第5話 楽器職人と助手
クレイドは玄関先でフィナーシェを見送った後、ロディールの正面の椅子に腰かけた。
ロディールは少し視線を泳がせながら、ためらいがちに「クレイド」と名前を呼ぶ。
「俺は、しばらく仕事ができないと思う。だからって、お前に迷惑をかけるつもりはない。だが、思うように腕が動くまで時間がかかるかもしれない。それでも、これからも友人として俺と一緒に演奏してくれるか……?」
クレイドは少し身構えていたが、ロディールはそんなことを気にしていたのかと思い、気が抜けて小さく笑った。
一方のロディールはやや憤慨したように眉を寄せたが、その表情はどことなく悲しげであった。
「何で笑うんだ? おかしなことでも言ったか……?」
「いや、ごめん。だって、真面目な顔して何を言い出すかと思えば……。妹が帰った途端に弱気を晒すなんて、案外見栄っ張りなんだな?」
ロディールは反論もせず、ただ俯いていた。
クレイドはロディールを諭すように話し始めた。
「……いいか、ロディール。まず仕事についてだが、お前はこの店の助手をしてくれたって構わないんだ。俺の方も助かる。次に『友人として一緒に演奏してくれるか』ってのは、そんなの今さらだろ。当たり前だし、俺からも頼みたいくらいだよ」
ロディールはぱっと顔を上げると、目を丸くしてクレイドを見た。クレイドの偽りない言葉に不意を打たれていた。
「本当に、そう思ってくれてるのか……?」
「……? 当たり前だ」
ロディールは「そうか」と小さくつぶやくと、両目にじわじわと涙が溢れて、ゆっくりと頬を伝った。
「……ロ、ロディール?」
クレイドはあたふたして、目のやり場に困った。眼前の光景がまるで嘘のように信じられなかったのだ。
ロディールは手の甲でさっと涙をぬぐいながら、困ったような笑みを浮かべた。
「ごめん、お前を困らせるよな。すごく嬉しくて……悪い」
「別に、謝るな。隠すようなものでもないだろ」
「参ったな、それをお前に言われる日が来るとは……」
この言葉を返されたクレイドは、恥ずかしさで胸を貫かれた気分である。
「昔のことは忘れてくれ……。ロディールはもう少し休んだ方がいい。一人になりたいだろ、俺はこっちで作業に取りかかるよ」
「……なぁ、クレイド。そういや、店閉めてたよな? 俺がいるから遠慮したのか? それとも別に何か――」
一瞬、クレイドの動作がぴたりと停止した。
「……図星か。こんな姿じゃ頼りないかもしれないが、何か悩んでいるなら俺に話せ」
妹から届いた手紙のこと、唐突に告げられた宮廷楽師への勧誘――その二つがクレイドが今抱えている悩みであった。
「ごめん、本当は言わないつもりだったんだけど……」
「俺は黙られた方がショックだよ」
即答するロディールに、そうだよなとクレイドも少し納得する。
「じゃあ、話す……。まず一つ目なんだが、妹から手紙が届いた」
すると、ロディールは見るからに嬉しそうな表情へと変わった。
「そうか! それは良かったな! で、内容はどんな感じだったんだ?」
「今、持ってくる」
クレイドは二階の自室から手紙を持って来ると、ロディールの手前に開いて置いた。
すると、彼の嬉しそうだった表情がゆっくりと曇り始めた。
「……クレイド。お前から会いに行け」
ロディールのその一言に、クレイドは純粋に驚いた。
「思い立ったが吉日だ。気になっているんだろ? 俺がここで店番をするなら、お前は何も不安はないはずだ」
ありがたい申し出だと思いながらも、クレイドは視線を泳がせる。
そして、きまりが悪そうに口を開いた。
「そ、それがもう一つ心配ごとがあって……」
「……ん?」
「実は、ウェリックス公爵という人に、宮廷楽師に勧誘されているらしいんだ」
「はぁっ?! それに、『らしい』とは随分と他人事だな?」
「直接、本人に言われたわけじゃない。昨日、公爵に近しい人間が店に来たんだ。『お前を宮廷楽師として迎え入れることにした』って……」
これを口に出した途端、クレイドは心がすっと軽くなったように感じた。
何も解決には至らずとも、悩みを共有しただけで不思議と救われた気持ちになったのだ。
「おいおい、そりゃ命令みたいなものだろ? 拒否権は? 条件は何て?」
「俺が受け入れるなら、『店の存続を約束するし資金面でも工面する』って。拒否したときの処遇は『公爵の気分次第』だと」
「はぁっ?! ふざけるなウェリックス野郎……!」
ロディールは右腕をかばいながらも、怒りに任せて勢いよく立ち上がった。
さすがに野郎は誰かに聞かれたらまずいのではと、クレイドは少し焦っていた。
***
それから二人は、十五日後――実際には今日から十四日後の対応策を考え始めていた。
「――つまり整理すると、クレイドは宮廷楽師になりたくないし、この店で職人を続けたい。そういうことだよな?」
クレイドはコクンと頷いた。
「さらに、妹に一度会いに行きたい、と?」
「……うん。会えなくても、せめて住んでる場所は知りたいと思ってる」
「もっと欲を持っていいと思うけどな。――で、宮廷楽師になれば、お前の望みは全て断たれる可能性があるわけだな?」
「ああ。何とかなるだろうか……」
ロディールが好戦的に、にやりと笑った。
「何とかなるんじゃなくて、何とかするんだよ。……少しリスクが伴うが、バックアップは俺がする。俺の妙案に乗ってみないか?」
「勝機があるのか?」
クレイドはすぐに食いついた。
考えてみれば、今までロディールのアドバイスを信じて行動して、結果的に何とかなったことは多い。
「多少タイミングと運も関係するが、うまくいけば勝機ありだ」
「本当か⁈」
クレイドは期待の目をロディールに向けた。
「ああ。――これから話すことは全て設定だ。まず、俺は楽器職人を目指す助手だ。お前は、女にうつつを抜かしながら仕事を片手間にやっている職人だな」
――は?
唐突に、クレイドの視線は蔑みに変わった。
それでもロディールは臆することなく続ける。
「俺とお前の関係はあまり良好じゃない。俺は、この店をいつか自分のものにしようと企んでいる助手だ」
――いや、……え?
「昔は仲が良かったが、俺はお前の素行に不満が溜まっているんだ」
「……何の話?」
「――つまり、俺たちにはその役を演じるだけの力が求められる」
「いや、全然分からない。少なくとも配役は逆じゃないか? いったい何をしろと?」
「配役はこれじゃなきゃダメだ。詳細はこれから話す。事前準備が必要になるからな。……ただ、そうだな。その前に一つ、お前に頼みたいことがあるんだが、俺をしばらくこの家に置いてくれないか?」
クレイドはロディールに少し気圧されながら、小さく頷く。
「そ、それは構わないけど。二階には俺とリェティーの部屋を除いて、あと二つ空き部屋があるから使ってくれ。――だいぶ使ってないから、後で掃除しておく」
「助かる。あと十四日で仕上げるぞ」
クレイドは人生で初めて、ロディールを本気で信用して良いのかと不安になっていた。
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