第3話 “avec des cordes”

 船がスベーニュに到着した頃には、既に日は傾き始めていた。

 アルディスと彼の叔父に感謝の言葉を告げて、二人とはここで別れることになった。


 クレイドはレオンスとともに街中の方向へ歩き始めたとき、レオンスがふと立ち止まる。


「ごめん。俺、ちょっとアルディスと叔父さんに伝え忘れたことあった。クレイドは待ってて」


 そう言い残すと、クレイドの反応を待つことなく駆け足で港へ戻っていった。

 クレイドが遠くからその様子を見ていると、アルディスの叔父が船の甲板へと出てきた。

 アルディスは手に鳥籠を持って不思議そうに立ち尽くしている。


 アルディスと三人で何やら会話を交わし始めたが、当然ながらクレイドにはその内容は聞こえない。

 ただ、アルディスも彼の叔父も相当驚いているようだった。唯一クレイドの耳に届いた声が、叔父の「本当にやるのか?!」という言葉であった。アルディスも明らかに困った素振りを見せている。


 レオンスが何か無理を言っているのだろうということは容易に想像がついたが、クレイドはその様子をただ見守ることにした。

 それは単にレオンスに何かしらの意図があるのだろうと察したからである。


「大丈夫でしたか?」

 戻ってきたレオンスに問うと、彼は笑顔で「全然問題ないよ」とだけ答えた。

 そんなはずはないだろうが、ここではあえて深く掘り下げることはしなかった。



 目的地は弦楽器店“avec アヴェク des cordesコード”だ。

 空は漆黒へとまたたく間に移ろい変わり、ランタンの明かりが街中の至るところに浮かび始めていた。

 クレイドにとっては慣れ親しんだ街のはずが、足音一つ聞こえないスベーニュはやけに不気味に感じた。



 たどり着いた店には『closed』の看板がぶら下がっていた。

 施錠された扉をそっと開けると、店内は外と変わらぬほどの真暗闇。


 クレイドが慣れた足取りで店内を進み、ランタンに明かりを灯すと、柔らかな橙色を受けて部屋の内部が浮かび上がった。

 久しぶりに顔を合わせた作業机上は綺麗に片付いている。ロディールがやってくれたのだろう。


 クレイドが机に向かって座り、新しい弦を用意していると、店内をぐるりと見回していたレオンスが一言だけ呟いた。


「時間さえあれば、ゆっくり見たい場所だね」


 久しぶりのの反応に、クレイドはわずかに口元を緩めた。


「事が落ち着いたら、その時にはまた来てください。……今はまず楽器を見せてください、すぐに終わらせます」


 クレイドは腕まくりをして、レオンスからシトールを両手で受け取った。

 明かりの下に照らし出されたその撥弦はつげん楽器は、側面が滑らかな曲線を描き、木が持つ自然な色味が楽器全体に深みを出していた。

 演奏者によって使い込まれた楽器は、儚いながらにも美しい姿をしていた。


 ひと通り楽器の不調の有無を確認したクレイドは、机上で黙々と作業を始めた。


「さすが、手際がいいねえ」

「これが仕事ですから」


 クレイドが黙々とシトールの弦の張り替え行ったあと、二人は姿を隠すように黒い布で全身を包み込んだ。頭に深々とフードを被る。



 そして、“avecアヴェク des cordesコード”を出発した。

 リェティーをミセス・ヴェルセーノの家に連れて行った、あの日の夜とほぼ同じ恰好であり、これから向かう先もまた、あの日と同じミセス・ヴェルセーノの家だ。

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