第2話 再会(1)

 人々が慌ただしく活動を始める様子を横目で見ながら、クレイドはリェティーを連れてイルスァヴォン男爵邸の門前に立っていた。

 作戦決行日である本日、演奏会で男爵の協力を得るためであった。

 だが、ルーバンの港で男爵と別れてから数日が経過している中、事前に面会の約束を取り付けているわけでもなく、ましてや彼らが既にスベーニュへ帰還しているかどうかすら分からない状況である。


 協力を得られる確証がない中で、なぜわざわざ協力を要請することにしたのか。

 それは、昨晩の協力者選定の作戦会議まで遡る。

 妙案がない状況で、クレイドは苦肉の思いでイルスァヴォン男爵の協力を得てはどうかと提案した。

 すると、レオンスは頭からすっぽり抜けていたを思い出したかのようで、笑みを浮かべてこう言ったのだ。

「イルスァヴォン男爵の協力は作戦を成功させるための絶対条件じゃない。ただ、うまくいけば何にも勝る価値がある」

 この言葉がイルスァヴォン男爵に協力要請をおこなう最終決定打となった。

 レオンスがその意味について深く語ることはなかったが、クレイドは積み重ねた信頼関係からその言葉を信用するに至った。

 そして、真正面から男爵に協力要請をすることにしたのである。



 リェティーの緊張を隣で感じていたクレイドは、わずかに首を傾げて「大丈夫?」と声をかけた。

 リェティーは返事をして大きくうなずく。

 クレイドの瞳に映ったその姿は清廉として凛々しく、それゆえに寂しい気持ちを彷彿させた。


 もっと他人を頼っていい年頃の少女が、どうしてここまで追い詰められなければならないのか。そう思うとやるせなさが増すばかりで、正面を向く少女のあどけない横顔を見て、クレイドは強く誓った。


 ――平和な日常を、必ず手に入れてみせる。



 不意に、背後に近づいてくる馬の蹄の音を聞いて、クレイドは慌てて振り返った。

 馬の鳴き声とともに、黒一色に包まれた馬車が動きを止めた。

 クレイドは咄嗟にリェティーを庇うように立ち塞がる。


 中から姿を現したのは、貴族の女性とその娘と思しき幼い少女。少女は女性の背後に隠れるように立っていた。

 女性の立ち振る舞いには気品が漂っていたが、くすんだ青緑の洋服に身を包むその姿は違和感を放っていた。

 あえて似合わない服を纏っているようにも見えて、クレイドは警戒しながら後ずさる。


 女性は熱が失せたような表情でクレイドへ歩み寄ると、抑揚のない声で訊いた。


「何をされているのですか? イルスァヴォン男爵邸に御用ですか?」


 まるで誰に話しかけているかも分からないような、冷めた第一声であった。

 単純に不審がられているだけかもしれないと思い直して、クレイドも平然を装って応じた。


「ええ、用件があって来ました」


 重要な用件なのだが、この状況ではどう考えても自分の用件が後回しになることは想像に難くない。男爵には先約がいたのだと割り切り、ここは縁がなかったと身を引くしかないか――。


 その時、クレイドの陰からリェティーがひょっこりと顔を覗かせた。

 クレイドはリェティーと顔を見合わせると、その親子も互いに不思議そうに顔を見合わせる。

 そして、親子の視線が再びクレイドとリェティーに向けられると、二人は同時に声を発した。


「もしかして、クレイド?」

「あなたは、リェティー?」


 クレイドの名を呼んだ少女を、クレイドは時が止まったように目を丸くして見つめた。この見覚えのある顔は間違いない、ウェリックス公爵の娘ティフェーナだ。ということは――クレイドは少女の横に立つ細身の女性に視線を向ける。今日は風貌こそ地味ではあるが、彼女はティフェーナの母親、つまりウェリックス公爵夫人で間違いない。


 だが、クレイドはそれすらも上回るほどに気にかかることがあった。

 夫人が腰をかがめてリェティーに微笑みを向けているのである。


「覚えてる? 私はあなたのお母さん――エリーズの妹、マリアムよ」


 クレイドは顔から血の気が一気に消え失せて、途端に感じた寒気に身震いした。

 リェティーを見たところ、彼女は表情を変えることなく大きな瞳でマリアムの顔をじっと見据えている。


 この状況が宜しくないであろうことはすぐに察しがついた。

 クレイドは左腕を前に出して、リェティーを後ろに引き下がるよう促した。

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