第5話 策謀と実行(1)
路地に面したミセス・ヴェルセーノの家の前で、クレイドはレオンスと横に立ち並んだ。
その外観はいつもと変わらないはずなのに、まるで鬱蒼と生い茂る木々の中にひっそりと建つ家を彷彿させる。その異様な
クレイドは息を潜めながら裏口の扉を叩いてみるが、何度か同じことを繰り返しても応答はなかった。
やむを得ず主の許可なく扉の取っ手を捻ってみると、扉には施錠がされていないことに気がつく。
ロディールとリェティーが中にいるのだろうと予想していたクレイドだが、見たところ部屋の中は真暗闇で蝋燭一つ灯っていなかった。
ウェリックス公爵側の人間が潜んでいる可能性も想定して、二人は変装を解くことなく室内に足を踏み入れた。
レオンスは玄関先に置いてあったランタンを手探りで見つけると、目を凝らしながら火を灯した。
その瞬間、クレイドにとって馴染み深いミセス・ヴェルセーノの家の中が目の前に浮かび上がった。
荒らされた形跡が一切なかったため、それが尚のこと不気味である。
「これを見てどう思う?」
レオンスが訊いた。
クレイドは右手を顎に当てて、小さく唸る。
「きっとリェティーたちがいるはずです。隠れているとすれば、おそらく地下室。……俺も行ったことはありませんが」
クレイドはランタンを手に持って部屋の奥まで進むと、床に敷かれた正方形の木板を取り外した。
そこには、恰幅の良い男でも余裕で通れそうなほどの大穴が空いていた。そのまま地下へと階段が続いているようだ。
「こんなところに地下がねえ……」
レオンスが感心したようにつぶやく。
「行きましょう」
クレイドは先頭に立つと、闇に吸い込まれていく階段を一歩ずつ降り始めた。
冷気が下から吹き上がり、足元がひんやりとする。
だが、不思議と恐怖の感情はなかった。
一歩踏み込むたびに足音がカツンカツンと響く。
地下にわずかな光を感じて、クレイドはここに人がいることを確信した。
「誰だ?」
警戒心が高まった男性の声が、地下空間のどこからか反響して聞こえた。
クレイドはその聞き覚えのある声に目を開いて、残りの数段を駆け足で降りていく。
「ロディール?」
クレイドの問いかけに、相手方からも反応があった。
「もしかして、クレイドか?」
クレイドは暗闇をかき混ぜるようにランタンで辺りを照らすと、その声の主――ロディールが立っていた。
「今、もう少し明るくする」
ロディールはそう言って、地下室内の蝋燭に火を灯し始めた。
クレイドは床にランタンを置くと、全身に纏っていた変装を剥ぎ取る。
その瞬間、階段の死角からリェティーが飛び出してきてクレイドに駆け寄った。
「お兄さま……!!」
両手を広げて力いっぱいに抱きつくと、クレイドの腹部辺りに小さな顔をうずめた。
クレイドも不意に唇をぎゅっと閉じる。
怖かっただろう――そう思いながら、リェティーの小さく震える背中を静かにさすった。
「リェティー、遅くなって、ごめん。大変な思いをさせちゃって、本当にごめん……」
「……いえ。お兄さまを困らせてしまってすみません。会えたことがすごく嬉しくて」
リェティーは顔を上げると、にっこりと笑った。どこか強気にすら見える、泣きそうな笑顔で。
明るくなった地下室を見回すと、ここには椅子や机などの家具が揃っており、食料はないにしても、非常時のシェルターとして活用できるだけのスペースは十分にあった。
ロディールは複数の蝋燭に明かりを灯し終えると、話し合いができるようにと椅子を四脚向かい合わせに並べた。
ロディールは覇気のない瞳でクレイドを見る。
「どうして戻ってきた? ……って本当なら言いたいところだが、そうも言えない状況になっちまったんだ。……イゼルダさんが捕まった」
本当なら衝撃を受けるべきところだが、それを先に目撃していたクレイドは、せいぜい落ち着いたふりをするしかなかった。
「俺たちもさっき偶然見かけんだ。……それで、策を練りたいと思ってる。俺たちと同じくウェリックス公爵の被害者で、頭の切れる協力者がいるんだが――」
先ほどから一言も発していないレオンスは、怪しい変装を取って軽く会釈した。だがその表情は意外にも強張っており、視線も定まらず宙を泳いでいる。
「……名前はレオンス。期待されるのって、得意じゃないんだけどね」
どこか歯切れの悪い言い方に、ロディールが眉を寄せる。この反応はクレイドの想像どおりだった。ロディールがレオンスの第一印象を見て良いイメージを抱くとは思えなかったのだ。クレイド自身がそうであったように。
四人はそれぞれ椅子に腰掛けて、現状を共有することにした。
ミセス・ヴェルセーノがウェリックス公爵に連れて行かれることになった理由――それはウェリックス公爵によるほぼ確信的な行動が原因だったという。
本当ならば、今日の日没の鐘が鳴る頃にミセス・ヴェルセーノとウェリックス公爵が広場で待ち合わせをするはずだった。ところが、公爵が約束の時間を待たずしてミセス・ヴェルセーノの家にやって来たという。
そして、リェティーと顔を合わせた公爵は、態度を一変させたのだ。
ロディールの疲れ切った表情には影が落ちていた。
「奴は初めから疑っていたんだよ。でも、イゼルダさんがリェティーを匿ってる可能性を否定したくて、わざわざ約束の時間よりも前にやって来たんだ。さすがのイゼルダさんも、今日やって来るとは思ってなかったから、完全に丸腰状態だったわけだ。……奴は裏口から平然と入ってきやがった」
クレイドは、聞きたいこと、知りたいことが山ほどあった。だが、どれから聞けば良いのかすら分からず、考えるだけで頭が混乱しそうになる。
ロディールは話を続けた。
「イゼルダさんは、なぜ匿っていたことを黙っていたのか、と奴に追及された。……そして、誰も弁解できなかった」
そこまで言うと、虚な瞳でクレイドの顔をじっと見る。
覇気のないロディールの言葉が異様に重たく感じて、クレイドは小さく怯えるように眉をひそめた。
「な、何だ?」
「俺、知らなかったよ。全然気が付かなかった。奴の目的は、初めからリェティーだったんだな」
クレイドは一瞬呼吸を止めた。
既にレオンスとの会話のやり取りの中で概ね気づいていたが、ロディールの口からは聞きたくない言葉だった。
「今日の約束は全てなくなった。代わりに明日、イゼルダさんに課す刑罰を民衆の面前で告知するらしい。俺らの処遇はその後だとよ。……ただ、それまでの間は自由だとさ」
ロディールは肩をすくめると、そのまま脱力した。
クレイドは黙っていられず立ち上がり、反論する。
「刑罰ってなんだよ。それに、おかしいだろ? 普通なら、このまま俺たちが逃げるかもしれないって――」
クレイドは言いかけて、途端に口を手で塞いだ。
酔いが回ったような、最悪の気分に身体を震わせた。腰が抜けたように椅子に座る。
レオンスが「なるほどね」と口を挟んだ。
「つまり、俺たちを逃さないために、あえて今は放置しておいたわけだ。明日、イゼルダさんが民衆の面前で裏切り者として断罪されたらどうなる? 『この人が誘拐犯だ』って公爵の立場から告知されたらもう逃げ場はない。リェティーちゃんを保護しようとする人間も出てくるだろうし、誰もここには居られなくなるだろうね」
レオンスがリェティーにちらりと視線を向けた。
リェティーはその視線から逃れるようにクレイドの顔を見たので、ここは兄の出番だ、とクレイドはレオンスに厳しい視線を返した。
「レオンスさん、もっと他に言い方があるでしょう?」
「ごめんごめん」
軽く流すようなレオンスの謝罪に、ロディールがなんとも言えぬ顔をする。
「クレイドの言うことはもっともだが、レオンスさんの言葉が真実だろうな」
「ロディール! じゃあ、どうしろって……!」
「まあまあ、仲の良しのお二人さん。それなら奴より先に策を講じればいいさ。一応、俺にちょっとした策があるんだけど」
全員の視線がレオンスに向けられた。
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