第4話
ホテルのエントランス脇のカフェで、成海警部補は、ある女性を待っていた。事件は半年前に終結している。捜査ではないため、相棒は伴わず一人で話を聞かせてもらう事にした。女性に形式ばった印象を与えたくなかった。
入り口を見渡せる席でコーヒーを飲んでいると、ひときわ姿勢の美しい女性が現れた。
成海は立ち上がり、女性に向かって頭を下げた。
女性が成海に気づき、会釈を返しながら席にやってくる。
「本日はお時間をいただきまして、すみません」
「いえ―――」
女性は髪を耳にかけながら、頭を下げる。
「どうぞ、お座りになってください」
やってきたウエイターに、女性はミルクティを頼んだ。
―――この女性には事件直後、ほんの形式的な話だけを聞かせてもらった。
矢並恭司のプライベートは真堂留美との交際以前、この女性が主だった。スマホやSNSの履歴などから、それは明らかだった。
矢並はこの女性と切れた後、真堂留美との交際を始めた事になる。
自分の元を去り、他の女に走った挙句、その女を殺し、自殺――。
そんな男の事など、話したくはないだろう。
だが、それを聴くのが刑事の仕事だ。成海は相棒と共にこの女性の元を訪れた。もっとも、事件としては綺麗な収まりをみせているため、通り一遍の簡単な確認のためだった。
言葉少なに女性は語った。
「恋人でした。ただ、別れてからの事はなにも――」
その言葉にウソはなかった。事件発生の4ヶ月ほど前から、矢並とこの女性双方のスマホの履歴は、突然遮断されたように途切れ、その後ただの一度も連絡が取られた形跡はない。
世間を騒がせた猟奇殺人事件の犯人と、かつて交際していた――。
それは、トラウマとなってもおかしくない。
だが、目の前に座る女性―――水上早紀は、そんなことを全く感じさせない凪いだ海のように穏やかな表情を浮かべている。成海のちょうど10歳下の29歳という年齢の割りに、落ち着いた印象を受ける。
惨殺された真堂留美とは対照的だ。
留美は肉感的で、男を狂わせるような色気が全身から迸っているような女だった。
水上早紀には、男を安心させるような慎ましげな楚々とした美しさがある。
品のいいシルバーグレーの細身のパンツスーツが、よく似合っている。
矢並も留美などに関わらず、この水上早紀と結婚していれば、まったく違った人生があったのではないか。それともやはり、己のうちに抱える闇に抗えず、どこかで道を踏み外したか―――。
俺ならこちらの方がいいが……などという職務に無関係な想いが、成海の頭を一瞬かすめる。
―――ウエイターが、彼女の前にミルクティをそっと置いた。
細く美しい指先が、カップをやわらかく包んだ。艶のある透明の爪にほのかな色気が漂う。プログラマーという職業が、彼女に過度に爪を飾らせないのかもしれない。
矢並が留美と交際する前、婚約していたのが、この水上早紀だ―――。
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