第1話 放浪楽師(2)
「お兄さん、随分と大きな荷物持ってるねえ。何が入ってるんだい?」
女性の視線はクレイドの持つ不恰好な荷物へと注がれた。
怪しい者だと勘違いされることだけは避けておきたい。
「……フィドルです。私は楽師でして」
咄嗟に、クレイドはヴァイオリンのことを別称フィドルとして説明した。名称についての明確な基準はないものの、民族的な楽曲を演奏する場合はヴァイオリンよりもフィドルと呼ぶ方が一般的である。
さらに、ここで言う楽師には、放浪楽師の意を含んでいた。いわゆる、演奏しながら旅をして生活をする者のことである。
「そりゃぜひ聴かせておくれ。旅人なんだろ?」
積極的に食いつかれて、クレイドはぎこちなく笑った。
「えぇ、そんな感じです」
苦し紛れではあるものの、言葉に出した以上、訂正はもう不可能だ。
色々と深掘されそうだと感じて、早くこの女性との会話が終わらないものかと、クレイドは切に願っていた。
ふと、前方から若い男性がこちらに向かって歩いて来る姿が見えて、これで話題を逸らせるか、とクレイドはわずかに期待を寄せた。
だが、その感情が不審感に変わったのは、姿を見てほんの数秒が経過したときだった。
男性は周囲の景色に馴染まない黒い外套を羽織り、村人とは思えぬほど小綺麗に身なりを整えていた。その異質な第一印象から、クレイドの脳内が拒否反応を起こした。
隣を歩く女性が「あらあ!」と声を上げて手を振った。
「レオンスじゃないか! 今、あんたのとこ向かってたんだよ!」
――この人の……⁈
ぎょっとしたようにクレイドが女性を見た。
レオンスと呼ばれた男性は貼り付けたような笑顔で手を振りながら、自分たちの目の前で足を止めた。どこか胡散臭さが抜けきらない笑顔である。
「これはこれは、アメリーさん。その子をうちの店に? じゃあ、後で戻るから先に行っててくれる?」
想像どおりの軽い口調で、クレイドは一層の不安を抱いた。そのうえ、年齢が若く見られているとはいえ、その子と言われると複雑な気分である。
「構わないけど、あんたこれから何しに行くのさ? 情報収集なら、もうとっくに船は出航したよ?」
第一村人であるアメリーの言葉に、レオンスはがっくりと肩を落とした。
「そうなの? じゃあ次は夕方か。……まあいいや、それならついでにその子を連れて帰るよ」
クレイドの表情が石のように固くなった。
「じゃあ、私は他の村人を呼んでくるかね」
当然、余所者のクレイドには二人の会話の意味など全く分からない。
「それじゃ、後はお願いしていい?」
「任せておきな」
アメリーがどんと胸を張って笑顔を見せた。
「さて。君、名前は?」
「……クレイドです」
余計な会話が続かないようにと、自らの情報については極力発信を控える。
「そう。俺はレオンス。んじゃ、行こうか」
クレイドは表情を引きつらせたまま、レオンスと横並びで歩き始めた。
しばらく進むと、道の両脇に白い天幕が連なり、その下で人々が店を出していた。果物や野菜、魚や肉などを購入する地元民らで賑わいを見せている。
「珍しい? 街出身なら当然かな」
興味深く周囲を見回すクレイドに、レオンスは求めてもいない反応を示した。
クレイドはゴホンと空咳をして視線を逸らす。
「なぜ、街出身だと?」
「見たら分かるよ。その荷物が楽器だということもね」
彼はそう言って笑ったが、一方のクレイドは顔をしかめた。
「そんな顔しないでよ。ほら、果物でも奢ってあげるから」
レオンスは市場の果物屋に颯爽と一人で向かった。
色鮮やかな果物を両腕に抱えながら小走りで戻って来ると、レオンスは厳選した葡萄一房をクレイドに押し付けた。
「これ食べたら機嫌直してくれる?」
機嫌を損ねているとかの問題ではないのだが――とクレイドは反応に困りながら、それを受け取った。
「あ、ありがとうございます」
クレイドは形式張った礼を述べる。
「律儀だねえ。疲れない?」
「……性格なので」
***
「店に到着だよ」
レオンスが左側に建つ木造二階建ての建築物を指で示した。煤けたような建物の背後には、青々とした草木が生い茂っている。ここが店だと言われなければ廃屋と勘違いしていたかもしれない。
「……お店、なんですよね?」
「うん、酒場を兼ねた宿屋だよ。夕方着の船なら、アルマンに行く途中で一泊する必要があるからね。案外需要はあるよ」
クレイドが建物内に足を踏み入れると、真っ先に果実の香りが鼻を抜けた。
全体をぐるりと見回すと、壁や床板の至るところに古い染みがあったが、空気中に漂う塵芥の類はそれほどないように感じた。
四人がけのテーブルと椅子が丁寧に整頓されていて、カウンターに並ぶワインボトルが来店客を待ち構えている。
クレイドは二階の部屋の案内を受けたあと、荷物と楽器を置いて手ぶらで一階の店内へ戻った。
レオンスは薄笑いを浮かべながら、適当に目に入った椅子に腰掛ける。先ほど購入したばかりの葡萄を一つ摘んで頬張った。
「で、君が望んでいる情報は?」
突然の質問に、クレイドははっと小さく息をのんだ。忘れかけていた緊張感が一気に跳ね上がって戻ってきた。
「どういうことです?」
「俺の仕事は宿屋、酒屋、情報屋」
「情報屋……?」
眉をひそめるクレイドに、レオンスは笑みを見せた。
「そう。情報を提供して、お金を得ることが仕事ね」
クレイドは反射的に、そろりと数歩後退した。
「ああ、安心して? 君からはお金を取らない。対価は演奏でいいよ。そのためにこれから村人が集まってくるからね」
――村人? なぜ?
クレイドはまったく思考が追いつかなかった。彼の言葉を聞いても、何も会話が繋がらないのだ。
「君は普通にしてればいいよ」
レオンスは楽天的に言うが、彼の言う普通の感覚がクレイドと同じである保証はない。――とはいえ、適当に言っているようにも見えないのである。
それなりに対話ができる相手ならば、こちらからも多少の歩み寄りが必要なのだろうか。
「……分かりました」
クレイドは、ただそれだけ言った。
すると、待ってましたと言わんばかりに、レオンスは不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ俺に何か質問してみて?」
相変わらずの胡散臭さが抜けないレオンスの態度に、クレイドは期待を込めずに質問をしてみる。
「アルマンに養子に出された少女の話、聞いたことありますか?」
実のところ、これが本題なのだが、ひとまず彼の情報屋としての実力を知りたいと思って訊ねてみた。
レオンスは適当に笑い流すようなことはせず、少しだけ間をおいて話し始めた。
「養子なのかは確認できてないけど、女の子がアルマンに移り住んだ話は聞いたことがあるよ。アルマンって、出て行く人は多いけど移住する人は珍しいからね。俺もまだ情報を得るのに苦労してた頃だけど」
予想外に、彼の態度は客人クレイドへ向けたものであった。
クレイドは無意識のうちに身を乗り出した。
「その話、もっと詳しく教えてもらえますか?」
「少女の話? 俺の話?」
「少女の方です」
クレイドは間髪入れずに答えた。
アルマンから出ていく人と聞いてリェティーのことが頭に過ぎったが、今はこの話題は禁句なのだと、クレイドは思考をそっと潜めた。
「何を知りたいの?」
「居場所を」
「ほぉ。これは単なる俺の興味だけど、理由は?」
「……妹なんです」
感情の薄そうなレオンスの瞳が少しだけ見開かれた。
「妹を探してるの?」
彼の質問に、クレイドは無言で頷いた。
「――アルマンに住んでる知り合いがいるんだけど、明日行ってみる?」
突然の提案に、クレイドは呆気にとられていた。
「な、なぜ、そこまで協力を?」
「これが仕事だって言ったでしょ」
レオンスは脳天気に笑った。
突如、店の扉が大きな物音とともに、無遠慮に開いた。
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