第2話 条件

 ミセス・ヴェルセーノは店の扉を開けて中へ入ると、店内に明かりを灯した。

 そこにはの訪問者――ウェリックス公爵の姿があった。


 少し眩しそうに目を細めて、彼は口を開いた。

「夜分に申し訳ない。姉上、今日はお願いがあって来たのだが」

 普段よりも声に覇気がないように感じて、ミセス・ヴェルセーノは不審げに目を細める。

「おや、私のような隠居にもできることがあると?」

「ああ、姉上じゃなきゃできないことだ。……つまりだ、人質を用意してはもらえないだろうか」

 という語句に反応して、ミセス・ヴェルセーノは鋭い眼光を公爵に向けた。

「なんだい、意図が分かるように話しておくれよ」


 公爵はこれ見よがしに肩をすくめると、ミセス・ヴェルセーノに歩み寄り、顔を至近距離まで近づけた。

 身長差もあり、その威圧感から見下されているような感覚があった。

 それでも彼は自分の弟――そう思って、ミセス・ヴェルセーノは凛として公爵の顔を見返した。


「単刀直入に頼むよ。……姉上とも親しいクレイド・ルギューフェというあの青年。前に話した花売り娘とも繋がっているらしい。その娘を、青年をおびき寄せるための人質にしたいのだ。孤児院で働き、青年とも親しい姉上なら、花売り娘の居場所くらい分かるのではないかと考えたのだが」


「悪いが、私は知らないよ。それに、クレイドを裏切るような真似はできないね」


 ミセス・ヴェルセーノは睨みをきかせながら言い放った。

 その圧力に公爵はわずかにたじろいだが、咳払いをして冷静さを取り繕う。


「……とにかく、三日だ。三日後までに花売り娘を見つけてほしい」

「わがままだこと。そんな娘より、代わりに私を人質にしたらどうだい? 不確実な情報を信じるより、私のほうがよほど人質としての価値はあると思うがね?」

「的を得てはいるが、私が姉上を人質にするなど――」

「不都合があるかい? ……じゃあこうしようじゃないか。娘が見つからなかったら、代わりに私を人質として連れて行くのはどうだい?」

 公爵は不服そうな表情を見せたまま、小さなため息をついた。

「……分かった。ならば三日後、教会の日没を知らせる鐘が鳴ったら――」

「場所は広場だよ。鐘が鳴る頃、広場の教会側で待ち合わせだ。それともう一つ、あんたに頼みたいことがあるんだがね」

 ミセス・ヴェルセーノは会話の主導権を握るため、相手に余計な口を挟むすきを与えないように会話を進める。

「もし私が人質になったときは、クレイドやその花売り娘には一切干渉しないことを約束しておくれ」

「姉上、それでは人質の意味がないのでは?」

「いいや? 私の生活拠点をウェリックスの屋敷に移すさ。これから、あんたは好きでもない街を出歩かずに済むんだ。良いじゃないか。……それとも、あんたにとって私の価値はその程度なのかい?」

 ウェリックス公爵は苦々しい顔で後ずさる。

「そ、そんなことは、断じてないが……」

 ミセス・ヴェルセーノは口元に笑みを浮かべた。

「迷うくらいなら、それで決まりとしようじゃないか。じゃあ、今日はもう帰っておくれ」


「待ってくれ、姉上。今、姉上は何をしていたんだ?」


 この質問が単なる雑談なのか、それとも何か意図を込めたものなのか、すぐに判断がつかなかった。


 ひとまず当たり障りのない言葉を返す。

「そりゃあ夕食の片付けさ。ああ、でも残念ながら、料理はもう全部なくなっちまったよ」

 公爵は目に見えて残念そうな顔をしながら、ミセス・ヴェルセーノの目をじっと見つめた。

「……そうか。また昔みたいに姉上の料理を食べることができる日を、楽しみにしているよ」

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