男性」だと答えた。
その名について、レオンスは人を騙すための偽名ではなく、自分を指す名前であることに間違いはないと言っていたからだ。
「どこかで聞いたことのある名前ですね」
そうつぶやいたのはマリアムだった。
クレイドは一瞬不安になり眉を寄せそうになったが、レオンスなら通り名を幾つ持っていても不思議ではないだろうと思い直し、肩の力を抜く。
そこで、アンドレが重々しく口を開いた。
「……失礼ながら、私からも一つよろしいでしょうか。……その、姉を救出するタイミングを見極めることは難しくありませんか」
慎重派らしいアンドレのもっともな疑問に、クレイドは苦笑する。
「ええ。ですが、公爵がこちらを無視できるとも言い切れるでしょうか」
「……ああ、なるほど。そういうことでしたか。ティフェーナの姿を見れば、間違いなく兄も動揺するはずですね」
想定外の反応を示すアンドレに、クレイドはやや首を傾げる。
「ティフェーナさんですか?」
「ええ。兄のティフェーナに対する愛情は本物ですから」
クレイドは母親の隣に退屈そうにちょこんと座るティフェーナを見た。さすがに会話の内容を聞いている様子はないが、どこか寂しそうに脚をバタつかせている。
マリアムは娘を愛おしそうに母の眼で見つめた。
「そうですね。イゼルダさんに代わる存在といえば、今ではリェティーとティフェーナだけでしょう」
クレイドはその意味を理解した。
ウェリックス公爵の動揺を誘うことが可能とされる二人の少女が、この作戦の陣営にいるということ――それは、公爵からミセス・ヴェルセーノを救うチャンスが大いにあるということだった。そこで真実を暴露できれば、築き上げられた公爵の狂気の歴史に終止符を打つことができる。
これほど運が良いことも、そうあるものではない。
ただ、その一方でクレイドには不安もあった。父親と一方的に縁を切られることになる娘ティフェーナのことである。
さすがにこの感情はお節介だろうかと思っていると、リェティーがクレイドの袖を静かに引っ張った。
クレイドがわずかにリェティーの方へ身体を傾けると、彼女は小さな声で耳打ちした。
「お兄さま。この子は私の従姉妹で、マリアム叔母さまの娘です。きっと強い子ですよ」
リェティーの口からそんな言葉が出てくるなど想像もしておらず、クレイドは驚いて一瞬固まったが、そのまま自然と頬を緩ませた。
クレイドの方からもマリアムとアンドレに聞きたいことがあったのだが、それを口に出すことには躊躇いを感じていた。
なぜなら、それを知れば後悔するかもしれず、他方、今ここで聞いておかなければ、終生知ることはないとも思ったからである。
「クレイドくん、何か気になることがあるのかね」
唐突に男爵に見破られてしまい、クレイドは下を向いて視線を泳がせた。
これもチャンスだと思えば、聞いた方が良いことくらい分かっていた。作戦遂行にとっても意味のあることなのだから。
「……すみません。その、もしアシル・ウェリックスとイゼルダ・ヴェルセーノの関係について知っていることがあれば、何か教えていただけませんか」
マリアムはアンドレと顔を見合わせて驚いたように目をぱちくりと見開いた。
マリアムの首がゆっくりと項垂れていく。
「まず先に誤解がないようお伝えします。私が知っているのはアシルから聞いた情報だけです。偏見があるかもしれませんが、それでも構わないのでしたら」
「……もちろんです」
「分かりました。……正直、私はその話を墓場まで持っていかなければならないと思っていたのです。私もあなたが訊いてくれたことに感謝しなければなりませんね」
マリエルはどこか救われたように息をついた。
「…… イゼルダさんとアシルは異母姉弟でした。アシルが8つの時、7つ年上の姉イゼルダさんが家を出たそうです。前妻の子だったイゼルダさんは、屋敷に居づらかったのだそうです。15歳で決心して家出をしたあと、街の肉屋でひっそりと働いていました。屋敷の人間は皆、イゼルダさんを連れ戻そうとしたらしいですが、誰もその肉屋を見つけられなかったそうです。ただ一人、お姉さんを慕っていたアシルは、諦めずに一人で街に出掛けては姉を探し回っていたようです」
ここでアンドレが少しだけ補足する。
「姉イゼルダは、慕ってくる兄アシルのことを大切に思っていたのです。でも、私と兄の実母は、姉のことを異国の血を継ぐ者として嫌っていたのです」
イルスァヴォン男爵もこの話を真剣に聞いていた。
今のところアシル・ウェリックスの狂気が感じられないのが不気味ですらある。
「それから、アシルは姉を探し出しました。でも、姉の意向を尊重して、屋敷の人間には一切報告しませんでした。そのまま勝手に生活費などの面で資金補助を始めたそうです。その後、イゼルダさんはヴェルセーノ氏と結婚されましたが、その方は束縛の強い方で、イゼルダさんに暴力を振るったあと、不慮の事故で亡くなったと聞いています」
クレイドは息を飲んだ。
「本当に、事故だったんですか?」
「……私には何とも。全てはアシルから聞いた話なので、真実は本人しか知らないでしょうね」
クレイドは悪寒を覚えた。この話が本当なら、ミセス・ヴェルセーノが今でもヴェルセーノを名乗っていることに違和感を感じる。真実は闇に葬られたと言うべきだろうか。
クレイドは姿勢を正すと、視線をマリアムへ向けた。
「ウェリックス公爵は、姉のイゼルダ・ヴェルセーノにどんな罪を告知すると思いますか」
マリアムは瞳を伏せながら、顔を曇らせた。
「……私は、単純な話ではないように思うのです。死罪にはしないでしょう。ただ、自分の目の届く場所に永久的に監禁するかもしれません。心理的側面で束縛するために、わざと傷を負わせる可能性もないとは言い切れません」
隣に座るリェティーの恐怖の感情がクレイドにまで伝わってきた。
誰よりも姉を慕っておきながら、そんなことをするなど正気を疑うが、それこそがアシル・ウェリックスという人物なのである。
***
男爵らとの交渉及び打ち合わせを終えた後、クレイドはリェティーとともにミセス・ヴェルセーノの家へ向かっていた。
道すがら、リェティーは懐中時計で時刻を確認する。
「まだ正午までに約二時間もあります。最近は日暮れも遅いので、日没までには九時間もありますね」
時間を細やかに把握できることは非常にありがたいことであった。刻々と時は過ぎていくものの、今のところ順調といえるだろう。
「……きっと、うまくいくよ」
クレイドは内心に不安を隠しながら、リェティーに笑顔を向けた。
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