環境によって人からの評価は変わる

 今回は「環境によって人からの評価は変わる」というお話です。


 皆さんの目に私がどう写っているかは分かりませんが、私は特に担任の先生からの評価が大きく分かれるタイプの生徒でした。

「この子は勉強もできて、真面目で着眼点の面白い優等生」という扱いをしてくださる先生方もいらっしゃった一方、「この子は人付き合いに難ありで、言うことを素直に聞かない扱いづらい問題児」として扱う先生方もいらっしゃいました。


 コロコロと他人からの評価は変わり、私も敏感に感じ取っていたこともあるのでしょう。問題児扱いをされると余計に意地を張ってしまっていました。そんな中、私は悟ったのです。私が変わらなくても、「環境によって人からの評価は変わる」

 もちろん、私には優等生と問題児、どちらの面もあったことは否めません。


 そんな私が「西の魔女が死んだ」を読んで心を打たれたフレーズの一つはこちらです。


「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」


 そうなんですよね、人間はどうしても周りから責められることを気にしがちですが、時には自分に合っていない環境から逃げることも大切なんですよね。そしてそれは逃げではないのです。自分の身を守るために必要な防衛反応でもあり、より良い環境を求めるための当たり前の行動です。


 そういう私も一度腰を据えた所から離れることが苦手なので、自戒を込めて書いています。

 私は学校生活に馴染めていたかと言うと微妙なところがありますが、SNSでは皆さんに良くしていただき、何かと活動しているので環境が合っているのでしょう。


 そして、「西の魔女が死んだ」の主人公のまいも通っていた中学には馴染めませんでしたが、転校することによって気の合う友達と出会い、圧倒的に過ごしやすい学校生活を送ることができたのです。


「浜村渚の計算ノート」シリーズも、理数系は必要ないとされた日本で理数系や数学系の人々がテロ事件を起こす、という背景ではあるのですが、「環境によって人からの評価は変わる」という見方をすることができます。


 この本の主人公の浜村渚は理数系を学校でやらなくなった社会において、警察に協力を仰がれてテロ組織と対峙できるくらいに数学に秀でた女子中学生です。どのくらいすごいかと言うと、一応大学で数理系に進んだ私も敵わないし何を言っているんだ?と理解できないことも理解している女の子です。


 でも、彼女はある時ぽつりとこう漏らすのです。

「私には得意教科はひとつもない……」


 数学がなくなった学校において、天才的と言ってもいいような数学の能力を持っている彼女は自分の能力や学力を生かせず、得意教科がひとつもない落ちこぼれになってしまっているのです。


 環境さえ整っていれば、彼女は評価されるであるだろうに……と思うとこちらが悔しくなってくるくらいですよね。


 この状況で、もがき苦しんでいる人もたくさんいらっしゃるかもしれません。環境が悪いと環境ではなく自分が悪いのだという思考に陥りがちになる気がします。私たちの能力を引き出すのも殺すのも環境次第、そんな風に考えると少し気が楽になるかもしれませんね。

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思ったことを本と絡めて 郷野すみれ @satono_sumire

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