第2話 訪問

 エリスが暮らすというクレメール侯爵の屋敷の前に辿り着くと、クレイドはその外観をじっと見上げた。

 玄関の装飾は非常にシンプルで華やかさはないが、門構えの大きさからも、ここが広い敷地であることは一目瞭然であった。外観こそ質素だが、建物の内部はおそらく想像を超えるものであろう。


 レオンスが門を押し開けて、二人は敷地内に入った。周囲に人は見当たらず、正面突き当たりの扉へ向かって歩みを進める。

 クレイドは深呼吸すると、自分の背丈を悠々に超える扉に向かって右手を伸ばした。

 レオンスと顔を見合わせて頷くと、覚悟を決めて扉を三回叩いた。


 ほどなくして応答があり、扉が静かに開いた。

 現れた人物は屋敷の使用人と思われる恰幅の良い女性であった。年齢はイルスァヴォン男爵邸で仕えるリューヌと同世代のように見え、優しそうな雰囲気を纏っている。


「どちら様でしょうか?」

「わ、私は、クレイド・ルギューフェと申します。突然申し訳ございません。こちらにエリスという少女が暮らしているとの話を聞き、誠に勝手ながらここまで参りました」

「どういったご関係で?」

「……実の兄です」

 女性は驚いた表情で、あらまあと口元を手で覆った。

「そうでしたか。兄がいるという話はエリスからも聞いておりました」

 相手の口からエリスの名前を聞いた瞬間、クレイドは気が抜けたように安堵した。


 ――ここに、エリスは間違いなく住んでいる……。


「もし可能であれば、会わせていただけないでしょうか」

 クレイドは深々と頭を下げた。

 ここまで来たのだから、簡単に引き下がって会うことを諦めたくはない。 

「そうですね……。エリスも会いたがっておりました。クレメール侯爵の許可が必要なので、確認して参ります。少々お待ちいただけますか?」

 クレメール侯爵――その言葉を聞いたクレイドは、頭を上げて表情を固くした。

「分かりました」



 少し待たされた後、戻ってきたのは派手な服装に身を包んだ男性であった。いかにもプライドが高そうな印象である。


「……私がクレメール侯爵だが」


 使用人の女性が本人に確認して戻ってくるはずではなかったのか、とクレイドはレオンスに焦りの眼差しをちらりと向ける。

 レオンスは肩をすくめると、「どうも」と作り笑顔を公爵へ向けた。

「久しいな、レオンス。……使用人から話は聞いた」

 どこか偉ぶった口調で話すクレメール侯爵に嫌悪感を覚えつつも、クレイドは深く頭を下げた。

「クレイド・ルギューフェと申します。突然の訪問、申し訳ございません。妹のエリスがここにいると耳にして、話ができればと思って来た次第です。会わせていただくことは可能でしょうか」


 クレメール侯爵は全く表情を変えずに、「それは無理だ」とだけ答えた。


 クレイドはその言葉を冷静に受け止めて、顔を上げる。

「無理ならば、その理由を教えていただけませんか」

「クレメール家の養女だからだ」

「実の兄だとしても、ですか?」

「今は不可能だ」

 侯爵は首を横に振って、小さくため息をついた。

「悪いが、お引き取りいただこう」


 侯爵が扉を閉めようとドアノブに手をかけた、その瞬間だった。


「侯爵……!」


 声を上げて引き止めたのはレオンスだった。

 扉が閉まらないようにと、反対側のドアノブをがっしりと両手で掴んでいる。


「騒々しい。扉を壊す気か?」

 侯爵は目をひきつらせた。クレイドにとっては、ウェリックス公爵を彷彿させる嫌な目であった。

「実の兄妹ですよ。何の問題があると?」

 侯爵の視線が呆れたように宙を描いた。

「とにかく、無理なものは無理だ。これ以上の干渉は地下牢行きになるぞ。……まあ、行きたいというのならとめないが」


 レオンスは侯爵を睨みながらも、悔しそうに口を噤んだ。


 そして、クレメール侯爵は視線を合わせることなく、静かに扉を閉めた。


 あまりにも呆気なく交渉は決裂した。



 クレイドは扉の前に立ちつくして、全てが終わった――そう思った。

 エリスがこの屋敷で暮らしている事実を確認することができただけで、満足するべきだったのかもしれない、と今更ながら後悔が押し寄せる。

 全面的に断られることほど精神的にきついものはない。



「……クレイド、広場に行こう。休憩してから仕切り直しだ」



 ✳︎✳︎✳︎



 南からの陽光を背に受けて歩きながら、二人は言葉数が少ないまま広場に到着した。

 歴史ある荘厳な建築物に四方を囲まれた、アルマンで最も大きなクレマンス広場である。

 中心部では噴水が飛沫を上げており、その周辺で人々が腰をかけて会話を楽しんでいる姿が目についた。


 ある者は風変わりな衣装を身に纏い、奇怪な動きで人を笑わせたり、またある者はベンチに腰掛けながら黙々と絵を描いている。

 個性のある人々がそれぞれの人生を懸命に生きているように見えて、クレイドは自分もそのうちの一人に過ぎないのだと思うと、不思議と自身が置かれている現状が受け入れられるような気がした。


 二人は互いの顔を一切見ることなく、ベンチに並んで腰掛けた。


「……俺、妹に会うことを諦めようと思います」


 クレイドにとっては、悩み抜いた末の結論だった。


 レオンスは小さなため息をついてクレイドを横目で見る。

「それ、本気で言ってるの?」

「……はい。元はと言えば、妹の居場所を知ることが目的でした。あわよくば妹の体調を知れたらいいなと。よく考えてみれば、初めから会うつもりでアルマンに来たわけじゃなかったんですよ」

「無理してない?」

「……本来の目的を見失うところだったので、これで良かったかと。これ以上は俺のわがままでしょう」

「頑固だねえ。言い換えれば、真面目くんかな。他の人が何を言っても無意味だろうけど、もう少し頭柔らかくしたら? 何でも自己完結するの禁止ね」

 突然課された禁止令に、クレイドは反射的にレオンスの方を向いた。

「なぜ、あなたにそんなこと――」

「失礼だよねえ。まあ、いいけど。――猶予決めたらいいんじゃない? 妹が絶対にクレメール侯爵の屋敷から出てこないとも限らないでしょ?」


 クレイドは「なるほど」と心の中で呟くと、顎に手を当てて少しの間だけ沈黙した。


 無言のまま決意が固まったところで、クレイドは再びレオンスに向き直った。



「――決めました。今日、俺はこの広場で過ごします。明日の昼までに妹に会えなかったら、諦めて帰ります」

「期間短くない? それで踏ん切りつきそう?」


 クレイドは一切の迷いなく頷いた。

 ずるずると未練がましくアルマンに居座るのは、スベーニュに残してきたリェティーやロディールにも申し訳が立たないような気がしたのだ。


 レオンスはほっと息をついた。

「……そう。分かった、じゃあ今晩はどこか――」

「レオンスさんにはここまで協力していただいたので、今晩は一人で待ちます。ウェリックス公爵の件も、アルマンにいる間は安心だと分かったので。明日は必ずバレット村を通って帰ります。そこで待っていてください」


 レオンスは驚いたように目を見開きながらも、クレイドの憑き物が落ちたような顔を見て、それならば自分の出る幕はないと察した。


 

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