第4話 奇道
転んでもただでは起きない男であった。高杉晋作と言う男は。
たとえ負けても、黙って負けっぱなしでいることはなかった。
嘘か誠か、こんな逸話がある。
1864年。長州藩が、四国艦隊に負けた時の話である。
完膚なまでの大敗だった。
銃や大砲で近代化された西洋の軍隊に、刀槍を担いだ田舎侍が勝てるはずもなかった。
歴史に残る負け戦の後、長州藩は高杉晋作を講和使節として派遣した。列強は当然、戦勝国として莫大な賠償金や、領土の一部を要求して来るものと思われた。高杉はその調停役である。
案の定連合国側は彦山を租借するよう要求してきた。すると高杉は、何故か集まった外国人たちを前に、突如「古事記」の説明を始めたのである。
「古事記」の説明。欧米列強の要求に、高杉が出した答えは「イエス」でも「ノー」でもなく、「古事記」だった。
意味が分からない。
連合国側は、もっと混乱したに違いない。
敗戦者が、戦後交渉の場で、ひたすらイザナギやらイザナミやら、翻訳不可能な話を延々としている。日本人ですら、読むのは些か億劫になる、長い長い神話である。登場人物だけでざっと100人はいる。
こいつは一体何を言っているんだ
と呆気に取られたのも無理はない。
西洋式の
「高杉は負けたくせに威風堂々と、怒り心頭で、まるで魔王のようだった」
と語っている。
この「古事記」の朗読は、高杉の作戦だったともされる。
「イエス」と答えたら領土が取られる。かといって負けた以上、「ノー」と言える立場でもない。故に、「古事記」。お分かりいただけただろうか。
……が、果たして「古事記」の話が、何処まで本当かは分からない。
ただ、おそらく高杉の中で、前述の上海の視察の件がある。領土を明け渡しては長州も植民地化される、絶対に渡してはならない、と言う思いがあった。
結果的に長州側は、連合国の要求をほとんど飲んだが、領土だけは、魔王・高杉が断固として拒否した。
そんな男であった。およそ常人では考えも及ばない、奇策を用いる天才だったのである。
その高杉が、瀬戸内海で23世紀の
水面が再び静かになった。
雲はない。宇宙に散りばめられた星粒が、今宵の余興の観客であった。
帝国軍のヨハンは、残りのエネルギー量を計算し直した。
突然の
1秒と経たず、目の前の空間に計算結果が
……やはりエネルギー残量はわずかだった。無駄打ちも出来ない。エネルギーを高熱圧縮して放つ両手の武器は、弾いらずだったが、この状況では足枷になってしまった。
もちろん彼に、先ほど遭遇した先住民と交渉する意思はなかった。それどころか、ヨハンは今、過去にタイムスリップしている。ここでもし、彼らの『過去』を捻じ曲げてしまっては、宇宙時空保存法違反で彼自身が厳罰を受けることになるだろう。
が、向こうが攻撃してくるなら話は別だ。こちらに命の危険がある場合、正当防衛は当然認めれられる。
「頼むから、こっちに来ないでくれよ……」
ヨハンは祈るように呟いた。暗視ゴーグルが丙寅丸を捉えていた。小舟は50マイルほど離れた地点に停泊し、黙ってヨハンと向かい合っていた。かといって、此処から逃げ出す訳にも行かなかった。動き回れば当然目立つ。現地の目撃者が多ければ多いほど、
向こうが逃げてくれるのが一番良い。
攻撃してきたら、今度こそ威嚇では済まなくなる。
ヨハンは汗を拭った。こんな、銀河の辺境で朽ち果てるつもりはさらさら無かった。
一刻も早く、最前線に戻り、兵士として帝国の期待に応えねばならなかった。
なんとか、夢か幻でも見たと思って、引き返してくれないだろうか……。
そう思っていた矢先だった。
「何だ……?」
画面に異変があった。ヨハンは眉をひそめた。
「あれは……」
彼は目を疑った。
海が、燃えていたのである。
果たして海の上で火が燃えるのか?
高杉は重油と木材を使ったのである。海上に流れた重油は、簡単には引火しない。また木材も、水気をたっぷり含んでしまっては中々引火することはない。だが重油と木材の二つが合わさるとあっという間に燃え広がる。海の上で、木材が蝋燭の芯の役割を果たしているのである。
コックピットの中で、ヨハンは戸惑いを隠せなかった。
もしかして目の前に広がっているのは、引火性の液体なのか。だとすれば、余計に攻撃は控えるべきであった。巻き添えを食らって機体まで損傷しては意味がない。その躊躇が、彼の引き金を弾く意思を鈍らせた。
さらに間が悪いことに、ヨハンは熱探知の暗視カメラを利用していた。一面に炎が上がっていては、小舟が何処にいるのか、検討がつかなくなった。見失ってしまったのである。
高杉はもちろん暗視ゴーグルの存在など知る由も無かった。
だが今回の彼の奇策は
視界を奪う
ことであり、図らずもその策は、宇宙時代の巨大兵器にも見事に嵌った。
高杉はのちに山田らに
「軍艦であれば、人が乗っているのであるから、煙幕か何かで視界を遮ってしまえば良い」
と語っている。
ミニエー銃やゲベール銃など、正確無比な射撃精度と疾い装填速度が猛威を振るった時代である。ただその射撃精度も、煙幕などで視界を奪えばどうなるか。見えない相手を狙い撃つのは困難である。手元が炎や煙に覆われていては、せっかくの装填速度も宝の持ち腐れだ。高杉はそこを突いた。
高杉率いる奇兵隊は血気盛んで、流れ弾の中に飛び込んでいくのにも躊躇はなかった。今回の戦い、奇兵隊と機巧兵に違いがあったとすれば、その差であった。帝国兵・ヨハンは、海上を埋めつくさんばかりの炎に思わず目を奪われた。その隙に、30馬力の丙寅丸が、真っ直ぐ突っ込んで来た。
「放て!」
高杉の号令で、乗組員たちは一斉にアームストロング砲……ではなく、火矢を放った。
火矢。
もちろん100万馬力の『大仏軍艦』を破壊する、ためではない。現代の焼夷弾と同じ、目眩ましの戦法であった。これが効いた。気がつくとヨハンの視界に広がっていたのは、まるで宇宙の星々を思い出すような、数多の火矢だった。一瞬、小舟を見失った。その間に、丙寅丸は機巧兵の前を悠々と走り去った。
ヨハンが振り返った時は、丙寅丸はすでに闇夜の中に姿を消していた。唖然とした。逃げてくれとは祈っていたが、まさか真っ直ぐこちらに向かってくるとは思いもしなかった。それもこちらの索敵能力や攻撃力を、一瞬だけでも無力化してみせて。
そしてヨハンは、海に広がる重油を振り返り、これを何とかエネルギーに出来ないかと思案し始めた。
それから数時間後、ヨハンを乗せた機巧兵は人知れず宇宙へと舞い戻った。帰還したヨハンはこの出来事を皇帝に話し、のちに宇宙帝国が、資源を求め日本の空に大軍を引き連れ現れることになった。いわゆる第一次宇宙戦争の幕開けである。手元の記事によれば、この戦争の際、高杉は機巧兵を藩に無断で購入した……とされるが、それはまた別の話である。
「わざわざ尻餅つけて倒してやる必要もない」
ひた走る船の上で、高杉は云った。
「何も最新鋭の武器や軍艦だけが、戦場を支配する訳じゃねえのさ」
その言葉通り、高杉は一世代前の
奇策の成功に、丙寅丸の乗組員たちは、歓喜に湧いた。大いに士気は上がり、これがこののちの幕府軍の軍艦奇襲に貢献したと言われるが、それもまた、別の話である。
高杉晋作 vs スーパーロボット てこ/ひかり @light317
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