第3話 来訪者
ミセス・ヴェルセーノが訪れた翌朝の“
作業机に向かい、店にある楽器のメンテナンスを行おうと考えていたところだった。
「――職人はいるか?!」
男の怒声と同時に、店の扉が壊れそうなほどの勢いで開いた。
クレイドは肩を大きく跳ね上がらせて、首を扉の方向へ振り切った。怖いというよりも何が起こったのか分からないという驚きに、クレイドの身体はそのまま一時停止する。
その人物が客人でないことは一目見て分かったが、クレイドの頭の中は比較的冷静であった。視覚的に得た情報をその場で整理する。
まずは、男が三人。先頭に立つ男と、その一歩後退した位置に二人の男が並ぶ。顔には見覚えはなかった。貴族に準ずる服装で、一般人にしては身なりが良いため、貴族の屋敷で雇われている使用人のようにも見える。身体は大きく、揃いも揃って不機嫌そうな表情をしていた。
「そこのお前、何か言え。職人はどこだ?」
先頭に立つ男が、クレイドに向けて問いかけた。
クレイドは作業椅子に腰かけたまま、目を細めて少し軽蔑したように相手を見た。
「尋ねるのなら、まずは自ら名乗るのが礼儀では?」
淡々としたクレイドの態度に、相手方はあからさまに機嫌を損ねた。
「お前、今の自分の状況を理解できているのか? 職人はどこかと聞いている」
迷惑きわまりない男の対応に、今度はクレイドが呆れた眼差しを男たちに向けた。
「この店には私しかおりませんが? 用があるなら私に言っていただかないと」
男たちの間にどよめきが起きて、互いに顔を見合わせた。
「……じゃあ、この店の職人とはお前のことなのか? な、なら仕方ない。ウェリックス公爵からの伝言だ。一度しか言わないから、よく聞け」
ウェリックス公爵、その名前だけならクレイドも知っていた。スベーニュの街で最も権力を持った貴族であり、独裁が過ぎるともっぱら噂になっていた。そして、公の場に姿を見せることを好まないため、彼の容姿を知る者が少ないということも――。
まともに取り合うだけ無駄だと感じたクレイドは、勝手に話してくれと思いながら作業机に向き直った。
クレイドが再び道具を手に持とうとした時、再び男が口を開いた。
「いいか。お前を宮廷楽師として迎え入れることになった。スベーニュにあるウェリックス公爵の屋敷は王宮と大差なく、実に荘厳だ。給金も高い」
クレイドは動きをピタリと止めた。息までもが止まりそうだった。
――は……?!
「さらに、良い条件もつけやるとのことだ。お前が宮廷楽師になることに頷くなら、店の存続を約束する。さらに、資金面でも工面すると」
クレイドはガッと勢いよく立ち上がると、睨むように視線を向けた。
「それは、確定事項ですか?」
「いいや、選択権を与える」
三人の男たちは揃って笑みを浮かべた。クレイドはその雰囲気に気味の悪さを感じた。
「選択権……?」
「そうだ。これを引き受けるかどうか、ゆっくりと考えておくこと。十五日後、日没の鐘が鳴ると同時に回答を聞きに来る。そしてウェリックス公爵が直々に迎えに来る予定だ。良い回答が聞けることを、期待している」
「つまり、拒否権はないと?」
「そうは言ってない。拒否した場合の待遇は、ウェリックス公爵のご気分次第だ」
淡々と決められた言葉を述べる男に、クレイドは苛立ちを覚えた。
「そんな、気分次第って……」
「以上でこちらの要件は済んだ。次に会うときは、十五日後だ」
男は一方的に会話に終止符を打つと、颯爽と身を翻した。両脇の男の一人が無言で扉を押し開けて、店を出ようとする。
――ま、待ってくれ……!
クレイドは喉元まで声が出かかったが、そう呼びかけたところで待ってくれるはずもないと言葉を飲み込んだ。
男たちが店を出て行ったあと、クレイドは一人立ち尽くした。その顔は真っ赤に染まり、怒りに震えながら、どこにぶつけることもできない感情を室内に大声で散らした。
「くそっ……!!」
クレイドは出したばかりの店の看板を『closed』に裏返すと、生気のない足取りで作業机に向かい、崩れ落ちるように椅子へ腰を下ろした。
机上に広がる楽器の部品や工具を見ても、何もやる気が起こらない。
クレイドは背もたれに寄りかかり、虚ろな目で天井を見上げた。
――夢だったら、良いのに……。
何か対応方法を考えなければと思いながらも、考える気力が起きなかった。まだ数日ある、その間に何とかしよう。今はそう思うだけで精一杯だった。
昼時を目前にしても、食欲すら湧き起こらなかった。ぐるぐると考えていると頭がおかしくなってしまいそうな気がして、場所を移動することにした。
エリスからの手紙を持って、重い足取りで二階の自室へと向かう。
ベットにごろんと仰向けで倒れ込むと、その手紙を両手で天井に掲げた。
――あれ……?
妙なことに気がついた。最初は気に留めていなかったが、文章の途中から字体が少しだけ変わっているように見えたのである。だからといってこの手紙に嘘が書かれているようには思えない。
いや、気にするのはやめよう。クレイドは自らの意思で思考を停止させた。
意識が自然と遠のいていき、瞼はゆっくりと閉じられた。
ふっと手の力が抜けると同時に、宙に浮いた手紙が浮遊しながらベッドの上に落ちた。
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