第3話 情報戦(1)

 クレイドは、レオンスと二人きりの店内で後片付けに追われていた。

 食器類を下げたあとは、近くの井戸から水を汲み、硬く絞った布でテーブル上を拭いていく。


「片付けまで手伝わせてごめんね」

「いえ。情報料を無料にしてもらっているので」

「無料じゃないでしょ、もう対価はもらってるからね。ほんと律儀だよねえ」

「普通のことです」

「いいや、律儀だよ。――本当に放浪楽師?」


 レオンスがにやりと笑ったため、クレイドは途端に嫌な緊張感を覚えて手を止めた。


「もう客はいないし、取り繕う必要ないでしょ? 君は丁寧な言葉遣いだし、旅人にしては綺麗な服装だよね。フィドルにしては弾き方が物凄く上品だったし」

 ペラペラと喋るレオンスの言葉を、クレイドは無表情を繕って聞いていた。

「下手な職業名乗るよりは、放浪楽師って都合良いんだよね」

 レオンスの口ぶりには不思議と説得力があった。

「大丈夫、分かってるから。それに人は誰でも嘘をつくからね。人を陥れるための嘘だけでなく、やむを得ない事情、人を守るための嘘だってある。それは仕方がないことだよ。俺だって例外じゃな――」


 その瞬間、バンと大きな音を立てて扉が開いた。クレイドのみならず、レオンスも驚いた様子で振り返る。


 立っていたのは見たところ10歳前後の少年だった。非常事態を告げに来たかのごとく息を切らしており、その表情が深刻さを物語っていた。


 レオンスはわざとらしく気の抜けた笑みを浮かべた。

「……マルクか。そんなに急いでどうしたの?」


 マルクと呼ばれた少年はいきり立った様子で店内に入ると、レオンスの前に立ち塞がった。二人の身長差は歴然としているが、少年には有無を言わさぬ凄みがある。

「おい、今からお前のとこに野蛮な貴族が来る! 情報を求めてる! 騎士も一緒だったから危ねえよ!」

 マルクは顔を赤らめながら、全身に力を込めて訴えた。

「こんな真夜中に?」

 レオンスの反応はあっさりしていた。

 マルクは苛々した様子で地団駄を踏むと、レオンスの両腕をがっしりと掴む。

「本当だって! 俺は情報を持ってきたんだぞ! とにかく、そこの楽師は隠した方がいい!」


 その言葉を聞いた瞬間、クレイドは嫌な緊張感が背を這いずった。


 ――きっと、最悪なことが起こる……。


 レオンスは一瞬だけクレイドに横目をやると、マルクに向き直った。

「分かった。用心することに越したことはないしね。少しの間、楽師さんにはカウンターの下に隠れててもらおうか」

 クレイドが何か言おうと口を開いた瞬間、咄嗟にレオンスが右手の人差し指をピンと張ってクレイドを制止した。

「大丈夫。情報戦なら負けないから」

 クレイドの不安をよそに、レオンスは不敵な笑みを滲ませた。



 クレイドは楽器を抱えるように持つと、レオンスの指示どおり、身を屈めてカウンター下の陰に潜り込んだ。



 その後、どれほどの時間が経過したのか、クレイドはよく分からずにいた。

 レオンスとマルクの会話が時折聞こえてきたものの、物陰にいるクレイドには二人の行動が目視できず、状況が分からないことが何よりも不安だった。



 店の外から物音や会話が僅かに聞こえてきて、レオンスは颯爽とカウンターに移動した。終業間近の飲食店らしく見えるように、一店員として食器類の整理などを始めた。

「お出ましかな」


 クレイドにはレオンスの足元しか見えず、この場では彼に全てを委ねるしかなかった。

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