第2話 親心

 日没を告げる鐘の音が街に響き渡り、その余韻が無音の店内に染み渡った。どこか心地良い音色に鼓膜が振動して、クレイドは手紙から視線を離した。気に留めていなかった時間の経過に、今さらながら気が付く。

 夕食の準備をしなければ、とクレイドが椅子から立ち上がった。


 すると、店の扉をコンコンと静かに叩く音が聞こえた。

「中にいるかい? 少しお邪魔するよ」

 聞こえたのは特徴的な女性の声だった。ミセス・ヴェルセーノだと分かり、クレイドは少し慌てた様子で出迎えた。

「何かあったんですか? リェティーは?」

 ミセス・ヴェルセーノは不安そうなクレイドの顔を見て、人差し指をクレイドの口元に軽く添えて制した。クレイドは、咄嗟に「すみません」と謝る。


 そして、ミセス・ヴェルセーノは大きな身体でクレイドを押し込むように店の中へと入ると、そっと静かに扉を閉めた。


「あの子なら大丈夫だよ。……私はクレイドに言いたいことがあって来たんだ」

「……というと?」

「今後、朝だけは私の家に来るのをやめてもらおうかと思ってね」

 突然の申し出に、クレイドは不審そうに眉を寄せた。

「もちろん構いませんが、俺が行くのはいつも夜ですよ? ……朝は何かあるんですか?」

「いや、ね? 最近よく店の常連が朝に来るんだ。癖の強い客なもんで、クレイドが鉢合わせないようにと思っただけさ」

 ああなるほど、とクレイドは素直に納得した。


 すると、ミセス・ヴェルセーノは左手に持っていた荷物をクレイドにぐいと突き出した。

「これはお土産の食料だ。お金は取らないよ。これで、しばらくは持つだろう」

 クレイドはそれを両手で受け取ったが、ミセス・ヴェルセーノの行動が妙に慌ただしいことに疑念を抱いた。

「俺がこれを受け取れば、あなたの店に行く頻度が減ってしまいます。そしたら、リェティーにも会えなくなってしまう……」

「また夜に来たらいいだろう? 来ることを禁止しているわけじゃないんだ。ま、これは単なるお土産さ」

 クレイドは布で一つに包み込まれた荷物を作業机の上に置くと、少しだけ中を覗いてみる。乾燥パスタの瓶詰めが複数と、そのほか調味料や市場で購入したであろう果物や野菜が入っていた。

「ミセス・ヴェルセーノ、これは……」

「美味しそうだろう? ロディールと一緒に食べても十分すぎる量さ」

 ミセス・ヴェルセーノは笑い声を上げた。

「……ええ。ありがとうございます」


「あの。実は、一つ話したいことがあって……」

 エリスからの手紙の件をミセス・ヴェルセーノに話すなら、おそらく今しかない。

「なんだい?」

「エリスから手紙が届いたんです」

 ミセス・ヴェルセーノは飛び出さんばかりに目を見開いた。

「本当かい?! あぁ、良かったじゃないか……。引き取られてから、あの子は何も連絡を寄越さなかったんだろう?」

「ええ。……ちなみに、エリスが引き取られ先の住所って、ご存知ですか?」

「手紙には書いてないのかい?」

「実はそうなんです」


 クレイドは手紙をミセス・ヴェルセーノに手渡して見せた。


「確かに書いてないねえ。悪いが、私にも分からないんだよ。あの頃はルージェンがいたし、身内じゃない私が出しゃばるのもおかしいだろう?」

 まあ確かにそうだよな、とクレイドはすんなり納得する。

「実はエリスの居場所を知るために、アルマンまで行こうかと考えているんです」

 ミセス・ヴェルセーノはまじまじとクレイドを見た。

「アルマンのどこかが分からないんだろう? どうするんだい?」

「人に聞こうかと」

 クレイドの迷いのない返答に、ミセス・ヴェルセーノは肩を竦めた。

「まあ、私は止めやしないさ。もちろん、行くなら応援する。……ただ、分かっているだろうが、あんたには別の生活があるんだ。エリスの居場所が分かっても分からなくても、必ずここに戻ると約束しておくれ。リェティーはあんたを頼っているんだからね」


 それはクレイドも十分に理解していた。リェティーを置いてどこかへ行くなどできるはずもない。ただ、実の妹エリスの今の居場所を知りたかった。あわよくば、良くないという体調のことも――。


「分かっています。必ず、帰ります」


 ミセス・ヴェルセーノは安心したようにふっと微笑んだ。

「……それならいい。手紙に『お兄ちゃん大好き』だなんて、あんたも隅におけやしないねえ」

「だ、だって、妹ですよ?」

 きょとんとするクレイドを見て、ミセス・ヴェルセーノが豪快に笑った。

「あっはっはっ、そんな真に受けるんじゃないよ」

 冗談だったのか、とクレイドは少しだけ顔をしかめた。

「そんな顔をするんじゃない。まぁ、アルマンに行くなら、ルートは二つ。私は村ルートを勧めるよ。なんと言っても、情報に通じた人間が多いって専ら噂だからね」

 クレイドは興味深く聞いていた。

「ありがとうございます。なんだか少し、自信が持てたような気がします」

 本心から出た言葉だった。親のような存在であるミセス・ヴェルセーノに相談できたことが、何より大きな安心感へと繋がったのだろう。


 不意に、ミセス・ヴェルセーノが手を伸ばしてクレイドの頭をわしゃわしゃと撫で始めた。その突飛な行動にクレイドは少し惑いながらも、心にぽっと火が灯ったように温かな気持ちになり、口元を綻ばせた。


「いいかい、クレイド。あんたは自分の意思を貫いて、自分の道を生きるんだ。私はそれを応援するからね」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る