第560話「3人寄れば余りが出来る」(メリサンド視点)
「では改めてよろしくです。エンヴィです」
メリサンドの前に立った小柄な少女がぺこりとお辞儀をした。
非常に可憐な少女だ。老若男女問わずつい声をかけたくなる容姿をしている。
だがその表情は乏しく、人間味が感じられない。
──『人化』の下手な娘じゃな……。
『人化』を必要とする魔物はいくつか種類があるが、その目的は大きく分けて2種類ある。
ひとつはヒューマンに化けることで獲物に餌だと誤認させ、油断して近付いてきた獲物を狩るためだ。
この場合は『人化』の精度は適当でも問題ない。ヒューマンを餌としか認識しない魔物にとって、細かい仕草や雰囲気がヒューマンと多少違っていたところで餌に変わりはないからだ。
もうひとつの目的は、人類に混じって生活する事で生存率を高めるというものだ。
ヒューマンというのは人類の中でもクセの少ない種族で、ほとんどの地域において最も生息数が多い。それだけ生存性に優れているということであり、その社会に庇護さえしてもらえれば容易に死ぬ事は無くなる。
こちらの場合は細かな仕草や違和感でも致命傷になりかねないため、かなり高精度な『人化』の技術が要求される。
そんな『人化』が下手だという事は。
この娘にとって『人化』というのは餌をとるための手段に過ぎないという事だ。
生まれて間もない幼子だというならまだしも、伝説に聞くリヴァイアサンにまで至った娘だ。熟練度が足りないから下手などという事はあるまい。単純に精度が必要ないから下手なのだろう。
レアという、人型状態が標準である主君に膝を折る事になったから最近使い始めた、とかそんなところか。
「ええと、それで、お主が案内してくれるんじゃったな」
「うん、はい。そうです」
メリサンドはこのエンヴィに極東列島まで案内してもらう事になっていた。
*
レアがどこかへ去り、ライラとブランがジェラルディンを連れて南方大陸へ行ったところで、会議室にはメリサンドとゼノビア、それと教授と呼ばれる3人が残された。
ゼノビアとは話した事があったが、教授と話した事はあまりない。
ゼノビアにしても話した事があると言っても別に仲が良いわけではない。友達の友達、という感じだ。
一方でゼノビアと教授はそれなりに仲が良いらしく、ライラの作ったケーキを食べながら普通に談笑をしていた。
メリサンドにとってはちょっと辛めの空気である。話しかけるのも躊躇われる。
そうした状況で気配りが出来そうなバンブも今は異邦人の女と遊んでいる。
メリサンドには俯いてケーキを食べることしか出来なかった。
会話に混ざれないからとか、話しかけられないからとか、そういうことではなく、自分にとっては今ケーキだけが重要だから、それ以外に意識を割く事は出来ないのだ、という精一杯のアピールだ。
会話に混ざろうと思えばいつでもできるが、今はケーキの方が大事なので、それは敢えてしないだけなのである。
そのまましばらく拷問のような、いやケーキを味わう至福のような時間を過ごしていると、食堂の扉をノックする音が響いた。この部屋を、レアは食堂ではなく会議室と言っていただろうか。どちらでもいいが。
「──失礼するです。主様に言われて来たです。ブラン様を連れて極東列島に行くようにと」
入ってきたのは小柄な少女だった。
「お、おう! よう来たの! ブランはおらんが、菓子はあるぞ! 主というのは誰の事じゃ?」
メリサンドは立ち上がり、少女を迎え入れると自分の席の近くに座らせた。
4人目だ。素晴らしい。
3人だから会話に困るのだ。4人いればそのような事にはならない。
それにこの娘からは自分と同じ海の匂いがする。
と言っても物理的な匂いではなく雰囲気のようなものだ。別にこの娘やメリサンドが磯臭いわけではない。
「ありがとうです。エンヴィの主様はレア様です。あの、ブラン様はいないのですか?」
「ブラン、か……。奴は……」
ブランは変態サイコ野郎に拉致されてしまった。
ジェラルディンが付いているから尊厳を奪われるような事態にはならないと思うが、ジェラルディンはジェラルディンで常識に欠けるところがある。
最初に出会ったころは、地上の常識とは海の中のそれとはだいぶ違うのだなと思ったものだが、今ではそんなことはないとわかっている。
あいつらがみな非常識人であるだけだ。
「まあ、きっとそのうち無事に帰ってくるじゃろ。で、ブランに何の用なんじゃ」
「ブラン様が極東列島に伝手があるなら、黄金龍復活? についてそっちにも周知しておいた方がいいんじゃないかと主様が……」
「ああ、そういえば今さっき極東列島とか言うとったな。極東列島か……。わしゃ行った事ないのう」
「──ふむ。私も行った事がないな。興味がある。その役目はブラン嬢でなければいけないのかね」
教授が会話に入ってきた。
メリサンドは名状しがたい苛立ちに襲われた。
そちらはそちらで仲良く話していたはずだ。この上こちらの会話の主導権まで奪おうとするとは。
「いちおう、エンヴィも向こうの精霊たちと面識があるので、ひとりでも話は出来るです、けど。主様がひとりはダメだって」
「なるほどそれでブラン嬢か。そういう理由なら、別に引率は誰でもよさそうだね」
「いやよくはなかろう!」
「なぜだね」
「うっ」
苛立ちのまま反射的に教授の主張に反論してみたものの、冷静に返されてしまうとそれ以上が続かない。
「それはじゃな……。そう、お主じゃ引率に向いとらんじゃろう! 自分の興味とか、欲望とかを優先して肝心の仕事を疎かにする危険がある!」
実際にそうした場面を見た事があるわけではないが、レアやライラがそう言っているのを聞いたことがある。
あの2人もたいがいその傾向があるのでどの口が言っているのかと思いながら聞き流していたが、そんな2人に言われるくらいだし相当なものなのだろう。
「……耳が痛いな。
だが言いたくはないが、それならブラン嬢なら引率が向いているかと言うと、そうでもないのではないかね。先方と顔見知りであるというアドバンテージを差し引いてもどっこいどっこいだ。顔見知りと言うだけならそこのエンヴィ嬢がいるしね」
「うっ」
確かにその通りだ。ブランが対人交渉に向いているとはとても思えない。
メリサンドとの初対面時のように戦闘力を盾にして首を縦に振らせるというのなら出来るだろうが、それなら誰がやっても同じである。
別に交渉が目的ではないが、レアの宣言した黄金龍復活について周知させに行くのであれば、少なくともそれらの情報を相手に滞りなく伝える能力はあった方が良い。
その点で言えば、この教授の弁舌に勝るものはないと言える。
何せメリサンドもたった今論破されたばかりだ。
何か他にこの老人をやりこめてやる材料はないだろうか、と周りに視線を走らせる。
ゼノビアが我関せずとばかり菓子を食い、紅茶を啜っていた。
メリサンドの隣ではエンヴィも菓子を食べている。そういえば持ち主のライラに確認を取らずに勧めてしまったがよかっただろうか。いや元はメリサンドやブランに対する詫びの品だったはずだし、それをメリサンドがエンヴィに食わせるのは問題ないはずだ。
ライラも教授とゼノビアに「片付けておけ」と言っていたし──
「そ、そうじゃ! お主らはアレじゃ、この菓子を片付けておくという任務があるじゃろ!」
「む」
教授が眉をひそめた。
これだ。
この方向性で押し切るのだ。
「確かに、レアがブランでも出来ると判断したのならお主でも出来るじゃろう。ブランが居ない今、代役はお主でもいいかもしれん。じゃが、お主にはそれとは別にやるべき事がある。
いいのか? ライラに言い付けられた仕事を放り出して。あ奴は恐ろしい──というのとはちょっと違う気もするが、なんかヤバい奴じゃぞ。何されるかわからんぞ」
異論は認めない。
「……ふむ。まあ、そうだね」
異論は無いようだった。
「いんべんとり? とかいうのに仕舞っておくって手もあるけどね。まあ、片付けておけってそういう意味じゃないだろうし、癪だけどあの女なら隠したことすら気付きそう」
ゼノビアも同意している。
元はメリサンドやブランに対する詫びの菓子のはずなのに、それ自体が新たな火種を生んでいる。
まったくロクな事をしない。
やはりライラはヤバい奴だ。
「では代わりにメリサンド嬢が行きたいという事なのかね」
「え?」
「え?」
別にそんなつもりはなく、単になんとなく教授が気に入らなかっただけなのだが、そういうことになった。
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