終章 辺境伯のおさそい ~残った小瓶と謎~
クリオは青ざめた頬を押さえ、
「それ、今から断るとか――む、ムリかな?」
「さすがにありえないよー」
ユーリックが一喝する前に、マルルーナが呆れ顔でたしなめてくれた。
「あのね、クリオちゃん。辺境伯さまは今度のお食事会のために、わざわざバーロウ州から都まで来てくださるんでしょー? それを断るとか、欠礼にもほどがあるよー」
「いや、だってあれは、ミリアムが……」
「だからー、ミリアムさまから誘われたお食事会を土壇場でキャンセルするなんて、さらに敵を増やすことになるよー? クリオちゃんのおうち、味方が少ないんでしょー?」
「マルルーナさまのおっしゃる通りでございます。逆にいえば、ここで辺境伯さまの覚えをめでたくしておけば、社交界でのバラウール家の立場は今よりもよいものとなるでしょう。考えるまでもないことでございますよ?」
「う……」
「お嬢さま」
がっくりとうなだれたクリオに、ユーリックは伊達眼鏡を押し上げてささやいた。
「――ドートリッシュ家にお伺いするのは土曜の夕刻です。当日は朝一番にご実家にお戻りになり、着替えをすませてから余裕をもって出立いたしましょう」
「あ……あ、うん! そっか、そうだね! ばあやに髪を結ってもらおっと!」
ユーリックの提案に、クリオの表情がぱぁっと明るくなる。こういう現金なところは本当に見ていて飽きない。
「クリオさん! ユーリックさん!」
ちょうどそこへ、くだんのミリアムが、なぜかレティツィアといっしょにやってきた。
「――あしたには父がバーロウからやってくるとの知らせが届きました。週末が楽しみです」
「だね! わたしも楽しみ!」
さっきまであんな暗い顔をしていたというのに、それをおくびにも出さず、クリオは呑気にミリアムにクッキーを勧めている。内心、溜息交じりに肩をすくめていると、ユーリックの隣にレティツィアが腰を下ろした。
「……本当は、わたしもミリアムさまからご招待を受けたんだけどね」
ミリアム救出にはレティツィアも少なからずかかわっている。それも当然だろう。
「でも、わたしは辞退したよ」
「なぜです?」
「陛下に呼ばれていてね」
「陛下に?」
「おそらくだけど、例の顛末について、わたしの口から話を聞きたいということなんだと思う。一応、わたしも目撃者のひとりだからね」
「そうですか……」
国王に呼び出されたレティツィアが何をどう報告するのか、少し気になるところだったが、この少女にそれを尋ねても、おそらく答えてはもらえないだろう。
「そういうことだから、当日はきみががんばってくれ」
「がんばる? 何をでしょう?」
「テーブルの反対側に座っているのが辺境伯だろうが国王陛下だろうが、すべる時にはつるつるとよくすべるのが彼女の口だからね。わたしが同席していればフォローしてあげられるかもしれないけど、あいにく、当日の彼女をどうにか抑えられるのはきみだけだ。その苦労を思うと涙が出てくるよ」
「……レティツィアさまも意外と意地がお悪いようで」
「きみが悪いわけではないけど、ささやかな鬱憤晴らしさ。……今年の馬上試合、わたしは本気で優勝するつもりでいたからね。五年連続優勝の目標がいきなり消滅した憤懣をぶつける先がほかに見当たらないんだ」
悪戯っぽく微笑み、レティツィアはユーリックの肩を叩いて立ち上がった。
「バラウールさん、わたしはひと足先に部屋へ戻るよ。――それではミリアムさま、お父君にどうかよろしくお伝えください」
「はい。レティツィアさまも、いつかわたくしのお屋敷にいらしてくださいませね?」
ユーリックとレティツィアのやり取りも知らぬげに、ミリアムはおっとりとした笑顔で静かに会釈した。
こうして見るかぎりでは、すでにミリアムには失恋のショック――というよりはるかに強烈な、国と国との争いに発展しかねない陰謀劇に巻き込まれたショックは、もう微塵も残っていないようだった。生まれついての鷹揚さがそうさせるのか、あるいは、あれだけあざやかに裏切られたおかげで、フィレンツに対する思慕も恋心も綺麗さっぱり消え去ったからかもしれない。
そんなことを考えていると、ふとクリオと目が合った。
「…………」
「何でしょう、お嬢さま?」
「……さっきレッチーと何を話してたの?」
「いえ、特にこれといったことは……会食に出られなくて残念だと」
「ホントに?」
「は……? このようなことで嘘をつく意味が判りませんが」
「だってレッチー、もうふたりっきりじゃ話さないとかいってたくせに……」
「は? ふたりきり……?」
「何でもない!」
クリオはいきおいよく立ち上がると、スカートについた芝を払い落とした。
「――マール、ミリアム、そろそろ寮に戻ろう!」
「んー、そだねー」
「はい。……それではユーリックさん、当日はよろしくお願いしますね?」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
ユーリックは慇懃に一礼し、少女たちが去っていくのを見送った。
「…………」
途中で一度クリオだけが振り返り、ユーリックに向けてウインクしていたが、ユーリックは何もいわず、腰に手を当てて嘆息しただけだった。
「――そういえば」
ポケットに入れておいた小瓶の存在を思い出し、ユーリックは眉をひそめた。
茶色のガラスでできた小瓶の中には、フィレンツが口にしていたあの丸薬が、まだ五、六粒ほど残っている。ユーリックが思うに、おそらくこれは、服用した人間の魔力を一時的に向上させるような効果を持つ薬だろう。戦いの中でたびたびこれを呑んでいたフィレンツが、ユーリックも驚くような魔術的な持久力を見せたのも、その効能だったのかもしれない。
ただ、そうした薬が一般に出回っているという話はユーリックも聞いたことはない。だとすれば、これは何者かが試験的に調合したものなのかもしれない。
そしてたぶんフィレンツは、短時間のうちにこの丸薬を服用しすぎたため、最終的に吐血して死にいたった。どう考えてもまともな薬ではないが、そうしたものをあえて作り出す人間がいるということが、ユーリックには空恐ろしく思えた。
「旦那さまがいらっしゃれば、詳しく調べてもらうこともできたんだろうが――」
さすがのユーリックも薬学に関してはほとんど知識がない。しかもそれが人間の魔力に作用するものとなれば、かなり専門的な知識がなければ調べようもなかった。
「ドルジェフ女史に調べてもらうか……いや、借りを作るのはうまくないな」
ユーリックは小瓶をポケットに戻し、男子寮のほうへと歩き出した。
とりあえずこの薬はマウリンの家に持っていって、ガラム・バラウール秘蔵の数冊の本といっしょに保管しておくべきだろう。少なくとも寮の自室に置いておくのはよくない。
うっかり食いしん坊のコルッチョが見つけでもしたら、菓子と間違えて食べてしまうかもしれないからである。
――完――
お嬢さま、それはおやめください! 第一部 嬉野秋彦 @A-Ureshino
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