第4話 帰途
アルマンの街で妹エリスと再会を果たしたクレイドは、荷物をまとめてクレマンス広場を出発していた。
往路で要した時間を考慮すると、バラッド村への到着は夕方頃になる見込みだ。
クレイドは妹と再会できたことで気が抜けたのか、その反動により疲労が全身を襲い始めていた。
一度立ち止まれば暫く動けそうにもないと思いつつも、クレイドはアルマンの入口近くのセントリアナ教会に差しかかると、ふと足を止めた。
そして、吸い込まれるように扉の中へ入った。
東の方角を向いた建物内部はやや薄暗く、他には誰もいない。
クレイドは教壇へと真っ直ぐに進むと、祭壇の前で今日までの感謝の祈りを捧げた。
そして、ひと休みすることもなく、セントリアナ教会をあとにした。
***
バラッド村に入ると、馬車が二台すれ違うことができる程度の一本道が続いていた。
道の右側には雄大な原野が広がり、左側には葡萄畑や民家がポツリポツリと見える。広がる青々とした畑に夕陽が落ちて、淡い橙が景色一面を見事に染め上げていた。
その美しい村の原風景に、クレイドは一度立ち止まって周囲を見回した。
大きく深呼吸をしてから、再び一本道を歩き始めた。
陽が沈んで辺りが薄暗くなると、村の家屋からランタンの明かりが灯り始めた。
そこから辺り一面が真暗闇になるまで、数分もかからなかった。
レオンスの酒場の所在地は分からないが、一本道ならこの道を進むしかないのだ。
夜こそ賑わう酒場なら、目印のように煌々と明かりが灯っているはず――クレイドがそんなことを考えていると、突然、どこからか
哀愁漂う短調なメロディーに、複雑な音の絡み。
闇に漂う余韻は、どこか不気味にすら思えた。
「……やあ」
声と同時に楽器の音が鳴り止んだ。聞き覚えのある声である。
「俺だよ。こっち、右側の方」
クレイドは指示されるがままに首を向けた。
目を凝らして見ると、道端に椅子を置いて座る男性の姿が目に入った。
「……もしかして、レオンスさんですか?」
「いやあ、待ってた甲斐あったよ」
クレイドは疲れもあってか目的地に辿り着くことしか考えておらず、景色が暗闇と化した今、周囲など一切目に入っていなかった。
声をかけられなければ、間違いなく通り過ぎていただろう。
「こんな場所で待っていたんですか?」
「まあ、暇だったからね」
「お店は?」
「マルクに任せてる」
「怒られませんか?」
「怠慢で怒られるかもねえ」
相変わらず飄々としたレオンスの態度に、クレイドは不思議と安心感を覚えた。
よく見ると、彼が座る椅子の下にはランタンが地面に無造作に置かれていて、揺らめく炎は既に消えかかっていた。これでは誰も気がつくことはないだろう。
「じゃあ行こうか。今日は宿でゆっくり休もう」
レオンスは椅子やランタンの片付けを始めた。
「お金を盗られてしまって、あまり持ち合わせがないんですけど……」
「え、それ大丈夫? 宿はともかく、帰りは?」
「一応、懐に別に入れていたお金があったので、商船になら乗れるかと。……それと、今朝、広場で妹に会いました」
レオンスは一瞬だけ身体の動きを止めると、ほっと息をついて安堵の表情を浮かべた。
「……それは良かった。君の努力と忍耐力、あとほんの少しの運が味方した結果だね」
「レオンスさんがいなければ、再会できませんでした。本当にありがとうございました」
クレイドが律儀に頭を下げると、レオンスは困ったように笑った。
「礼なんかいらないけどね。それより、妹さんはどうだった?」
クレイドは暗がりの地面と同化した自分の足元を見つめながら、妹エリスの顔を思い浮かべた。
「……成長を感じました。敵いませんね、妹には。ちゃんと向き合って話すことができました」
「そっか、それなら良かった。それが何よりだね」
レオンスの言葉は穏やかで、それでいてどこか宙に浮いたような空虚感があった。
クレイドは救われることのなかった彼の妹のことを考えると、返す言葉が思いつかなかった。
「レオンスだ! 帰ってきた!」
店に帰ってくると、マルクが嬉々とした声を上げて駆け寄ってきた。
店内にはマルクと数名の地元客の姿があった。
「ただいま。マルク、今日は祝いの方の準備だ」
レオンスはマルクの頭にポンと手を乗せて笑みを浮かべた。
クレイドはただ黙ってその場に突っ立っていた。
予想以上に気を遣わせていたことを知り、どこか居心地が悪く、恐縮する思いだった。
見かねたレオンスが、肩をすくめてみせる。
「君はもう少し喜んでもいいと思うけどね? それとも、他に何か悩みがあるの?」
クレイドは無言で視線を逸らした。
そう聞かれてしまうと、悩みはある。当然なのだ。ウェリックス公爵との件は何も解決していないのだから。
「まあ、祝いについては気にしなくていいよ。別に人を集めるわけじゃない。クレイドが地元に帰る前に、一緒に美味しいもの食べてジュースでも飲もうよってことだから」
――地元に、帰る……。
それは、また公爵に追われる日々が始まり、身を隠す生活が始まるということであった。
自由のないリェティーの生活も、変えてあげることができないままなのだ。
現実的な不安がクレイドの頭に沸々と浮かんだ。
そもそも自分の店“
また、もう一つだけ自らの中に予想外の感情があった。
レオンスという人物がようやく分かり始めた中で、この場所を去らなければならないことに、多少なりとも名残惜しさを感じていたのである。
――自分は今までなんと贅沢な夢を見ていたのだろうか。
今まで自由にアルマンの街やバレット村を歩いていたことに、急激に罪悪感の波が押し寄せてきていた。
――俺だけ、こんなにゆっくりしていて許されるのか? 元はと言えば、自分がみんなを巻き込んだんじゃないか……。
胸が波打つような感覚に気持ち悪さを感じて、その途端に足元がふらついた。
「……ねえ、大丈夫?」
心配するレオンスの声が聞こえたのを最後に、クレイドの耳から一切の音が途絶えた。
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