終章 辺境伯のおさそい ~ディナーをいっしょに~
ひんやりと心地よい影が落ちた回廊を歩きながら、リュシアン三世は肩越しに尋ねた。
「――結局、その賊どもの素性は掴めたのかな?」
「捕縛した全員が自決を選んだため、当人たちの証言こそ得られませんでしたが、王都のバンクロフト邸やバーロウ州の本宅を徹底的に捜索させ、残っていた一族の者たちを尋問した結果、まあ、ある程度のところまでは掴めました」
杖をついて歩いていたロゼリーニ翁が、国王の問いにうなずいた。
「――史書官に調べさせたところ、もともとバンクロフト家はアフルワーズの豪族だったそうです。それがプルターク三世陛下の御世、祖国を裏切って我が国に
「つまり、三〇〇年前にアフルワーズを裏切り、我が国の臣民となったわけだな」
「はい。……ですが、この三〇〇年の間に家は没落し、過去を知る一族の若者たちの間からは、我が国に見切りをつけてアフルワーズに戻るべきだと主張する声が多く出始めたようでしてな。どうにか先の大戦を乗り切ったとはいえ、我が国よりかつての祖国のほうが優勢に見えたのでしょう」
「一族揃ってくだらない郷愁に捕らわれた末に、裏切り者がまた裏切ろうとしたということか……つくづく愚かしい真似を」
日当たりのいい小さな庭に置かれたテーブルには、すでに紅茶が用意されていた。自分の亡父よりも年上のこの国家の元君が、やや冷めかけた紅茶を好むということを、リュシアン三世はよく知っている。
ロゼリーニ翁に椅子を勧め、リュシアン三世は嘆息した。
「だが、祖国への帰還の手土産にバーロウ州を――というのはさすがに欲張りすぎだ。ただ静かに我が国を去るだけであれば、しいて引き留めることもしなかっただろうに」
「一度はアフルワーズを裏切った者どもですからな。一族郎党打ち揃って祖国に戻り、それなりの暮らしを手に入れようと思えば、三〇〇年前の裏切りを帳消しにしてあまりある功がなければなりますまい」
「ふむ、それもそうか。――しかし、我が国の麦を三〇〇年に渡って食べ続けても、それでも彼らはついに我が国の民にはなれなかったわけだ。その事実を考えると、信頼に足る人材を得ることの難しさを思い切らされる」
「人材と申せば、モーズ卿がしきりに悔やんでおりましたな」
「何をかな?」
「新入生の中にそのような不心得者がいたことに気づかぬとは、小官の不徳のいたすところ……とまあ、職を辞さぬばかりの落ち込みようだとか」
「モーズ卿が着任した時にはすでに新入生の身元調査はすんでいたはずだ。この件に関して彼に落ち度はない。これ以上優秀な人材を失うわけにはいかないよ」
今回の件で一部の観客たちの中に犠牲が出たことで、モーズ学長の責任を問う声があることは知っている。しかし、国王自身はモーズの責任を問う気はない。これ以上とやかくいい出す貴族が現れたとしても、その時は国王みずからが説得するつもりだった。
「ところで……この件についてバラウールの娘は何といっているのかな?」
「は……孫娘の申すには、例の騒動にまぎれてフィレンツ・バンクロフトがミリアム・ドートリッシュを連れ去ろうとするのを目撃したため、従者とともにこれを追跡、救出したとのこと」
「そこだけを切り取れば立派な行為だが……教官たちには報告しなかったのかな?」
「当時、教官たちは敷地内に侵入した賊への対処に追われていたため、追跡の許可を取るのもままならず、このままでは見失ってしまうと考えたそうで……まあ、筋は通っておりますな」
「功を焦った、とも考えられるが?」
「恐らくそうした焦りもあったのでございましょう。陛下との賭けがございますゆえ」
「まあいい。現に辺境伯のご息女は無事だったのだからな。大目に見よう」
「それともうひとつ……賊との戦いの中で、あの娘は“
「何?」
「我々は、
「ということは、あなたの孫娘はそれを見たのかな?」
「はい。陛下がお望みであれば、ここへ呼んで本人の口から語らせましょう」
「そう……だな」
最上級の紅茶を味わい、ゆったりと脚を組み換えたリュシアン三世は、木漏れ日のまばゆさに目を細めた。
「――では、次の外出日には、レティツィア嬢を城にご招待しよう。……それと、ライールもいっしょに来てもらおうか。彼にも何か手伝ってもらうことになるかもしれない」
「いい添えておきましょう」
軽く頭を下げ、老宰相はぬるい紅茶をおいしそうにすすった。
☆
さいわいに、というべきか、先日の騒動で命を落とした生徒はいなかった。逃げ遅れた観客たちの中に数人の死傷者が出たが、あの状況を考えれば犠牲は少なかったといえるだろう。
「――彼らの目的はあくまで陽動だったということでしょう。死者は何人いようとすでにただのモノですが、一〇〇人の怪我人はさらに多くの人間の手をわずらわせますから」
「何それ? 嫌な計算」
「でもさー、おたがい無事でよかったよー、ホント」
「それはまあ……うん」
ユーリックに膝枕してもらっているクリオは、錫の缶の中からクッキーを取り出し、ぽりぽりやっている。コルッチョほどではないにしろ、クリオもこの年頃の少女にしてはかなりの健啖家で、特に甘いものには目がない。
「クリオちゃん、わたしにももうひとつー」
「はい」
「ありがとー」
クリオの隣に座ったマルルーナは、もらったクッキーをかじりながら何やら熱心にマナーの本を読んでいる。努力の方向性はやや違うが、この熱心さはクリオにも見習ってもらいたいところだった。
「そういえば忘れてたけど、もうすぐ次の外泊許可日だね」
あの観兵式から、すでに一週間が経過している。さすがにあれだけの騒動があったあとで、何もなかったかのように残りのイベントをこなすというのは難しく、今年の馬上試合は中止となった。出たくても出られなかったルロイにとっては、もっとも喜ばしい結果になったといえるだろう。
それはユーリックにとっても同様だった。ユーリックには自分が優勝したかったという思いはないし、むしろクリオ以外の同学年の女子――はっきりいってしまえばレティツィアが活躍する機会が消滅してくれてほっとしてさえいた。
「マールはどうするの? 家に帰るわけ?」
「そだねー、実家に戻って妹たちとたっぷり遊んであげたいかなー。うちはまだ小さい妹たちが多いから、わたしが面倒見てあげれば親も助かるだろうしねー」
「そっか……家族は大切にしなきゃだもんね。わたしもばあやに会ったら、またおいしいクッキーを焼いてもらわなきゃ」
「お嬢さま、大切なことをお忘れではありませんか?」
「は?」
「辺境伯さまとのお約束がございますでしょう?」
「あ――」
くわっと目を見開き、クリオは慌てて跳ね起きた。
クリオがミリアムとフィレンツの仲立ちをしていた――という事実は、クリオがこっそりミリアムに頼み込んだおかげで、どうにか闇に葬ることができた。そのためクリオはスパイの嫌疑をかけられることもなく、逆に、混乱に乗じて誘拐されかけていた娘を救ったということで、ミリアムの父から深く感謝されることとなったのである。
「次の休みには、王都のドートリッシュ家別邸にお招きいただき、ミリアムさま、辺境伯さまともに夕食をという話でしたでしょう?」
「わ、忘れてた……!」
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