第3話 情報戦(2)


「いらっしゃいませ、お貴族様。真夜中にこんな所まで来ていただけるとは、随分とお暇なようで」

 レオンスが皮肉たっぷりに出迎えた。


 貴族と騎士数名が騒がしい足音を立てながら店内に入ったが、クレイドがその様子を窺うことはできない。心臓だけがバクバクと激しい音を立てるが、物音一つ出さないようにと、呼吸ひとつに対しても気を遣っていた。


「君が情報屋を続けていたとはな。後悔させてやろうか」

 声の主は、紛れもなくウェリックス公爵だった。

 これが現実なのだ――とクレイドは愕然として、地に落ちた気分だった。

 レオンスと公爵の互いの第一声から、二人の関係が良好でないことも明白だったが、クレイドはそれを気にする余裕もなかった。

 ところが、レオンスは怯むどころか飄々としていた。

「ご用件があるのならお伺いしましょう。……夜も眠れないほどの悩みでも?」

「残念、悩みは朝早く目が覚めてしまうことでね。……対価は相応に支払う。私は逃走した楽師を探しているのだ。船に乗ったという噂を耳にしたのだが、何か情報はないか? 嘘を言えば、次はお前の命がないぞ」


 クレイドの心臓は人知れず跳ね上がるばかりで、聞こえる会話だけで気が遠くなりそうだった。


 だが、レオンスは余裕の態度を崩していなかった。

「じゃあ、俺からも質問を一つ。貴方はその青年を一体どうするおつもりで?」

 質問を質問で返された公爵は、突き刺すような視線でレオンスを睨んだ。

「質問をしているのは私だ」

「ええ、知っています。対価は私の質問への回答で結構。ただし、でね」

 レオンスは満面の笑顔を向けた。


 クレイドの感覚として、彼らの会話で一歩上手を取っているのはレオンスだろうと感じた。少なくとも互角以上であることは間違いないだろう。


 公爵は苛立つ気持ちを顔に出しながら、話し始めた。

「……ならば答えてやる。私は楽師を屋敷に連れて帰り、行動制限を課す。娘は彼を擁護しているがな。あとは、生きるも死ぬも私の気分次第だ。――あと言っていなかったが、その楽師は元楽器職人で、名前はクレイド・ルギューフェという」


 クレイドは身震いした。これらの言葉を単なる脅し文句だと侮るには、自分への執着が異常すぎやしないか。

 もしも今ここでレオンスに裏切られた場合、全てが終わるのだと、クレイドは半ば諦めの境地にすら入っていた。 


「それはなんと恐ろしいことを」

 レオンスはわざとらしく大袈裟に驚いた。

「だが、君には無関係だろう? そろそろ私の質問に答えてもらおうか」

 公爵が好戦的な笑みを浮かべる。

「そうですねえ。――ただ、残念ながらそんな話聞いたことありませんね」


 ――嘘を……?!


 驚愕のあまり、クレイドは声が漏れ出てしまいそうになった。レオンスは非常に危ない橋であることを知っていて、あえて渡ったということになる。

 クレイドはカウンターの陰からレオンスをまじまじと見上げた。表情まで見えないものの、彼が何を考えてそう言ったのか、気になって仕方がなかったのである。


 公爵とレオンスは互いに冷ややかな視線を交錯させた。

「対価に見合う答えがそれか? 嘘をつけば、お前の命がないのだぞ?」

「それが俺の答えです。……ただ、もし貴方がその楽師を見つけて何かしようと考えるなら、俺が貴方の秘密情報を大量に流すことでしょう」

「楽師と無関係の貴様が、なぜ奴の肩を持つ? 何も知らないと言ったではないか?」

 レオンスが戸惑う表情はさぞかし見ものだろうとでも言いたげに、公爵は嘲笑した。

 レオンスは相変わらずにっこりと笑みを向ける。

「いえ、つい同情心が芽生えたもので。貴方は、この状況を引き起こした原因が自分にあるとは考えないようだ。……自己分析が苦手なら手伝いましょうか?」

 最後の言葉が公爵の怒りを買ったらしく、彼は露わにしてレオンスを睨みつけた。

「無駄口叩くな。私が貴様を殺すことなど容易いのだ」

「いいや。そもそも俺に情報を求めたことが間違いだったのでは? こんな村の情報屋に頼るほど、貴方の人脈は狭いと?」

そうだった。……しかし、君の父親が嘘をついたせいで、人質の妹が殺されたんだったか?」

 公爵は蔑んだ目でレオンスを見ると、小さく嘲笑った。

 その瞬間、レオンスの顔からスッと笑みが消え失せた。

「それは人を守るための嘘だった」

「それで身内を死なせたら世話ないだろうに」

 誰のせいだと思っている、とレオンスは怒り心頭で詰め寄りたい気持ちをぐっと押し殺した。湧き上がる感情全てを笑顔の仮面に変える。

 カウンター上のワインボトルを右手で掴むと、これ見よがしに軽く振ってみせた。ワイングラスを左手に取り、真紅色に近いワインを丁寧に注ぎ始める。

「よろしければ飲みませんか? ここは酒場ですし、騎士の皆様もご一緒にいかがです?」


 一人の騎士が歩み出てグラスを手に取ると、天井に吊るされたランタンに透かし見た。

「毒味をいたしましょう」

 少しだけ口に含んで味を確認すると、公爵に向き直った。

「……特に問題ないかと」

 だが、公爵は首を横に振った。

「私はやめておく」


 レオンスは勧誘の対象を騎士たちに向けた。

「それなら、他の皆様はいかがでしょう? 今なら宿泊いただいた方に、無料で一本差し上げましょう」

 単なるサービスとも取れるレオンスの言葉に、騎士らが一瞬ざわついた。

 公爵は呆れたようにため息をつく。

「こいつの口車に乗るな」


 不意にレオンスが両手をぱちんと叩き合わせて、公爵らの視線を集めた。

「ならば、旅の疲れに音楽でもいかがです? 音楽はいい酒の肴になりますよ」

「……楽器を弾くのか?」

 公爵が音楽に関心を示したため、レオンスはこの機を逃すまいと慎重に会話を進める。

「本業ではありませんが、それなりに」

「何を弾く?」

「シトールを、少々」

「ほう」

「……よろしければ、弾いてみましょうか?」

 レオンスは勿体ぶるように提案した。

「私の選評は厳しいぞ」

「それこそ上達への近道でしょう」


 レオンスは矢継ぎ早にワインを注いでいった。拒否されたばかりの公爵に対しても、彼は当然のように提供する。

 カウンターに戻ってくると、背後の戸棚に置いてあった不恰好なを右手で掴んだ。


 全体が黒い布で包まれているため、それが本当に楽器なのか、クレイドもやや疑りをかけていた。

 だが、レオンスが布をはぐり上げた瞬間、現れたものは見紛うことなく撥弦はつげん楽器のシトール(※横に構えて弦を弾くギターのような古楽器)であった。


 ――本物?! この人、本当に楽器も弾けるのか?!



 レオンスは弦を流れるように上から弾くと、美しいながらに哀愁漂う余韻が店内に響いた。


「……さあ。酒を酌み交わし、素敵な一夜をご堪能あれ」

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