第2話 告白
昨晩、ロディールは仕事が終わり次第また店に来ると言い残して、夜が明ける前に自分の家へと帰っていった。
一方のクレイドは、昨晩の密会を終えた後、一睡もできずにベットの上で身体だけ横たわらせていた。リェティーには今晩から他所の家でしばらく暮らしてもらうことになると告げなければならず、さてどう伝えたものかとクレイドは考えを巡らせていた。
さらにもう一つ、クレイドはどうしてもリェティーに伝えたいことがあった。
それは、ミセス・ヴェルセーノがポロンと口を滑らせてしまう前に、自分の口から伝えたかったことだ。
「お兄さま、朝ですよ? 食事も終わったのに、お店の看板を出さなくてもよろしいのですか……?」
「あぁ、今日は店を開くことをやめたんだ。その代わり、リェティーに話したいことがあるんだけど」
リェティーは不安そうにクレイドを見上げた。
どれほど体調が悪かろうと、頑なに閉店を拒んでいたのだから、彼女のその反応も当然であろう。
「お兄さま。それは、店を閉めなければならないほど重要な話なのですか?」
そうだ、とクレイドは深く頷いた。
「これは今しか話せないことなんだ」
リェティーはぼうっと立ち尽くしたかと思うと、突如としてクレイドに駆け寄った。
「も、もしかして、お兄さま、店をおやめになるのですか⁈ なぜですか⁈ あんなに一生懸命に楽器と向き合っていたのに……!」
リェティーは正面からクレイドの服をわし掴みにすると、一方的に言い切って肩を落とした。
クレイドはされるがまま、一切の抵抗をせずに受け止めていた。
リェティーは少し妄想が過ぎるところがあるものの、これは早々に「店をやめるわけではない」と伝えた方が良さそうである。
これ以上、リェティーに余計な心労をかけさせたくはない。
二人は正面に向き合うように椅子に腰掛けた。
「それで、お話とは……?」
クレイドは単刀直入に話そうと心に決めたが、どこか不自然に表情が力んでいた。
「驚かないで聞いてほしい。店をやめるとかではないんだ。そうじゃなくて……、俺には、実の妹がいるんだよ」
突然の告白に、リェティーは拍子抜けしたかのように目を丸くすると、首を横にかしげた。
「……はい。何となく、そうかもしれないと思っていました。私はここに突然やって来たのに、お兄さまは最初からとても自然で、優しく接してくださったので」
予想外のリェティーのあっさりとした反応に、クレイドは気が抜けて背もたれに寄り掛かった。
「そうだったのか……。いや、もっと早く話せばよかった。ごめん」
「いいえ、何ごとも話すタイミングがありますよね。私が聞いて良いのか分からないのですが、本当の妹さんはどちらに……?」
クレイドは姿勢を正して、リェティーに向き直った。
「海を越えた、アルマンという街に養子に出されたんだ」
突然、リェティーの瞳が懐旧に揺らぎ、かつてないほどに穏やかな表情に変わった。
クレイドはその変化を見逃さなかった。
「そうでしたか。アルマン……。私も昔住んでいたことがあるんです。良いところでした」
リェティーが自分のことを話したのは、これが初めてだった。
アルマンでの生活は、彼女にとって温かい思い出として記憶に残っているに違いない――クレイドはほっと胸をなでおろした。
実の両親が既にいない者同士だからこそ、クレイドにもその感覚が少しだけ分かるのだ。
「本当に大切な記憶というのは、いつになっても色褪せないよね」
リェティーはにっこりと笑って頷いた。
「はい。……お兄さまは、最近は妹さんに会っていないのですか?」
「うん、今はどこに住んでいるのか詳しいことが分からないんだよ。父親が亡くなる直前には、既に妹の引き取り手が決まっていてね。父親が生きているうちに、俺の方から色々と聞いておくべきだったと後悔してる……」
「そう、でしたか……。妹さんに会えるといいですね」
「……うん。ありがとう」
クレイドとリェティーは穏やかな笑みを交わした。
「あっ、お兄さまの大事なお話を遮ってしまいましたね……! すみません、続きをお聞かせください!」
リェティーの言葉で、クレイドは急に現実へと引き戻された。
「……そ、そうだったね。あのさ、これから話すことは君を守るための提案でもあるんだ。どうか、俺のことを信じて聞いてほしい」
クレイドはくすみのない青い瞳をリェティーへ向けた。
「分かりました。お兄さまが話すことなら、全て信じます」
その真っ直ぐな言葉に、クレイドは表情を和らげた。
「ありがとう。……実は、今晩からしばらくの間、俺の知り合いの家に身を寄せてほしいんだ。イゼルダ・ヴェルセーノさんという人で、俺が小さい頃からお世話になっているおばさんだ。とても信用できるから、そこは安心していい。既にその人にも話はしてあるんだ」
リェティーは真剣な表情で、一切の迷いを見せることなく頷いた。
「分かりました」
クレイドは言いづらそうに訊く。
「理由を、知りたい……?」
「はい。でも、きっと良くない話なんですよね? 私が知ることでお兄さまやその方は困りますか?」
リェティーの性格らしい、素直で優しい気遣いだった。
クレイドは胸が痛むような感覚にとらわれ、意図せず表情に影を落とした。
「……いいや。ただ、君に心配をかけてしまうかもしれない」
すると、リェティーは気丈さを示すかのように、目の前のテーブルを軽く両手でトントンと叩いた。
「お兄さま、それなら私は平気です。教えていただけますか?」
クレイドが顔を上げると、リェティーの表情はどこか大人びていた。まるで母親が幼い子供に向けるような、穏やかな微笑みだった。
クレイドは年下のリェティーに母の面影を感じたことに、わずかながら動揺せずにはいられなかった。
一度視線を横に逸らして、ゴホンと軽く咳払いをする。この態度はあまりにも情けないと自身を咎めながら、再びリェティーに向き直った。
「……実はね、君の捜索願が出されたんだ。君の居場所として、この店が疑われる可能性がある。だから、事が落ち着くまでの間だけ、その人の家に身を寄せてほしいんだ」
リェティーの表情が神妙な面持ちへと変わった。
「あの人たちが、私を探している……? すみません、お兄さまや皆さんにご迷惑をかけてしまって……」
クレイドは、いやいやと慌てて手を顔の前で振った。
「ち、違うよ、謝るのはこっちだ。もとは俺の責任なんだ。……この理由を聞いたうえで、もう一度質問するよ。ヴェルセーノさんの家に身を寄せることを、了承してもらえるだろうか……?」
リェティーはクレイドの目を見て深く頷いた。
「もちろんです。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いいたします」
礼儀正しく頭を下げるリェティーに、クレイドも誠意を込めて頭を下ろした。
「こちらこそ。不便をかけて、本当に申し訳ない」
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