第9話



「最後に一つだけ、お聞かせください。交際時、矢並に特定の宗教や思想の影響を強く感じるような事はなかったですか」

 

 用意していた質問だったが、もう意味を成さないだろう。そう思いながらも聞いた。



「宗教や思想……」


 彼女は視線を下げ、考えをめぐらせる。


「いえ、特には――。プロポーズを受けた後、お互いの家の宗派の話が出た事がありましけど、親に確認しないとわからないけど、まあ仏教なんだろうな……という程度で流れていきましたから。なぜですか?」



 成海は一瞬迷った。告げるべきか。捜査情報を漏らすことは職務違反になる。つい先ほどまでなら、告げなかったに違いない。


 だが、もしも今しがた脳裏を駆け抜けた突拍子もない考えは―――。

 その通りだとしても、事件全体には何の影響も及ぼさない。


 ―――事件の端緒も、経過も、結果も。




 ならば、少し冒険してみるか―――。成海は腹を括った。






「矢並が、不可解な言葉を残しています――」

  

 早紀が、不可解……? といった表情を浮かべた。


 「大きく報道されているのでご存知だと思いますが、矢並は自分の最後の様子を動画に撮っていました。実はその際、矢並はカメラに向かって言葉を残しています。それは報道されていない」



 成海は、早紀を見つめながら、どんな微細な表情も見逃さない決意とともに言った。


「矢波は最後に、奇妙な笑みを浮かべながら、カメラに向かってこう言い残しました―――『神の配剤だよ』――と」



「神の配剤―――」


 水上早紀は、微塵も表情を変えない。眉ひとつ動かさない。


「不思議な言葉ですね」


 そういいながら、ミルクティーのカップを手にとる。


「刑事がこんな事をいってはキリがないんですが、何故あの二人は出会ってしまったのか――という思いがあります。あの二人は、まるでガッチリと組み合うピースのようでした。まるで誰かに意図的に巡り合わされたように―――」


 早紀の表情は、やはり動かない。


「もしも――あの二人が出会ったのが偶然ではなく、矢並の猟奇性嗜好と真堂の性悪性を知る人物にあてがわれたとすると、その組み合わせが辿る結果をある程度予測できたのではないかと―――」


「目論見をもって、あてがうという事ですね」


「ええ――。まずは人の幸せを破壊するのが生きがいのような女に格好の餌となる男をチラつかせる。高い確率で女は男を絡めとる。そして女は、必ず男をゴミのように捨てる。その時、猟奇性を隠し持つ男がどんな行動を起こすか、起こし得るか―――」



「なるほど……小説みたい……。もし私が彼の猟奇性を知っていれば、に私は当てはまらなくはない――ですね?」



「お気を悪くされないでください。刑事は突拍子もない事を想像するのも仕事のうちですので。あくまでも仮定の話です。

 あなたは彼の猟奇性を知らなかった。真堂留美の性悪性についての情報も昔のものでしょう。現在、彼女があの店で働いている事もご存知なかったようです。たまたま入ったブランドショップに古い知人である真堂留美がいただけです。



 水上早紀は、身じろぎもしない。表情も微塵も動かない。



 

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