第5話 困難な要望(2)

 翌朝、クレイドの頭痛は完治までいかないものの、随分と快方に向かっていた。これもリェティーが作ったスープのおかげだろうと、クレイドは一人納得した。


 ロディールとリェティーが二人で朝食を作っている間、クレイドは楽器の最終メンテナンスを行っていた。


 ***


 三人が朝食を終えたところで、店の看板を『open』に裏返そうとクレイドが扉を開けた。


 すると、そこには朝日を背に立つ男性の姿があった。昨日の貴族の客人である。


「おはよう。少し、早く来すぎてしまったかね?」

 

 これはさすがに早すぎる、とクレイドは若干の冷や汗をかいた。

 

「おはようございます。お待たせして申し訳ございませんでした。お入りください」


 クレイドは扉を開けて男性を招き入れた。


「さて、私のヴァイオリンはどうなったかな?」

 そう言った男性は薄ら笑いを浮かべていた。


 ――何だ、この嫌な感じは……。


 クレイドは無意識に眉間に皺を寄せてしまいそうになり、作り方笑顔を顔に貼り付けた。


「ヴァイオリンはこちらにご用意しております」


 クレイドは、ヴァイオリンをケースに入れた状態で手渡した。

 男性はそれを受け取ると、代わりに懐から巾着袋を取り出した。有無を言わさずクレイドに押し付ける。

「代金はこれぐらいでいかがかな?」


 クレイドは巾着袋を両手で開くと同時に、仰天して息を呑んだ。


 ――大量の金貨……?!


 クレイドは理解できない表情を男性客に向けた。さすがにこれだけの対価は受け取ることはできなかった。

 仕事量に見合わない代金は、決して受け取ってはならない。情けをかけて欲しくもない。これだけは譲れないのだ。

「お客様、これは多すぎるのではないでしょうか。私はお客様に納得していただけない場合、代金はいただかないと決めております」


 男性客は目を細めてクレイドを見据えた。


「そんな事をして、君は儲かるのかね?」


 ここで目を逸らしてはならないのだと、クレイドは自分自身に言い聞かせた。どのような相手であれ、誠実に対応しなければならない。


「私は儲けるために職人をしているのではありません。お客様に喜んでいただくことが何よりも重要なのです」


「ふむ、職人というのも難儀なものだ。そこまで言うなら、私もここで弾かせていただこう」


 男性客はヴァイオリンをケースから出すと、颯爽と構えた。


 無音となった店内に、優美な音色が響いた。


 クレイドの気持ちは全く落ち着くことがなく、この上ない緊張感に身体が強ばっていた。客が楽器を弾くこの瞬間というのは、普段ならば心穏やかになれるはずなのに。


「なるほど……。君の腕前はこのレベルか。よく分かった」

 楽器を下ろした直後、男性が最初に発した言葉がこれだった。


 クレイドにはその言葉がどういった意味なのか理解できず、内心で戸惑った。少なくとも、良い意味ではないだろう。

「あの、申し訳ございません。もし納得されないようでしたら……」

「私が納得しなければ、どうするのかね? 気質の人間らしいといえばらしいが、若いわりに図太い神経をしているな」


 クレイドは第一印象の"嫌な感じ"を通り越して、"怖い"という感情へと変わった。


「も、持ち主の意向にそぐわなければ、無償で修理し直すか、別の店を紹介することもできますが」

「まぁ、確かにそうなるだろうな。君には自信があるのかね?」

「……楽器修理について、でしょうか?」

「それも含めて、店を営む事全般に対してだ」

「……? わ、私は店を営んでいるのですから、『自信がない』とは申し上げません。ですが、職人としての技術には限界はないものと考えておりますので、現時点で自負できるような技術は持っていないと断言します。私の目指す先は遙か先ですので」

 真摯に答えたつもりが、男性は鼻で笑った。

「ふん、君は可愛くないな。まぁ代金はそのまま支払っておこうじゃないか」

「で、ですが……」

「もらっておく事だ。金はどれだけあっても困るものではない」

 男性はそれだけ言うと、店の玄関先の方へ身を翻した。

「しかし、お客様……」

 クレイドの言葉に、男性が首だけこちらに向けた。

「従えないのかね?」

 クレイドを見る目つきは、まるで鋭利な刃物のようだった。


 ――今にも人を殺しそうな目……。


 絶対に逆らうことのできない無言の圧力を感じた。クレイドは両手を真っ直ぐ身体の横に付けると、深々とお辞儀した。

「い、いえ。大変失礼しました……」

「うむ。では、帰る」

 男性は店の扉を開けると、もう二度とこちらを見向きすることなく外へ出ていった。

「ありがとう、ございました……」



 クレイドの心身には疲労感の波がどっと押し寄せた。今すぐにでもベッドに倒れて寝込みたい気持ちになった。

 ただ、二階に上がることすらも今は億劫に感じられ、ひとまず作業机上に倒れるように伏せた。

 あまりの勢いに、机上の木屑とやらが周辺に舞い散る。


 ***


 クレイドと男性客の会話だけが聞こえていたロディールとリェティーは、待機していた奥の部屋から小走りでやって来た。

「クレイド? お前、大丈夫か?」

「お兄さま、本当にお疲れ様でした……!」


「もう無理かも……」

 クレイドは伏せたまま、くぐもった声で呟いた。

「ほら無事に終わったんだ、良かったじゃないか! なっ、クレイド君!」

 ロディールはクレイドの頭をワシャワシャと撫でた。それを見てリェティーは楽しそうに笑う。

「こら、ロディール!」

 クレイドは反射的に起き上がった。おかげで後頭部の髪がボサボサだ。

「あ、ほら起きた起きた。こうやるとクレイドは起きるんだよ、覚えたかリェティー?」

 ロディールはにひひと笑いながら、リェティーに要らぬ事を伝授していた。

「は、はい! 機会があれば……!」

「やらなくていいんだぞ、リェティー」

 素直なリェティーに対して、クレイドがため息混じりに言った。

「つまんない奴だな。……ま、お前が大丈夫そうで良かったけどよ」

 ロディールが気を遣ってくれていることも、クレイドには分かっていた。

「ありがと。でも、本当にあのお客様には参ったよ……」

「今は深く考えるな。大丈夫だったんだから、もう気にする事ないさ。店をやっていれば色んな客が来るのは当然だろう? お前が一番良く分かってるはずだ」

 ロディールの言うことはもっともだと思い、クレイドは深く頷いた。

「……確かに、そうだよな」

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