第5話 演奏会と告示(1)

 クレイドはロディールやリェティーと共に広場へと到着していた。

 日没までもう少し時間があるが、街の人々は少しずつ集まり始めている。

 ウェリックス公爵の告知は事前に周知されていないため、彼らの目的はおそらく演奏会の方なのだ。


 クレイドを特に驚かせたのは、公爵夫人マリエルとその娘ティフェーナがお付きの従者とともに、誰よりも早く広場へ到着していたことであった。

 二人はイルスァヴォン男爵邸からウェリックス公爵邸に戻った後、楽器や荷物を持って広場に直接やってきたのだ。


 マリアムいわく、本日は朝から公爵が慌ただしくしており、夫人や娘に目をくれることもなく、軟禁状態の姉イゼルダ・ヴェルセーノと一日を過ごしていたという。

 これから始まる告示については共有されたものの、その程度であり、二人は実際にはない予定を伝えて屋敷を出たのだ。



 ほどなくして、十数名からなる市民楽団が到着した。

 楽団の主席トランペッターはロディールの父であるが、クレイドが彼を遠くから見た印象は、おおよそ想像どおりで、ロディールに似た風貌をしていた。実に頼り甲斐のありそうな男であった。



 最後に到着したのはイルスァヴォン男爵とアンドレであったが、クレイドに対して誰よりも気遣う声をかけてくれたのは、この二人だった。


 クレイドは今回の協力に対するお礼の言葉を、時間が許す限りすべての人に伝えてまわった。


 それぞれが自らの担当楽器を持って音出しを始めたころ、リェティーが懐中時計の時刻をクレイドに見せた。


「お兄さま、もう少しで日が沈み始めます」


「いよいよ始まるわけだね……」


 完全に日が暮れてからでは、ランタンの明かりが灯ったとしても、視界は薄暗闇に阻まれてしまう。

 つまり、今がベストタイミングであり、公爵もおそらく同じことを考えているだろう。

 


 街のどこからか楽器の音が聞こえ始めた。

 なかでもトランペットの音がいきり立てているように感じて、クレイドは不意に表情を曇らせる。

 おそらく事情を知らない街の人々は、何ごとかと驚いて家から飛び出ていることだろう。


 クレイドはロディールの父に頭を下げた。

「それでは、予定どおりお願いします。合図をよろしくお願いいたします」


 ロディールの父がにっと笑みを見せると、大きな手でクレイドの右肩をがっしりと掴んだ。


「心配するな。いつも息子と娘が世話になってる礼だ」


 ロディールの父が先頭に立ってトランペットを構えると、ばらばらと鳴っていた楽器の音が一斉に鳴り止んだ。



 無音となった空気中に、トランペットの抜き立つ音が、滲んだ空を突き破るように鳴り響いた。



 ほどなくして、広場の一角で穏やかな演奏会が始まった。


 ミセス・ヴェルセーノを救うことが第一の目的であるが、多彩な楽器が奏でるハーモニーは、ここにいる全ての人々に癒しを与えたいという、音楽を愛する者たちの純粋な願いが込められていた。


 リェティーはマリアムやティフェーナと並んで演奏メンバーの一員に加わっており、緊張した様子で演奏に参加している。


 一方で、クレイドは演奏に加わることをせず、演奏集団の後方の木陰にロディールと並んで立っていた。

 人々の動きなど、変化していく広場の様子をじっと窺っていたのである。


 公爵家の専属トランペッターが広場の入口に近づきながら大道芸人のように踊り吹きしている姿が見えて、クレイドはじっと目を凝らした。集まる大衆に眼前の景色を遮られてしまい、やむを得ずベンチの上に立つ。


 見えたものは、なんとも異様な光景であった。

 人々を広場へ誘う先導師に続いて、隊列を成した騎士や楽師、馬車が連なっているのだ。


 トランペッターが広場の敷地内に足を踏み入れた瞬間、唐突に彼らの演奏がぴたりと鳴り止んだ。

 今聞こえているのは、反公爵派の演奏のみである。


 クレイドは公爵らの後方の隊列に視線を移した。

「ロディール、演奏をしばらく続けるように伝えてくれないか」

「おう。了解」

 ロディールの返答を聞いたあと、クレイドは睨むように馬車から降り始めたウェリックス公爵の姿を見た。


 公爵は前後左右を騎士に囲まれた状態で、広場の真ん中を堂々と歩き始める。

 その後ろには、ミセス・ヴェルセーノが続いていた。


 公爵らが広場の中心部まで進むと、公爵とミセス・ヴェルセーノが噴水前に立ち並んだ。数人の騎士がその両端の護りを固めているため、隙がないようにも見える。


 面前へと立たされたミセス・ヴェルセーノは、クレイドの想像以上に堂々としていた。

 彼女は集まった人々をぐるりと見回すと、鳴り止まない楽器の音が聞こえる方向を見て視線をとめた。



 ロディールが指示を済ませて戻って来ると、クレイドは状況を共有した。

「……ミセス・ヴェルセーノは俺たちに気がついたかもしれない」

「そうか。あの人は察しもいいし、案外、俺たちがやろうとしてることに気がつくかもしれないな」


 遠目から見えたウェリックス公爵は、騎士と何やら会話を交わしているようであった。

 何となくこちらを睨んでいるようにも見えて、さすがに演奏を中断するよう命じられるのも時間の問題だと思い始める。


 広場に集まった大衆にはどよめきが生まれていた。

 一人ひとりの際立った声はクレイドの耳には届かなかったが、どよめきの要因はおそらく二つあり、クレイドは大方想像がついていた。


 一つ目は、滅多に姿を現さないウェリックス公爵を見て、純粋に人々が関心を抱いているのだ。どれほど悪どいことをしていようと、大衆の心を縛ることなどできないというのが現実なのだ。


 そして二つ目は、反公爵派が演奏を一向に止めようとしないため、人々は混乱し始めているのだろう。相容れない二つの集会が、同時に同じ場所で開かれているのだから当然なのだ。


 クレイドがもっとも不安なことは、公爵の持つオーラに大衆が流されてしまうことであった。

 それだけは何としても避けたい。




「この度は、お集まりいただき感謝する! 私がウェリックスであり、今、隣に立つのが私の実の姉、イゼルダだ」



 ウェリックス公爵の演説が始まり、クレイドは顔を強張らせてロディールを見た。

 ロディールも同じような表情でクレイドを見返して、口を開く。

「俺たちの演奏は奴にとっては邪魔なはずだ。公爵はなんで止めようとしないんだ? 無視してるのか?」

「……ああ。このままじゃ、うまく隙を作り出せない。それに、俺たちも公爵の言葉が聞き取れない状況なのはまずい……」

「くそ。このままじゃ、自分の妻子が反公爵派にいることすら気がつかないままってことか。どうやって隙を作る? レオンスさんの奇策は関係なかったのか?」

 ロディールは苦々しい表情でウェリックス公爵を睨んだ。

「さあね。だけど、公爵に好き勝手喋らせるわけにはいかないし、最後の手段は俺が捨て身で乗り込むしか――」

「ちょっと待て、クレイド。この状況で行くのは危険すぎる。もう少し様子を見る時間ならあるだろ?」

 ロディールに諭されながらも、クレイドは不安な表情を滲ませていた。

「正直、俺は時間が惜しい。……それなら、奴の指示を待つ前に、自分たちでこの演奏を止めたい。公爵が無関心を貫くなら、こっちから行動を起こすしかない」

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