第6話 真相(1)

 クレイドは噴水の縁に腰掛けたまま、不意に夜空を見上げた。


 今にも消えてしまいそうな星々が広がっている。これらを見ていると、自分の苦悩など数秒にも満たない一瞬の出来事なのだろう――そんな気がした。


 明日の早朝、この路地を出て広場に戻ることにしよう。

 演奏で手元の資金を増やして、自分を待ってくれている人々の元へ帰らなければ。その先に、どんな闇が待ち受けていようと――。

 


 クレイドは楽器を抱えて瞳を閉ざした。

 この体勢では熟睡できる気はしなかったが、多少なりとも身体を休められれば十分だと思えた。



 ***



 早朝、広場の方向から聞こえてきた鐘の音でクレイドは目を覚ました。


 一晩中ほとんど寝付くことができなかったものの、時々睡魔に襲われながら、気がつくと朝を迎えていた。


 楽器を手に持ち、忘れ物がないことを確認すると、ゆっくりとした足取りで広場へ向かった。



 クレイドは広場の隅のベンチに腰を下ろした。

 ヴァイオリンをケースから取り出して、楽器のメンテナンスを始める。


「……あの、すみません」


 背後から女性の声が聞こえて、クレイドは楽器を構えたまま振り返った。


 どこか聞き覚えがあったその声の主は、昨夜エリスと共にいた女性であった。

 少し首を傾げると、女性の背後にはもう会えないであろうと思われたエリスの姿もある。


 クレイドは驚きのあまり身体を石のように硬直させた。


「突然なのですが、この楽器を見ていただけませんか?」


 女性が右手に持っていたのは、小型のヴァイオリンだった。

 クレイドは自分の楽器をベンチに置くと、それを受け取って見回した。

 軽く指で弦を弾いてみると音程が少しずれているものの、壊れているような部分は見当たらない。

 それよりも、クレイドはこの楽器に見覚えがあった。楽器本体に刻印された自分の名前を見つけて、懐かしさに少しだけ頬を緩ませた。


「調弦を、していただけませんか?」


 女性の言葉に、クレイドはやや困惑した表情を向けた。


「調弦、ですか?」


 調弦という要望には応えることは可能であったが、調弦ならば自分一人でもできるはずなのだ。

 そのためだけに二人はやって来たのだろうか、とクレイドは不思議でならなかった。


「……お、お願いします」


 エリスの声はどこか緊張感を帯びていた。昨日とは様子が違い、女性の背後に引っ付いて離れない。


「……分かりました」


 クレイドは客人の妹に向けて軽く頭を下げると、ベンチに座って楽器の点検から始めた。


 その楽器はクレイドが十代前半の頃に父に教わりながら作ったものであった。

 今改めて見ると手直ししたい部分が所々に見つかり、木の削り方の粗さや、ネックの形状も歪みが目立っていた。

 お世辞にも綺麗とは言い難く、そのような不完全な楽器をずっと持ってくれていたのかと思うと、クレイドは申し訳ない気持ちが込み上げてきた。


 楽器のサイズも今のエリスの身体には小さすぎる。

 それでも、これを長く大事に持っていてもらえたことが、兄として、職人として、ただ純粋に嬉しかった。

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