寄リ合ウ
あいだしのぶ
寄リ合ウ
布団に寝転がりながら屁をぶっこき、そろそろ仕事のプレゼン資料をまとめるかとパソコンを立ち上げるもインターネットの海を遠泳し、小腹が空いて検索した「緑のたぬき」という単語にヒットした「ショートストーリーコンテスト」の募集ページを開いたところで俺の休日の過ごし方が決まった。三年前から今日まで続くあの争いを書き留めたいと思ったからだ。
俺の住んでいる地区では年に二、三回ほど寄合というご近所会議を開催する。家から歩いてすぐのところにある公民館に多いときには三十人以上が集まるのだ。話し合うべき議題は多々あるが、主な目的は頻繁に顔を合わせて地区の結束を強めることだ。そのせいか町内会費も高い。田舎の悪しき風習ではあるが、寄合があるおかげで独身で初老を迎えた俺も孤立することなく生活できているのだ。
秋の暮れの寄合である。仕事明けで疲れはあったが誰かと晩酌できるのが嬉しく、揚げ物ばかりのオードブルをつまみに俺は日本酒を飲んでいた。ぐでぐでに酔ってしまったせいでその日公民館で何を話し合ったのかまったく記憶に残っていない。ただ、締めのラーメン代わりに出てきたあのカップ麺の香りは今でもすぐに思い出せる。
「おいおい、安かったのか」
おそらくは日本一有名であろう赤いカップ麺に湯を注いでいる赤井に声をかけた。赤井は俺と同年代の女性で隣の家に母親と二人で住んでいる。赤井というのはもちろん仮名でこの話の主題からとった名前だ。ちなみに俺は緑野である。
「安かったってどういう意味?」
「だってお前、赤いきつねばかり買ってるじゃねぇか。二十人以上集まってんだから普通、両方用意するだろ。俺、緑のたぬきが食いてぇし」
「箱で買ったんだからしょうがないでしょ。あんたの好みは知らないけれど世間的には赤いきつねのほうが人気なんだし、文句言わないでちょうだい」
「なんだと」
別に怒っちゃいなかったが酔って気が強くなっていたようで、俺は熱弁を振るった。
「酒の締めには緑のたぬきだろうが。あのぽそぽそした麺と汁を吸った天ぷらの相性が最高だ。ああちくしょう、食いたくなってきたじゃねぇか」
「どう考えても赤いきつねのほうが美味しいでしょ。麺にはコシがあるし大きなお揚げにはスープとは別に出汁が染み込んでる。ほら、いい匂い」
「赤いきつねも嫌いじゃねぇよ。でも緑のたぬきのほうが美味い。どちらか選ぶなら緑のたぬきを選んでほしかったってだけだ」
「いちいちあんたの馬鹿舌に合わせてたら誰も寄合に来なくなっちまうよ」
「面白えじゃねぇか」
赤井も酔っていたのだろう、はっきりと挑発されてしまい何だか笑えてきた。俺は畳に立ち上がり、集まっていた二十余名の老老男女に問いかける。
「赤いきつねと緑のたぬき。奴らは俺が生まれたばかりの頃からライバルとしてバチバチにやり合ってる。本当に優れているのはどっちなのか今日俺たちで決めてやろうじゃねぇか」
寄合と何の関係もない論争だったが、ジジイもババアも大盛り上がり。風味や食感だけでなくロングセラー商品ならではの思い出まで掘り起こし、舌がもつれるほど語りまくった。
酒瓶を逆さにしても汁の一滴も出なくなり、いよいよどちらのカップ麺が人気か決めるときが来た。投票は挙手で行われ、結果はたった一票の差で赤いきつねの勝ちだった。
「ほら見なさい。きつねのほうが人気じゃないの」
天狗になった赤井が伸びに伸びた鼻を偉そうにふんと鳴らした。
「いいや、さっきお前が赤いきつねを出したから票が多めに入ったんだ。緑のたぬきが出されてりゃ結果は違ったはずだ」
「往生際が悪い」
「たった一票差だぞ。見ろよこの茹でダコそっくりのジジイども。目の前にあるカップ麺見て何となく票を入れた奴がいるに決まってる」
「それがどうしたっての」
「こうしよう。次の寄合は年明けだ。そのときもう一度投票するんだ。俺は緑のたぬきを持ってくるから、お前は赤いきつねを用意しろ。食べ比べてこそ真実がわかるってもんだ」
たぬきがきつねに負けるなんてどうしても納得できなかった……というわけではなく、俺はこういうくだらない論争が大好きなのだ。
「わかった。次回はもっと票差を拡げてやるから」
天狗っ鼻を隠そうともしない赤井もまた論争好きな俺と同じ性質を持っているようだ。
赤いきつねと緑のたぬき、どちらが好きか問われた際にはっきりとした答えを持たない層は一定数存在している。そういった浮動票を寄合の日に味方につけられるかどうかで勝敗が決まるはずだ。
俺は緑のたぬきの勝利を確信していた。次の寄合は年明け、つまり大晦日を跨ぐことになる。各家で年越し蕎麦が食べられるのだ。
当然、俺は抜かりなく近所のジジババに「買い過ぎた」と言って緑のたぬきを配って回った。あからさまな賄賂であるがそれを禁ずる法律はない。前回の寄合では赤いきつねを食べたのだからこれで公平とすらいえる。俺自身、年末恒例のお笑い番組と紅白歌合戦のチャンネルを往復しながらあえてお湯少なめで作った蕎麦を堪能したが、やはりあの強い香りと天ぷらの混じったスープののど越しはくせになる。貴重な一票を持つジジババは帰省してきた子や孫と緑のたぬきを食し、幸せな年末を過ごしているはずだ。もはや奴らはパブロフの犬のように緑のたぬきを見たら幸せのよだれを垂らすに違いない。勝敗は寄合が始まる前に決しているのだ。
そうして、いざ新年会。会場は前回と同じく公民館だ。各人、年末年始の愚痴を洩らしながらもほっこりした笑みを浮かべている。酒を飲み飲みゲップをし、和やかな時間を楽しみながらも俺の頭の中は赤井との勝負でいっぱいだった。赤井も赤井で「この前、味噌汁の出汁がさぁ」という話をジジババに振っている。蕎麦やうどんを意識しすぎて食の話題しか出ないのだろう。
酒が尽きようという頃合になるとヤカンを火にかけ、締めのカップ麺にお湯を注いでいく。前回の寄合では通常サイズの赤いきつねを食したが、今回は食べ比べである。一度に二杯食べるのは難しいので、事前の取り決めで俺が緑のまめたぬき、赤井が赤いまめきつねを買ってきている。おにぎりのお供サイズのミニカップ麺だ。
カップ麺の蓋を半分剥がし、お湯を注いでジジババに渡していく。「絶対たぬきのほうが美味いから」と念を押して、さぁ試食会の開催だ。
「わざわざ小さいのまで用意して、赤井も緑野も意地っ張りだな」
ジジババは楽しそうに言い、赤、緑、赤、緑と交互に箸をつけていく。公民館の窓が曇り、ホクホク笑顔が増えていく。
「どちらも味わい深く、甲も乙もない」
そんな意見がいくつも聞こえた。しかしこれは俺と赤井にとって待ちに待った勝負なのだ。それでも優劣をつけるならばと挙手で投票してもらった。
結果、三票差で赤いきつねの勝ち。俺は世界の終わりを体現するようにがっくりと頭を垂れ、畳に両手両膝をついた。ぐらぐら視界が揺れている。もちろん世界は平穏で目眩は酔っ払ったせいだ。
「まったく浅はかだねぇ」
笑いを堪えきれない赤井。
「浅はかってなんだよ」
「年末に年越しそばとして緑のたぬきを配ったでしょ。それくらいできつね様に逆転できるはずないじゃない。さぁ負けを認めなさいな」
「くそぅ。せっかく買ってやったのに恩知らずどもめ。手を挙げないなら金返せぇ!」
悔しくて手で畳をポンポン叩いた。バンバンではない。ジジババに心臓発作を起こされてはたまらない。
「あーあー、そんなに激しく動いて、お腹が減ったんじゃないかい。赤いきつねでよければあるよ」
赤井はからからと陽気に笑うと、赤いまめきつねのダンボール箱を二つ抱えて持ってきた。二箱とも半端な減り方をしており、半数以上の赤いまめきつねが中で重なっていた。
「あんたが酒に飲まれている間、私はこのカップ麺がみんなの舌に合うように味付けの好みを聞いていたんだ」
「味付けの好みなんて知って何になる」
「関西風と関東風」
「ああ!」
そういえば聞いたことがある。うどんや蕎麦は地域によって好まれやすい味があり、赤いきつねや緑のたぬきは販売する地域に合わせて味付けをしているらしい。赤井は関西風と関東風、二種類の赤いまめきつねをインターネットで購入し、食べる人の好みに合わせて提供していたのだ。
「卑怯だ」
「賄賂男が何を言う」
「ぐぅ」
ぐぅの音しか出なかったため赤いきつねの勝ちが確定し、拍子の合わない一本締めで寄合は解散した。
石油ストーブの火が消えると部屋は急速に冷えていき、手袋をした鍵番が「早く帰ろう」と急かしてきた。それでも俺は論争の決着に納得できず、座り込みデモをする大学生の気概をもって緑のたぬきのほうが絶対美味いと主張した。
すると俺の説得役に残った赤井が早く帰りたかったようで「じゃあ次の寄合でもう一回食べ比べするかい」と提案してきた。次があるならば今回の負けは負けではない。
「たぬきも二種類用意するからな!」
俺はすっくと立ち上がり、寒さから逃げるように小走りで玄関に向かうのだった。
それから三年経った今、人気投票は年に一度の恒例行事となっている。赤いきつね派と緑のたぬき派が寄合の場で激論を交わすのだ。もう俺と赤井だけの争いではない。地区を二分しての合戦である。
しかし残念なことに緑のたぬき派はまだ一度も勝利を収めたことがない。
「ちくしょう、また票が足りなかった」
そう言って悔しがってはいるが、結果はそれほど重要ではない。投票の過程であれこれ言い合うことが楽しいのだから。
赤いきつねと緑のたぬきは誰も傷つけない優しい対立を四十年以上も続けている。湯気立つ天ぷらやお揚げ同様、温かい話題を提供し続けている。
さっき赤井の家に回覧板を置いてきた。年が明けたらまたやるぞ、と書き添えて。
寄リ合ウ あいだしのぶ @nekotokoneko
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