第2話 酒場のフィドラー

 来店者は村の畑仕事を終えた男たちであった。

 働き盛りで体力が有り余っているのか、盛大に声を上げながら、近くの椅子を見つけては散り散りに座る。


「レオンス、今日はなんだってな!」

「一日の締めにふさわしいやつを!」


「いらっしゃい、準備するからもう少し待ってね〜」

 レオンスが店のカウンターで何やら準備を始めたため、クレイドは空気と化したように隅の椅子に座った。

 男たちは先客の存在に気がつくと、興味深く近づいて取り囲んだ。


「小綺麗な身なりだなあ」

「この店は初めてか?」


 クレイドは会話の無用な展開を避けたいがために、無言のまま笑顔を取り繕って会釈した。


 レオンスの声がカウンター越しに届いた。

「勘弁してやってよ、この子は楽師さんで俺の客なんだ。対話するなら音楽で頼むよ」

「なるほど、噂の楽師だったか。じゃあ演奏を一番楽しみにしてるのはレオンスだったりしてな」

「まあ否定はしないけどねえ」


 無心になれ――そう自分に言い聞かせなければ、クレイドは耐えられそうになかった。彼らに悪意がないのなら、ここはなのだと受け入れるしかない。


「あ! アメリーさん!」

 来店者にレオンスが呼びかけた。

 アメリーはわき目も振らずカウンターに向かって進み、レオンスの前の椅子にどっしりと腰掛けた。

「どうだい、私の広報力は?」

「おかげさまで随分と稼げそうだよ」

「あんたも商売屋だねえ」

「そりゃあね。ただ、手伝いの子が来られなくてバタバタしてるんだ」

「手伝うかい?」

「アメリーさんに頼むわけにはいかないよ」


 店の中には次々と村人が押し寄せて来るため、あっという間に空席は埋まった。

 様々な会話が飛び交い、賑やかな雰囲気だ。これでもまだ素面しらふなのだから驚きである。


 クレイドは慣れない空気感に酔いそうになり、逃げるようにレオンスとアメリーのいるカウンター席へ向かった。

「なんか疲れてない?」

 レオンスが驚いた様子で問いかける。

 クレイドはアメリーの隣に重い腰を下ろした。 

「狭い場所に大勢の人が集まるなんて、馴れないもので……」

「今、店のこと侮辱――」

「してません」

 クレイドは即答する。が、少し誤解を与える言い方だったかもしれないと心中で反省した。


「それより、何か手伝いましょうか? 俺は酒も飲みませんし」

「いや、でもお客さんだしねえ」

 クレイドは椅子から立ち上がると、率先して行動を起こす。早速、カウンターの前に置かれていた複数のワインを片手に取った。

「ごめんね、助かるよ。その白いワインは全て手前のテーブルの男たちに。あとは俺がやるから、その間に楽器の準備をお願いしていい?」



 レオンスは表面上は飄々として口達者なものの、常に周囲の状況を注意深く見ていた。そんな彼の人物像を、クレイドは少しだけ垣間見たような気がした。



 クレイドは手伝いを済ませた後、二階でヴァイオリンの調弦等を終えてから一階に戻った。


「こっちのスペースで演奏お願いね。音楽があると本当に盛り上がるからさ」


 レオンスの指示どおり、クレイドはカウンター近くの一メートル四方のスペースに立った。まるで演奏者のために設けられている場所のようにすら見える。

「俺が合図したら必ず休憩に入るからね。盛り上がる曲なら何でも、自由に弾いていいよ。あと、疲れたら休むのもオッケー」


 クレイドは気を楽にして楽器を構えた。人に聴かせるための演奏というものには、ここ数日でだいぶ慣れたように感じる。


 人々の話し声が聞こえる中で、クレイドは演奏を始めた。ジグという、近年流行し始めている音楽ジャンルである。

 始めは会話に夢中だった人々も、次第に演奏者へ視線を向けて、一部の客は陽気に手を叩いてリズムを取り始めた。

 それが周りの客にも伝播して、酒場のムードとリズミカルな音楽が一体となって一つの集合体を作り上げていく。


 楽譜に忠実で美しい演奏スタイルが基本となるヴァイオリンとは異なる、自分の感性で自由な演奏することが許されるフィドル。

 クレイドは今までの演奏では感じたことのないような、宙に浮いた感覚を全神経で感じていた。



 レオンスの合図を受けて、クレイドは休憩に入った。

 楽器を持ってカウンター前の席に腰掛ける。


 やや疲れ気味のクレイドをよそに、レオンスは楽しげに笑っていた。

「さすがだねえ。これならって意味も納得だよ。……あ、ジュースやワインはいかが?」

「ジュースなら。レオンスさんは飲まないんですか?」

「俺は人を酔わせたいたちだからさ」

 どこか胡散臭いレオンスの笑顔に、クレイドは冷めた視線を向けた。



 少し休憩した後、クレイドは演奏を再開した。

 演奏開始時よりも泥酔者が多い印象だが、陽気に手を叩いたり声を上げる人々もまた増えていた。



 ただ、そんな楽しい時間は過ぎるのも早く、気がつけば夜も更け始めて、演奏は終盤を迎えたのであった。


 帰り支度を始める客たちに、レオンスが大声で呼び掛けた。


「会計を忘れずにー!」


 客が半分程度に減った頃、酔いが回ったアメリーが立ち上がった。ややふらついた足取りのアメリーに、レオンスが声をかける。

「送っていこうか?」

「いいや、大丈夫さ。気持ちだけいただくよ」

 アメリーはそう言って代金を手渡した。

「そっか。じゃあまた来てよ、アメリーさん」

「もちろんさ。……あと、楽師のお兄さん。楽しかったよ、ありがとう」

 唐突に会話を振られたクレイドは、慌ててお辞儀した。

「こちらこそ、ありがとうございました」



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