第4話 奇策(2)
「あの、すみません!」
外から扉をドンドンと叩く音が聞こえて、クレイドは驚いて後方を振り返った。
この声の主はアルディスだ、と瞬間的に察知する。昨日まで行動を共にしていた青年の声を間違えることはさすがにないだろう。
クレイドが扉を開けて出迎えると、アルディスが半分に折り畳んだ羊皮紙を差し出した。
「手紙、預かってきたよ」
クレイドは怪訝そうな顔で訊ねた。
「待って。これ、誰から?」
「レオンスさんからだよ」
その言葉を聞いた瞬間、クレイドの表情は驚きに変わり、一転して不満げに眉を寄せた。
「アルディス。レオンスさんから何か伝言はなかったか?」
「え? い、いいや。手紙の内容が全てだからって……」
クレイドは隠すことなく顔をしかめると、その羊皮紙を開いた。
その中身は少ない文字を書き連ねただけの文章で、あまり手紙の体裁を保っていなかった。
だが、レオンスがこれほど綺麗な文字を書けたという事実に、クレイドは少しだけ驚いていた。
『親愛なるスベーニュの友人たちへ。
これからアルマンの知人に会いに行ってきます。
皆さんの今宵の演奏会は必ず成功することでしょう。
吉報をお楽しみに。
レオンス・
クレイドは手紙に視線を落としたまま、複雑な気持ちで立ち尽くしていた。その感情は、怒りでも、驚きでも、悲しみでもない。
ただ純粋に、この手紙が意味していることが何なのか、理解ができなかったのである。
――アルマンの知人に? 今から?
どう考えても間に合うはずがないのだ。アルディスの叔父の船に乗ったとしても、せいぜいルーバンの港に到着するのが精一杯では――。
――ん、アルディスの叔父?
ふと、昨日、アルディスの叔父の船を降りたあとにレオンスがとった不可解な行動を思い出した。
さすがに少し気の毒ではあるが、もしかすると本当にアルディスの叔父が協力しているのではないだろうか。
そして、レオンスは既にこうなることを見越していたのではないだろうか。
「お兄さま、何かあったんでしょうか……?」
部屋の中からリェティーの心配そうな声が聞こえて、クレイドは「どうしよう」とつぶやいた。
この状況を、ロディールやリェティーにどう伝えれば良いのか思考が及ばない。
今はレオンスからこの手紙を直接受け取ったアルディスだけが頼りなのだ。
「レオンスさんは本当に何も言ってなかった?」
クレイドはもう一度訊いた。
すると、アルディスはどこか引きつった表情で、苦しそうに視線を逸らしたのである。
「……いや、その。俺も本当に詳しいことは知らないんだ。でも、まあ、奇策を実行するとは言ってたよ? クレイドも聞いてはいるだろうけど。それに、演奏会は絶対に成功するから大丈夫だって」
ロディールが後方からゆっくりと近づいてきて、クレイドの横に並んだ。
視線を向けられたアルディスは、軽く頭を下げた。
「こんにちは、ロディールさん」
「ああ、お疲れ様。今さっき、奇策って言ったか?」
「ええ、まあ」
ロディールがクレイドを急かすように見る。
「そうか。……クレイド、早くその手紙の内容を教えてくれ」
クレイドは数秒だけ目を泳がせたあと、手元の手紙をそのままロディールに渡した。一言だけ添えて。
「……レオンスさんはこれからアルマンの知人に会いに行くらしい」
「アルマン⁈」
ロディールが声を荒げたため、リェティーもバタバタと駆け寄ってくる。
彼女は驚愕した表情でクレイドを見上げた。
「こ、これからアルマンですか⁈」
二人の視線の圧力を受けたクレイドは、背を少しだけ反らして苦笑する。
「……そ、そうらしい。手紙の内容的に、スベーニュに戻る気はないんだと思う」
ロディールの不安に満ちた双眼が向けられた。
「アルマンに今日中にたどり着くことだって難しいだろ?」
三人の様子を少し窺っていたアルディスが、控えめにそろりと右手を挙げた。
「あ、あの。実は、方法が一つだけあって。……今、俺の叔父がレオンスさんをルーバン地方に送り届けている途中なんです。叔父なら夕刻までにはルーバンに着くと思います」
クレイドは自分の予想が正しかったと知り、そうと聞けば、責任の半分は自分にもあるように思えてならなかった。
「アルディス、本当に申し訳ない。さすがに今度お詫びするよ」
「気にしないでいいよ。叔父さん、そういうの楽しめるタイプだから。……それより、レオンスさんはうちの店の鳩を一羽連れて行ったんだけどさ」
突然の話題転換に、クレイドはぽかんとする。
鳩といえば、帰路の船に同乗していたあの鳩のことが思い浮かんだ。
「あ、いや、俺も詳しいことは知らないんだ。でも、彼が何か計画しているのは間違いないと思って」
「……分かった、ありがとう」
「あ、そうだ」
帰り際にアルディスが口を開いた。
「これ、ロディールさんに。お金の余剰金です」
彼が鞄から取り出したのは大判の布袋で、中から大量の硬貨がぶつかり合う音が聞こえてくる。
当然、ロディールはこれに見覚えがあった。
だが、それを受け取ったものの、中身が減っているようには感じられなかったのである。
「こんなに余るはずないよな……?」
「いえ、大丈夫ですよ。必要分はいただきましたから」
アルディスはにっこりと笑った。
ロディールはわずかに眉を寄せながら、「まあ、わかった」とだけ言った。
クレイドが扉の外までアルディスを見送ったあと、くるりと振り返ると、不満そうな顔でロディールが立っていた。
「レオンスさんは黙っていなくなったってことだよな? それはさすがにどうかと思うんだが……」
ロディールの言い分はもっともであり、それはクレイドも否定するつもりはなかった。
「気持ちはわかる。レオンスさんが何をするつもりなのかは俺にも分からないけど、何か絶対に理由はあるはずなんだ。……だから、この場で俺たちは予定どおりやるしかない。きっと、うまくいく」
ロディールは仕方がなさそうにうなずいた。
部屋に戻ると、リビングのテーブル上にレオンスからの手紙を広げて置いた。
クレイドは使用予定のヴァイオリンのメンテナンスを行うため、場所を移動する。
手紙に目を落としていたロディールが、ふと口を開いた。
「そういえば、レオンスさんの名前。オベールってもしかして本名だったのか?」
クレイドはロディールの方を振り向く。
「ああ、どうやら手紙を見る限りそんな気はする」
「そりゃあ、お見それするよ。名前すらも使うべきタイミングをちゃんと見計らっているってわけか。本当に策士だな、あの人」
「正直、敵にはしたくないなって思うよ」
「同感だ」
クレイドはそのまま視線をやや下方に向ける。
たった今、リビングの椅子に立てかけてある見慣れないヴァイオリンの存在に気がついたのだ。
「そのヴァイオリンはどこから持ってきたんだ?」
「これか? イゼルダさんの家に使われていないヴァイオリンがあったんだよ。これ弾こうかなあって。……いつ弦が切れてもおかしくないけどな」
ロディールが手に取ったヴァイオリンは、保管状況があまりよろしくなかったのか、埃もかぶり、本体についた傷も目立っていた。
クレイドはそれをロディールから受け取ると、ぐるりと見回す。
「これ父さんが作ったやつだよ、刻印がある。ミセス・ヴェルセーノは普段弾かないから、ヴァイオリンを持ってたなんて知らなかった。……ロディールは俺のを使ってくれ。これじゃ弾きにくいだろ?」
「いやいや、それはクレイドだって同じだろ」
「俺は弦楽器職人だ。専門は製作修理だけど、楽器の状態に左右されない程度には弾きこなせるさ。新しい弦も店から調達してきたばかりだし、今からでもそれなりに調整できる」
楽器の状態は音色を左右させることになる。
この場所では楽器を分解して修理することはできないが、不完全な状態の楽器を出来る限り良い状態にしてあげたいと思うのも、職人として当然なのだ。
だが、クレイドにはもう一つの理由があった。
父が製作したこの楽器に触れていると、父の想いや歴史がずっと繋がっているのだと思わせてくれるような、そんな気がしたからである。
まるで父が近くで守ってくれているような温かな気持ちに――。
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