第562話「ふっかけてます」(メリサンド視点)





 向かってくるマーマンは7匹、それに混じっているヒューマンは1匹。

 何となくどこかで見たような気がすると思ったメリサンドだったが、すぐに思い出した。

 あれは先日の闘技大会に出ていたチームだ。

 マーマンたちは見覚えのあるヒレの形をしているし、ヒューマンが着ている上着も覚えている。


〈ようやくこの日が来たな、海魔め! 今日こそ、貴様に殺された我らが王の仇を討つ!〉


 興味本位で移動を止めたエンヴィに向かい、マーマンのリーダーらしき個体がそうエラを震わせた。

 すると他のマーマンたちも口々に──エラエラに、と言うべきなのかもしれないが──わめきたてる。

 1人だけ混じっているヒューマンは無言のまま口を引き結んでいるが、彼はエラを持っていないため水中で喋る事が出来ないのだろう。

 しかし結構な深度であるこのあたりで普通に活動しているところを見るに、水中で呼吸できる何らかのスキルか魔法を修めているようだ。

 メリサンドは生まれつき水中でも陸上でも呼吸が出来るため気にしたことがないが、確か『風魔法』をある程度鍛える事で体得できるそういうスキルがあった気がする。

 とはいえ簡単な事ではない。弱そうに見えるが、それなりの経験を積んでいるはずだ。


〈我らはあの闘技大会の本戦にも出場した! それはこの世界において上位の実力を持っているという事に他ならない! 本戦に出場すら出来なかった貴様では、我らの連携に勝てるはずがない!〉


 いや、その理屈はおかしい。

 あれはそもそもが自由参加の大会だった。知性の高い魔物については、ある程度世界を知り、その上で自信がある者は参加していたが、警戒して参加しなかった者も当然いるだろう。知性の低い魔物の中には訳も分からず参加していた者もいたようだが、その中で予選を抜けてきたのはオークキングくらいだ。いや、オークキングは言葉こそ話せないもののそこそこ知性があったので、危険を承知で参加したのかもしれないが。


 メリサンドがかつて争った事もある海皇イプピアーラだが、現在はレアの手によってすでに討たれている。いや今のマーマンの言い様からだと、殺ったのはエンヴィなのだろうか。仮にそうだとしてもレアが命じた結果だろうし、重要なポイントでもないが。

 ともかく、あれがもし生きていたとしても、おそらく闘技大会など警戒して出場しなかっただろう。

 彼の賢さと慎重さは残念ながらこのマーマンたちには受け継がれていないようだ。

 そのような用心深い実力者が存在する可能性を考えないというのは、少々短絡的に過ぎると言わざるを得ない。


 もっとも、そうした知性ある魔物たちの集団の長と思われているレアが堂々と参加し、そして優勝してしまった事で、慎重な実力者の存在を想定しにくくなっているというのはあるかもしれない。

 異邦人ならばなおさらそう考えるだろう。あの1人だけ混じっているヒューマンは、確か異邦人だったはずだ。


 レアは確かに迂闊なところもあるが、だからといって慎重でないわけではないし、何も考えてないわけでもない。

 エンヴィや蟲の女王をはじめとする、配下の強力な魔物たちを出場させなかったことからもそれはうかがえる。


 そういう情報の齟齬や思い込みが重なった結果、性懲りもなく何度もリヴァイアサンに挑むという愚行に繋がっているのではないだろうか。相手にせずに無視して移動を優先するエンヴィの姿勢も、まあ見ようによっては逃げているように見えなくもない。応戦する場合はすべて始末するため、リヴァイアサンの正確な情報が持ち帰られる事もおそらく無いのだろうし。


〈覚悟しろ! ゆくぞ──〉





 エンヴィが泳ぎを止め、マーマンたちの与太話に付き合う事にしたのは、ヒューマンが混じっていたのが気になったからだろう。

 つまり、ヒューマン以外の者たちには用は無い。


 銛を構え、気炎を上げて突撃してきたマーマンたちは、動き始めると同時に残らず圧殺されていた。


 薄暗い海中に、ゆらりと死体と血が漂っている。

 ひとり残されたヒューマンの男は震えながらそれを見ていた。


〈お前はどうするです? ていうか、よく見たらどこかで……。ああ、もしかして港で頭を吹き飛ばされた奴です?〉


 ヒューマンの男はエンヴィと知り合いらしい。

 しかし相手の方には心当たりがないようで、死んだばかりの仲間のマーマンの死体を見てブルブル震えている。


 いや、そもそもエンヴィの言葉も届いていないのかもしれない。

 エラを震わせて水中で会話をする技術は海に棲む知性ある魔物の嗜みではあるが、当然ながら大気中での会話とは勝手が異なる。大気中を伝わる音を聞く事に慣れた者では理解するのは厳しいだろう。


〈のうエンヴィ。こやつおそらく異邦人じゃぞ。殺したところで復活するじゃろうし、こやつらが現れた方向からすると拠点はおそらくマーマンの集落じゃろう。話したところで会話になるわけでもないし、とっとと始末して先に用事を済ませに行かぬか?〉


 用事を済ませる、という言葉に納得したのかエンヴィは頷いた。レアの配下は概ね過激でやりすぎる傾向にあるが、高い忠誠心のおかげか主命を果たす事をおろそかにはしない。


 エンヴィが頷いた次の瞬間、ヒューマンの男も潰されてミンチに変わる。

 装備も全て砕け散り、黒い上着だけが肉団子に張り付いている。が、エンヴィに吸い込まれる前にそれらはすぐに光になって消えていった。


〈思ってたより柔らかかったです〉


 マーマンよりも死に方が派手だと思っていたが、防御力の違いらしい。


〈でも、メリサンドがいてくれてよかったです。ひとりだったら、今のニンゲンをいたぶる事にかまけて目的を忘れてたかもです。やっぱり引率のお姉さんは重要です〉


〈ああ、うむ、それはよかったの……〉


 歳上──だと思う──としてはもう少し頼りがいのある部分に重要性を見い出してほしかったところだが、実際戦闘力でも移動能力でも負けているため仕方がない。





 それからも数度ほどマーマンの群れを見かけたが、いずれもエンヴィには追いつけなかった。


 そんな襲撃も集落の近くだという海域を離れるにつれ減っていき、やがてエンヴィを襲うものは居なくなった。

 ハラヘリコプリオンやシュガードラゴンらしき影は時おり見かけるものの、それらの魔物は襲ってはこない。実力差がわかっているから、というよりは、単純にエンヴィの方が大きいからだろう。大きければ強いとは限らないが、自然界においてその大きさになるまで無事に成長したというのはそれだけで一定の強さの基準になる。

 だから普通、自分よりも身体の大きい相手を襲う者はいない。やはり現在のマーマンたちは異常だ。


 障害が無くなったメリサンドたちはそのままエーギル海を横断していき、やがて極東列島まで辿り着いた。









「──おお! マグナメルム様でねえですか!」


「ん。久しぶり、です」


 エンヴィが『人化』を発動し、砂浜から島へ上がっていくのを見てメリサンドも同じようにした。

 砂浜の向こうのちょっとした林を抜け、ヒトのものらしき集落に足を踏み入れたところで、エンヴィにそう声をかけてきた者たちがいた。

 地上の人類か、と思ったが少し違う。

 これがエンヴィが言っていた、この地に住む精霊たちだろう。


 話しかけてきた精霊の「マグナメルム様」という言葉が聞こえてか、集落の家から次々と精霊たちが現れる。

 中には地面に膝をつき、エンヴィを拝もうとする者までいるほどだ。


「そちらの方もマグナメルム様ですけ?」


 その言葉を皮切りに、ばっ、と一斉にメリサンドに精霊たちの目が向けられる。


「ひっ」


 その目はどれも爛々としており、つい引いてしまった。

 熱量が怖い。


「そうです」


「おお! そりゃあすんばらしい! さあさ、どぞどぞ。ぜひお茶でも飲んでいってくだせ!」


 精霊たちの中で最も実力が高そうな者に促されるまま、エンヴィとメリサンドは家へと招かれた。

 道中ではエンヴィを見かけた精霊が後をついてきて、家に着く頃には集落中の精霊たちが集まってきているのではと思えるほどの数になっていた。


 案内された部屋では奥の方に座らされ、やたらと濃い茶を飲まされた。

 茶菓子も出たが、ライラの作るものとは違い、こちらは甘いながらもしつこくはなく、濃い茶によく合っていた。


 招かれた家は集落の中では広い家のようだったが、それでもついてきた精霊たちが全員上がれるわけではなかった。というか、部屋にはメリサンドたちのほかにはこの家の者しか入らず、残りは家の外、庭のような場所に直接座り込んで宴会を始めているようだった。

 歓迎したい気持ちは伝わってくるが、なんというか、重い。


 家の者から茶や菓子を振る舞われながら、家に招いた精霊から世間話を聞く。

 マグナメルムが去ってからここ最近で起きた事などを話してくれている。


「──というわけでして、マグナメルム様に敵対するかもしれねえっつうお客さんらもちょいちょいみえるんでさ。どうもわっしらの作る生活用品にたいそう興味があるようで、ふっかけてもふっかけても買っていきなさるもんでね」


 そう言いながら見せてくる生活用品とやらはメリサンドが見てもなかなかの逸品であった。そして見覚えもあった。こんなような道具を使っている参加者が闘技大会に居た気がする。

 なるほど、マグナメルムに敵対するかもしれない客というのは異邦人の者たちのようだ。


 これほどまでに狂信的にマグナメルムに心酔している精霊たちが、敵対するかもしれない相手に物を売るというのはよくわからないが、一応ふっかけてはいるらしい。


「どうしても欲しいって言いなさるし、そういう意味じゃあ、困ってるようにも見える。それならマグナメルム様がたに倣ってわっしらも助けてやらにゃあという事でね。

 まああの人らに生活用品を売ったところで、仮にマグナメルム様と敵対したとしても何か出来るとも思えんし」


 まるで「マグナメルムは困っている人を助けるのを信条としている」かのような言い方である。

 むしろ真逆に思えるのだが。


 その点はともかく、生活用品とやらを少々売ったところでマグナメルムに通用しないというのは確かだろう。

 闘技大会で見た程度のものなら、確かに面白いがアイデア商品の域は出ない。

 メリサンドたちはもとより、バーガンディなる骨の竜にも通用しまい。


 ひとしきり、話したいだけ話をさせた後。

 黄金龍復活の情報と日程を精霊たちに伝え、島を去った。


 数少ない、純粋に好意的な勢力である。当日は精霊たちを護衛する者も必要だろう。

 黄金龍の端末が厄介なのはメリサンドも知っているが、倒すまではいかなくても耐えるだけならそこまでの力は必要ない。何ならカナルキアの上位戦士たちを寄越してもいい。どうせ当日は渡し船代わりに使われるのだ。乗員は少ない方が良い。

 別に上品な茶菓子に釣られたわけではない。


 なお、帰りがけに寄ったマーマンたちの集落にはもうヒューマンはいなかった。

 復活地点はここではなかったのだろうか。

 エンヴィが少し残念そうにしていた。




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