第10話
「しかし、たとえば仮にあなたがその全てを知っていたとしたら、すべての条件を兼ねそろえていたなら、私はあなたにとって大変失礼な仮説を立てたでしょう。申し上げるのをためらうほどの」
「よかったら、聞かせてください。その仮説を――」
水上早紀の目が、刑事にだけわかる妖しさを、かすかに帯びた。
「では―――」
成海は語った。
―――あなたは婚約者の隠し持つ猟奇性をなんらかで知ってしまった。このまま結婚したら大変な事になる。なんとか婚約を解消したかった。でも、そんな猟奇性を持つような男に別れを切り出したなら、何が起こるかわからない。ストーカーどころの騒ぎではないかもしれない。
あなたは考えた。男を自然に自分から去らせる方法を―――。
一つの方法と一人の女が思い浮かんだ。この男に、あの女をあてがってみてはどうか――。世の女性から恋人を略奪し、幸せを破壊するのが何より悦びの、悪魔のように魅惑的なあの女を。
奇しくも、その女は指輪などを扱っているブランドショップに勤めている。あなたは何かで彼女がその店にいるのを知っていた。彼女はちょっとした有名販売員だったから。その容貌から――性悪性は学生時代と変わっていない、むしろひどくなっている――そう、見てとった。
あなたは偶然を装って婚約者とともに指輪を買いに行く。人の男を奪い取るのが何より悦びの女に、婚約している事を幸せいっぱいに見せ付けるように告げる。男は懸命に抑えているが、明らかに女に魅了されている。女はそれを見逃さない。ただでさえいい男の上に、学生時代の知人の婚約者という絶好の設定に、女の食指が動く。
女は見事に男を誘惑した。男は網にかかった。深みに嵌っていき、自らあなたの元を去った。
その後、短い蜜月を終え、女はいつもの如くゴミのように男を捨てようとした。男の隠し持つ狂気を知らずに。
そして女は惨殺され、男もまた自ら命を絶った―――。
「こんな仮説になります―――」
成海は、一切の感情を交えない平板な調子で、仮説を締めくくった。
―――水上早紀が、ほんの一口だけミルクティを飲み、カップを置いた。
「すごい―――ほんとに小説みたい。でも――その場合、その仮説の中の私は何かの罪に問われるでしょうか」
水上早紀は、成海の目をまっすぐに見つめて、言った。
「いえ、問えません。頭の中だけの思惑や構想を取り締まることなどできない。そんなことをしたら、世の中が犯罪者だらけになってしまう。事実としては、仮説の中のあなたも、実際のあなたも、どこまでも恋人と買い物に行っただけです。何もしていない。その後、あの二人が自由に自分の意思で勝手に動き出しただけです。
……小説、確かにそうかもしれませんね。ですが、プログラムのほうに近いかもしれません。神の配剤のように整然とした美しいフローチャートで組まれたプログラムといったところでしょうか―――」
「プログラム――、一応プロとして言わせていただければ、人間の感情や思惑といった不安定なものを動きに組み込むと、バグが発生してなかなか難しいかもしれませんね―――」
―――二人は互いに言葉を発さない。
沈黙を破ったのは、早紀だ―――。
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