第1話 宮廷楽師(2)

 晩餐会での演奏を終えたクレイドは、空腹を満たす程度に食事を取った。交流を深めようと近づく他の楽師や貴族に対しては、愛想笑いと「疲れているので」の一点張りで全てを断り続けた。


 そのまま自室へ戻ると、ベッドに直行してゴロンと仰向けに倒れ込んだ。

 クレイドは天井の紋様を眺めながら、晩餐会で見た光景を思い起こした。食事の席にはたったの三人――ウェリックス公爵と公爵夫人と思われる女性、そして娘と思われる6歳前後の少女の姿しか見当たらなかった。

 そして、意外にもクレイドの演奏に聴き入っていたのはその少女であった。少女の姿はどこか見覚えのあり、どこかで会ったことがあるだろうか、と妙に気になっていた。



 部屋の扉を叩く鈍い音が聞こえて、クレイドは慌てて立ち上がる。

 部屋の構造を知らないために身を隠す場所も見つからず、ただ情けなくその場に立ち尽くした。


 ――どうしよう、マリエルだったら……。


 そんな不安が真っ先に過ぎった。

 クレイドは応答しないまま固まっていると、扉は勝手に開けられた。


 ――ああ、終わった。



「クレイド……?」


 聞こえた声は幼い子供のものであった。クレイドは少しだけ警戒心を解く。

 扉の隙間からひょいと顔を出したのは、晩餐会の時にいた少女――公爵の娘だった。


 これは公爵の差し金か、はたまた少女の純粋な興味によるものか。いずれにせよ、これがクレイドにとって良い状況でないことだけは確かであった。


「名前はティフェーナ。お話したいの」

 どこか遠慮がちに名乗る少女を、クレイドは無鉄砲に断ることができなかった。

「今、他に一緒に来ている人はいますか?」

「ううん、一人だけ」

 それはそれでまずいのでは、と一瞬だけ小さく唸る。

「では、ここに来ることを誰かに言いましたか?」

「お母様にだけ」

 クレイドは胸をなでおろした。とはいえ、娘がたった一人でこの部屋へ来ることを、母親はよく許可したものだ。

「……分かりました。少しだけなら」


 ティフェーナは笑顔をぱあっと花開かせて部屋の中に駆け入ると、飛び跳ねてベッドの上に座った。

 その突拍子もない行動にクレイドが目をぱちりと開けると、ティフェーナが悲しそうな顔で見上げた。


「ねぇ、ここから出ていくって本当?」


 クレイドは全身からさっと血の気が引いていき、悪寒に身体を震わせた。そんなことは公爵に一切話していないはずだ。


 ――いや待て。マリエルには「長居するつもりはない」と言ったかもしれない……。


 クレイドは咄嗟に手で口元を覆った。あの時のたった一言がティフェーナに伝わっているとすれば、公爵にも全て伝わっていると考えるべきだろう。


 マリエルのは、新入りが信用に足る人物かどうかを見極める手法だったのかもしれないと思い、クレイドは再び小さく身震いした。



 ティフェーナはクレイドの思いなど知りもせず、純粋無垢にベッドからはみ出た足をバタつかせながら話を始めた。

「クレイドのこと、お父様に言ったの。広場の演奏を聴いて、上手だったから」


 クレイドは訝しげに眉をひそめると、リェティーに出会う前の記憶まで瞬時に遡った。

 そこには、思い当たる節があった。

「もしかして、広場でヴィオラダガンバの演奏をしていた時、目の前で聞いて――」

 すると、ティフェーナは前のめりになり、瞳を輝かせた。

「そう!」


 ――ああ、何てことをしてくれたんだ……。


 否定的な感情は拭えずとも、嬉しそうな少女の姿を前にして、クレイドは気を落とした態度を見せることにどこか抵抗があった。

「そうでしたか……。ただ、私は――」

「秘密は守る! だって、クレイドの演奏が聞けなくなったら困るから」


 その言葉は、クレイドの頭を尚のこと悩ませた。演奏を目的に自分を呼んだのなら、彼女には酷な現実を受け入れてもらわねばならない。


「私の居場所はここではありません。どうしてもここを出なければならないのです」

「どうして?」

「……行かなければならない場所が、あるから」

「どこに?」

「言えない。でも、大切な人の居場所を知りたくて」

「誰?」


 ――妹の……。


 だが、ロディールとの約束で、これ以上は言ってはならないことになっているのだ。

 彼女に十分すぎる情報を与えてしまったクレイドは、これで退路は断たれたものと思った。


「ここから出る方法、知ってるの」 


 何かの聞き間違いだろう、とクレイドは目をしばたたかせた。

「クレイド?」

 不思議そうにティフェーナに見つめられて、クレイドは宙を描くように視線を逸らした。

「……えっと。でも、許可をもらっていないので」

 戸惑いから、本心と裏腹に余計なことを口走る。

「いいよ。クレイドは他の人たちと違う。ここにいても、全然嬉しそうじゃないから」

 ティフェーナの表情は幼いながらにしてどこか大人びており、現状を憂いているようにも見えた。

「お父様が使っている秘密の裏口、教えてあげる。明日の朝なら、たぶん大丈夫」

 大きな瞳を一切逸らすことなく、ティフェーナは真っ直ぐクレイドを見つめていた。

 

 ――信じてみよう。これで騙された時は、また別の方法を考えればいい。


 クレイドはただ深々と頭を下げた。

「よろしくお願いします。本当に、ありがとう。いつかまた、あなたのために演奏したいと……強く願います」


 ***


 翌朝、ウェリックス公爵は早朝に護衛をつけることなく、たった一人で屋敷を出た。彼の行き先はクレイドには分からないが、その事実を確認した後、クレイドもまた同じルートを辿って屋敷を出た。

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