第6話



 早紀は、やんわりと首をふる。

「成海さんは、いつもこのような事件ばかりを?」


「あんな凄惨な事件は少ないですが、歓迎したくないものばかりです」


「仕事とはいえ、人間の闇を見つめる続けるというのは、苦しいものなのでしょうね」



 確かにそうだ、犯罪が尽きる事はない。刑事になって十数年、毎日毎日、人間の闇ばかりを見ている。犯罪者ばかりを相手にしていると、むしろ平穏な世界のほうが虚構なんじゃないかと錯覚する事すらある。人間というものが、わからなくなる。



「私に子供はいませんが、もし父親だったなら『刑事にはなるな』というかもしれません。世の中の大半は、犯罪などとは無縁の善良な人たちです。できれば、そんな人たちが相手の仕事をしてほしい」

 


 思わず苦笑いをもらしながら成海が言うと、早紀は何も言わず、その知的で涼やかな目元をやわらげた。



 この女性はおそらく包容力もあるのだろう、そう思いながら成海は続ける。



「我々は、人間の闇に慣れています。ですが、被害者、あるいは加害者周辺の一般の方はそうはいかない。心に押し寄せる大きな波に人生が変わってしまう方もたくさんいます。あなたも事件後、大変だったのではないですか」



「……そうですね。色々な事を考えました」


「たとえば――?」



「事件のあの猟奇性が、いつか自分に向けられていたら――、あるいは見知らぬ他人を犠牲にした時に妻であったなら――そんな事を考えると怖くなりました。でも……あんな凄惨な……。あの……人間が持つ異常な性癖や猟奇性というのは、隠せるものなのでしょうか」




「一概にはいえません。虫も殺さないような顔をして、異常性や残虐性を隠し持つ人間はいます。自分自身が気づいていないケースもあります。発露するのは、キッカケ一つなのかもしれません。事前に見抜けるのが一番いいのですが、なかなか――」


 早紀は、神妙にうなずく。そして問うた。


 「逆に――、凄惨な事件を起こしておきながら、おくびにも出さず誰にも気づかれずに振る舞うというのは?」



 矢並恭司が、正にそうだった。

 だが、それは言えない。矢並が過去に同じような猟奇殺人を犯している事実は、報道にも漏らしていない。



「それを許さず、一人でも多く検挙するのが我々の仕事ですが、今もこの世にそういう人間はいます。善良な仮面をかぶって何食わぬ顔で社会にまぎれています」



「一人でも、そんな人間が減ればいいですね……、頑張ってください」


「ありがとうございます」

 


 ここからは―――、ある意味において今まで以上に話しにくい。

 

 女性同士の問題は―――、刑事になっても、40歳を間近に控えても、成海には今もってして読みにくい。


「真堂留美さんとは、大学のサークル仲間だったんですよね」


「ええ、隠していたわけではないんですが……」


 その通りだ――。我々が確認したいだけの、おざなりの質問しかしなかった。


 婚約者から一方的に別れを切り出されるだけでもつらい話だ。まして、その原因が自分の学生時代の知人に乗り換えるためだとなると――、


 さらに――、婚約者とその知人は、猟奇殺人事件の加害者と被害者になった―――。




「―――あの日から始まったんだと思います」


 水上早紀は、思い返すようにゆっくりと言った―――。




 

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