第4話 移動

 クレイドとリェティーが夕食を終えた頃、まるでタイミングを見計らったかのようにロディールが店を訪れた。

 ところが、本日は盗人が侵入したのかと思うほど、ひっそりとした来訪だった。普段なら「お疲れ!」と大声を上げて来るのだが、このロディールの慎重な態度こそが、事の重大さを表していた。


「仕事終わったから来たんだが、ちょっとまだ早かったか……?」

 ロディールは、クレイドとリェティーを交互に見た。

「いいや、もう大丈夫だよ。ね、リェティー?」

「はい!」

 リェティーは深々と頭を下げた。相変わらず礼儀正しいその様子に、クレイドとロディールは顔を見合わせて困ったように笑った。

「ロディール、今日は頼む。ミセス・ヴェルセーノの元へ確実にリェティーを送り届けるぞ」

 クレイドはロディールに念押しした。

「当たり前だ。リェティー、俺たちに任せてくれな」

 ロディールが親指を立て、グッと自信ありげに言い切った。

「はい、よろしくお願いします!」



 この家を出発するのは、街に人通りが減り、夜が更けて人が寝静まったあとだ。

 リェティーは少ない荷物を詰め込んだ革製鞄を持ち上げて、重さを確認した。ケースに入れたヴァイオリンも鞄の横に置いて、最終確認も滞りなく完了した。

「ロディール、ちょっと外の様子を見てくれないか」


 クレイドに指示されたロディールは、店の扉を少し押し開けて外を覗く。

 そして、外の状況を目視で確認したあと、扉を静かにそっと閉めた。


「うん、真暗闇だ。もう人は通らないだろうし、これなら大丈夫だろう。だが、そのままの格好で行くのか?」


 ロディールはリェティーの鮮やかな真紅の衣服を見て小さく唸った。暗闇に溶け込みやすい色ではあるが、一度でも明かりに照らされてしまえば、この赤色が人の記憶に深く印象づけてしまう可能性が高い。それに、シルエットを見れば少女であることが一目瞭然である。


「まずいかな……?」

 クレイドが首を傾げた。

「日中なら赤色は問題あるだろうが、まぁ外が暗ければ色は分からないから良しとしよう。着替えもあるんだろう? あとは俺が予備に持ってきた黒いこの布をローブにして羽織るのはどうだ? 最悪何かあったとしても、体型なら誤魔化せるんじゃないかな」


 ロディールは小さく折り畳んで持参した黒い布をクレイドに手渡した。

 それを両手いっぱいに広げると、繊維の隙間からランタンの明かりが均一に差し込む。

 織り込みが美しく生地が丈夫であり、丈の長さもリェティーをすっぽりと包み込む大きさだった。


「よくこんなの持ってたな、ロディール」

「まぁな、親方から分けてもらったんだよ。俺たちの分もあるぞ? 身バレを防ぐには必要だろ?」

 ロディールはニコッと笑った。


「緊張してきました……」


 リェティーが黒いローブで全身を包み込み、ヴァイオリンと荷物を入れた鞄を手に持った。

 これは重いだろうと見かねたロディールが、リェティーの手から鞄を軽々とすくい上げる。


「あっ……」

「大事な楽器は自分で持ちたいだろ? こっちは荷物持ちの俺の役目だ」

「あっ、ありがとうございます」


 予想だにしなかったスマートなロディールの対応に、リェティーが少しだけ頬を染めた。この一連を目撃してしまったクレイドは、緊張感を持つべき時にもかかわらず、内心ひどく後悔した。


 ――失敗した。俺がリェティーの荷物を持てばよかった。この子がお前に変な気を持ったらどうしてくれる……。


 クレイドにとってリェティーは大切な妹である。ロディールがリェティーの荷物を持ってくれたことには感謝しつつも、気が利くのも考えものだと感じた瞬間だった。荷物一つ持ったくらいで――と思えなくもないが、クレイドとしては重要な問題だった。



 ***



 リェティーをミセス・ヴェルセーノの元へ送り届ける任務を遂行するために、クレイドとロディールは細心の注意を払う必要がある。送り届ける側も、緊張しないはずがなかった。

 体力や体形にはあまり恵まれなかったクレイドも、今回ばかりは最前線でリェティーの護衛についた。


「よし、出発の準備はいいね? 行こう」

 クレイドが声かけを行い、店内のランタンの明かりを全消灯した。


 三人は外に出てすぐ、月明かりを浴びた。

 フードの中から空を見上げると、欠け始めた月に雲が今まさに覆い被さろうとしていた。この怪しい雲行きも、身を潜めて行動するにはありがたい。



 三人は不慣れにも一つの隊列を組みながら歩みを進めた。先頭のクレイド、最後尾のロディールに挟まれるようにリェティーが歩く。


 ロディールが前を歩く二人に小声で伝えた。

「ゆっくり、歩いていこう」

 辺りの静けさゆえに、その声は先頭を歩くクレイドにまで正確に聞こえた。

 クレイドは反応を返すために首を少し後ろへ向ける。

「ああ。何よりも自然に、だ」

 出発してからリェティーは無言を貫いており、クレイドの背後から緊張感が伝わってきた。

「リェティー。大丈夫だからね」

 クレイドは振り向くことなく声をかけた。

「……はっ、はい。ありがとうございます」

 リェティーは咄嗟に我に返ったような返事をした。

「目的地はそこまで遠くないんだ。だから、安心して」


 クレイドの家からミセス・ヴェルセーノの家までの距離は、市場まで行く距離とほぼ変わらない。

 ただし、方向は市場と真逆であり、彼女の家は少し外れた場所にひっそりと佇んでいる。


 クレイドを先頭にした隊列は、細い路地を曲がるところまで来た。

 リェティーとロディールは足音を一切立てず、ゆっくりとその後に続いた。


「……着いた。裏口から入ろう」


 クレイドはある建物の正面で立ち止まった。

 窓から明かりなどは一切見えず、外から見たところ、ミセス・ヴェルセーノが起きているとは到底思えないだろう。


 クレイドが裏玄関の扉を静かに叩くと、一呼吸する間もなく中から応答があった。


「お入り」


 扉を開けた人物――ミセス・ヴェルセーノは、颯爽と三人を家の中へ招き入れた。


 完全に扉が閉まったことを確認すると、ミセス・ヴェルセーノは玄関口でランタンに蝋燭を灯した。

 暗闇に目が馴れ始めていたこともあり、四人は同時に少しだけ目を細めた。


 そして、クレイドら三人は纏っていた黒いローブ――実際には布であるが、そこから頭部のフードだけをはぐった。

 互いの表情がはっきりと見えるようになり、それぞれが顔を見合わせる。緊張感が一気に解けていくようだった。


「おやまぁ、お疲れだったね。ここは玄関だからね、もう少し中に入れば落ち着いて話ができるだろう。さあ、三人とも入った入った」


 安心感のある太い声だったが、周囲を気にして少し声量を抑えていた。


 ミセス・ヴェルセーノの家の中は、路地に面した店内と同様、隣国風のデザインが取り入れられていた。建物の外観には目立った装いが一切ないものの、内観には高級な家具や調度品が揃えられている。

 クレイドは、家の中まで入ったのは随分と久しぶりであったが、相変わらずの不思議な空間に昔の記憶が少しだけ蘇った。


 ミセス・ヴェルセーノの指示を受けて、リェティーとロディールは楽器と荷物をそれぞれテーブル上に置いた。

「さてと……」

 ミセス・ヴェルセーノは初対面のリェティーの姿を見ると、腰に手を当てて顔をぐいと近づけた。

「この可愛らしい女の子だね? リェティーと言ったかい?」

「あ、はい! リェティーです。よろしくお願いします!」

 いつもどおり、深々と頭を下げながらの自己紹介だった。

「おやおや、礼儀正しい子だこと。でもね、リェティー。もっと気楽にしてくれて構わないからね? 私はイゼルタ・ヴェルセーノだよ。よろしくね」

「イゼルタさん……。とてもお優しそうな方です」

 ミセス・ヴェルセーノは少し声を抑えながらも、相変わらず快活に笑った。

「はっはっはっ、私はただのおばさんさ。まあ、一緒に楽しくやっていこうじゃないか」

 リェティーの顔にほっとしたような笑顔が浮かんだ。


 二人のやり取りを見ていたクレイドとロディールは顔を見合わせた。うまくやっていけそうだと我が身のように安心した。


 クレイドが安堵の表情を浮かべたのも束の間、みるみるうちに深刻そうな表情へと変わった。


「ミセス・ヴェルセーノ。事が落ち着くまで、どのくらいかかると思いますか?」


 ミセス・ヴェルセーノは正面からクレイドの肩に両手を置き、灰色の瞳を大きく開いて顔を寄せた。クレイドは全身に緊張感が走り、魔法にかけられたように見つめ返す。


「いいかい、この件はもうしばらくかかるだろう。懸賞金なんてかけられたら、たまったもんじゃないからね。まあいずれにせよ、私が協力したからには絶対に何とかする。大丈夫さ。あんたは安心していつもどおり店を開くんだ。お前は何も考える必要ない。……いつもどおり、この店でパスタを買いに来たっていい。そしたらリェティーにも会えるだろう」


 クレイドは身体を硬直させたままコクリと頷いた。

 ミセス・ヴェルセーノは態勢を戻すと、我が子を見るような眼差しをクレイドに向けて微笑んだ。

「……ありがとうございます。どうか、リェティーをよろしくお願いします」

「ああ、私に任せな。クレイド、ロディール。いつでも歓迎するから遊びにおいで。来てくれたらリェティーも喜ぶだろうよ」


 ミセス・ヴェルセーノはリェティーの肩にそっと右手を乗せた。

 リェティーは笑顔を見せて頷いた。もちろん、齢十三にして多くの苦労を重ね、今また新たな問題に直面しているこの状況に、全くの不安がなかったわけではない。

 それでも、全力で手を差し伸べてくれる人たちがいたから、それに縋り、しがみ付いて生きていこうと思えた。これ以上の幸せはないのだと、リェティーは心の底から思っていた。

 

 唐突に、クレイドは胸が締め付けられるような思いが込み上げてきた。今まで、文句の一つも言わずに、現状をありのまま受け入れてきたリェティー。思い起こせば、いつも彼女は周囲を気遣ってばかりだった。本当は無理強いしたこともあったのではないだろうか。リェティーは本心でどのように思っていたのだろうか。


 ――俺は、妹に寂しくて辛い思いばかりさせてしまう……。


 クレイドは口角を上げて、感情を必死に飲み込もうとした。こんなことを考えていては、リェティーに尚のこと心労をかけてしまう。


 ――リェティーに何か言葉を、声をかけなければ……。


「……あ、あのさ、また会いに来るよ。その時は、ロディールも一緒に連れて――っ?!」

 言い終える前に、ロディールがクレイドの肩にがっしりと腕を回した。

「ま、俺はクレイドに連れられて行くんじゃなくて、俺の意思で会いに行くけどな」

「……どうした。そんなキャラだったか?」

「いいから、お前は黙ってろ」

 目を丸くして驚くクレイドのこめかみに、ロディールが軽いゲンコツを食らわせた。


 そんな二人のやり取りを見ていたリェティーとミセス・ヴェルセーノは、声を出して笑っていた。


「……じゃあ、今日は二人とも帰って休みなさい。お前たちも色々と疲れてるだろうからね」

 ミセス・ヴェルセーノに促され、クレイドとロディールは小さく頷いた。リェティーはクレイドの右手を取ると、最後に笑顔を向けた。

「お兄さま、そしてロディールさん、おやすみなさい!」

「うん、おやすみ」

「またな、リェティー」


 互いに手を振りながら笑顔で別れを惜しみ、クレイドが背を向けたときだった。

 ミセス・ヴェルセーノが呼び止めた。

「……あー、クレイド。一つだけ言わせてくれないか。いつか、言いそびれたら困ると思ってね……」

 クレイドは驚いた様子で身を翻した。ミセス・ヴェルセーノらしくない、歯切れの悪さにどこか違和感があった。


「私は、何があってもお前の味方だ。息子のように思っているよ。それだけは忘れないでおくれ」

 ミセス・ヴェルセーノは、この一言一句を大切そうに声に出して紡いだ。

 クレイドはその言葉の真意は分からなかったものの、純粋に心に留めておこうと深く頷いた。

「ありがとうございます、ミセス・ヴェルセーノ」


 そして、クレイドとロディールは再びリェティーに手を振り、ミセス・ヴェルセーノの家を出た。



 月が雲に陰り、辺りは暗闇に包まれていた。歩き始めたが、二人の間に会話はなかった。



 細い路地を出る手前で、ロディールが「なぁクレイド」と声をかけた。

「辛いだろうが、乗り越えるぞ」


「分かってる……。今日はありがとう」


 二人はここで別れて、それぞれの家の方向へ続く道を進んだ。



 クレイドが自分の家へ帰宅し、解錠しようと鍵を挿し込んだとき、ふと気が付いたことがあった。

 リェティーとの別れ際でロディールが起こした妙な言動。それは、色々と考えてしまう自分の気持ちを紛らわせようとしてくれたのではないだろうか、と。「そんなキャラだったか」と口を挟んだことに、今更ながら少しだけ罪悪感が湧く。軽いゲンコツ一つで済んだことに、ロディールの優しさと懐の深さをじんわりと感じた。






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