第3話 情報戦(4)

 目的地の野原に到着するより前に、ガサガサとした音が背後に近づくのを感じた。クレイドは警戒して足をピタリと止めた。


「――俺だよ」


 その姿は良く見えなかったが、声の主は確かにレオンスであった。想定よりも早い到着である。

 クレイドは張り詰めていた緊張がどっと解れて息を吐いた。

「だ、大丈夫?」

「こっちの台詞せりふです。さっきは本当にあり――」

「お礼は後でね。今はこのままアルマンに向かおう。眠くはない?」

「むしろ冴えてます」

 この状況下では、脳も睡眠を拒否していた。身の危険を感じているのだから、人間の本能として当然である。


 レオンスに指示されるがまま歩き続けていると、突然、行く手を阻む鬱蒼とした茂みが正面から消えた。

 暗闇のため景色は見えないが、目的地に着いたのだろう。


 レオンス曰く、ここは地元民しか知らない秘境の地とのことだ。

 二人はこの地からアルマンの街へ向かい、長い歴史を持つセントリアナ教会で一夜を明かすことにした。



 目が暗闇にだいぶ慣れてきた頃、周囲の建物の雰囲気ががらりと変化したことに気がついた。


「アルマンに到着だよ」

 レオンスの一言で、無事に着いたのだとクレイドはほっと胸を撫で下ろした。

 装飾と化した旧城門をくぐり、数十段の階段を慎重に登っていく。


 たどり着いた先の建物の前で立ち止まると、レオンスは扉を押し開けた。

 扉の軋み音が静まった建物内に反響する。薄暗い中でも蝋燭が灯り、昼夜関係なく人々を平等に迎え入れてくれる場所――セントリアナ教会である。

 壁や天井の装飾などは暗くて見ることはできないが、聖域と言われるこの空間では、クレイドも不思議と心が落ち着いた。


 左右に何列も並ぶ長椅子を見て、人々が祈りを捧げる姿を思い浮かべながら、クレイドはレオンスと並んで腰をかけた。


「……あの、質問してもいいですか?」

 クレイドは改まった様子で口を開いた。

「なあに?」

 予想外にレオンスの怠そうな声が返ってきて、さらに緊張感が抜ける。

「……公爵が俺を探していると分かったのに、嘘つきましたよね? 殺されるかもしれないと思わなかったんですか?」

 質問を受けたレオンスは困ったように笑った。

「あぁ、その話ね。まあ聞いてたかもしれないけど、あいつは誰よりも平気で嘘つくし、まともに応じたら、それこそ殺される。脅し文句なんかじゃない、本物の殺人だよ」

「だからって……」

 クレイドは不満そうに眉をひそめたが、レオンスは声を出して笑った。

「あはは。いやぁ、だって俺が本当のこと言っても二人とも殺されるかもしれないでしょ? それなら嘘ついて逃げた方が良くない?」


 このような境遇に置かれていなければ、クレイドは問答無用でその見解を否定していた。

 だが、この状況下では違うと言うこともできず、ただ沈黙するしかなかった。


 少しの間をおいて、クレイドは話題を変えた。

「……あの後、公爵はどうなったんですか?」

 あの後とは、クレイドが酒場を出発してからのことだ。公爵は演奏に耳を傾ける傍らで、レオンスが注いだワインを口にしたのだ。

 レオンスはにやりと笑った。

「しばらくは動けないだろうねえ」

「まさか、公爵のワインに何か入れて――」

「逆の発想だよ。騎士たちのワインにだけ薬を入れて眠らせたんだ。毒じゃない」

 クレイドは目をしばたたかせた。確かにそっちの発想はなかった、と素直に驚いた。

 睡眠薬を入れたワインをすぐに用意できるあたり、彼の店における客層もおおよそ窺い知れる。

「では、公爵以外は眠りに?」

「うん。まさか部下たちが薬で眠らされてるなんて思わないでしょ? 公爵自身は平気なわけだし、『情けない部下だ』って思うんじゃないかな」

「……そこまでやらなければ、あの公爵には対抗できないんですね」

 クレイドは心の声が漏れ出てしまっていた。正直、自分がレオンスと同じ状況に置かれたとしても、彼のようにできるとは到底思えなかった。


 数秒の無言のあと、クレイドが口を開いた。

「……あなたは店に残らなくても良かったんですか?」 

「まあね、マルクに任せてるし問題ない」

 レオンスは自信ありげに笑みを浮かべた。

「……じゃあ、今日はここで眠って、朝になったら予定通り情報収集しよう」

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