第548話「ボランティア」
姿も気配も何もかもを隠蔽して忍び込んだ帝城は、想定していたより手薄だった。
閑散としていると言ってもいい。
前にも述べたがこの国の社会制度は歪である。
何よりも力を、戦闘力を重視するこの国では、帝城に勤めるともなれば相当な戦闘力が要求される。
しかし城内で必要とされるのは当然戦闘力ではなく管理能力や事務処理能力だ。
普通に考えれば騎士や兵士などの戦闘を生業にするものも必要なはずだが、なにせこの国では偉くなればなるほど戦闘力も増していく。守るべき皇帝が誰よりも強いのであれば、その身を守る騎士など肉の壁にしかならない。
その結果どうなるかといえば、城内に詰める官吏は国内でも有数の文武両道の実力者ばかりになるのである。
文官としても武官としても超一流。
そうでなければユーク皇帝に仕えることなどできないのだ。
そして戦闘力しか能がない獣人たちは城の外、一般兵士として職務を全うする事になる。
グリフォンに騎乗して国防を担当していた兵士たちがそれだ。
そんな超エリートの官吏たちが、仕事をサボってどこかで遊んでいるとは思えない。
皇帝ともども夜逃げでもしたのかと言わんばかりの状況だが、ケリーが皇帝は帝城にいると言った以上、オライオンだけはここにいるはずである。
そんな事を考えながら帝城の最上階の部屋の扉を片端から開けていく。
最も大きい観音開きの扉の先にあった、謁見の間には誰もいなかった。
いなかったが、謁見の間は荒れており、あちこち崩れかけていた。
そうしていくつかの扉を無遠慮に開けていると、やがて人の気配を見つけた。
扉が半開きであるせいだろう。部屋の中のマナの動きも良く視える。
その人物のマナは実に濃密だった。覚えがある気配だ。
レアは半開きだった扉を勢いよく開け放ち、『範囲隠伏』や『迷彩』を解除した。
「──ここにいたのか。探したよ」
「っ! てめえ! あの大会のクソ生意気な女か! なんでここにいやがる!」
ソファに座って独り酒を飲んでいたオライオンが気色ばんだ。
殺気が膨れ上がり、戦闘態勢を取ろうとしたが、レアが目を開いて睨みつけると諦めたように脱力する。
「ちっ! ……何しにきやがった」
「いや、何という事もないのだけどね。優勝した後に宣言したんだけど、きみがあれを聞いていたかどうかわからなかったから一応伝えておこうかと思って」
レアがそう言うとオライオンは不機嫌そうに杯を呷った。
「……ひと月後に封印を解く、とかいうやつか」
「そうそう。それそれ」
別に誰に何を言われようとも今さらやめる気はないが、それでもこのオライオンにとってはあの封印でさえ大切な物のようではあった。
その大切な物が破壊される瞬間がいつなのかも知らないのは少々哀れに思えたのだ。
「聞いていたならいいや。それときみが知っているかどうかは知らないけど、封印されているはずの黄金龍の端末がここ最近、いろんな大陸で目撃されていたりする。
前回は能力不足で封印しきれていなかったのか、それとも時間経過で封印に綻びが出始めているのかはわからないけど、完全に封印を解いた時、もしかしたら現地以外にも何らかの影響が出る可能性がある」
「能力不足だと……!? クソが、人を苛立たせるのがうまい野郎だ……」
「それはどうも。野郎じゃないけど。
で、わたしのわがままで復活させるわけだし、この国にも何らかの被害が出るかも知れないから、先に謝っておこうかと思って」
それと、黄金龍復活を邪魔するつもりがあるのかどうかも探る目的もあった。
この様子ではそんな気も無さそうだが。
「先に謝るくらいなら最初からするんじゃねえ。だが、負けた俺には止める資格はねえか……」
「止める資格なんて別に必要ないよ。嫌ならいくらでも抵抗すればいいんだよ。きみに足りないのは資格じゃなくて実力と覚悟でしょ」
「てめえ、マジで人を苛立たせる天才だな! どういう育ち方したらそんな風になるんだよ!」
それをこの狂った国の元首に言われる筋合いはない。
しかしオライオンは苛立ちながらも、レアを攻撃したり拘束したりしようとはしなかった。
レアが何を言おうとも、負けた以上は従うという自分の信念に殉じようとしているかのようだ。
とはいえ、レアにとってはどうでもいいこと。
邪魔をするのならもう一度叩き潰し、ケリー辺りにこの国を支配させるつもりではあったが、邪魔をしないならそれでもいい。
「きみが苛立つのは心当たりがあるからでしょう。八つ当たりはやめなよ。
それより、この城どうしたの? わたしが知っている一般的な城と言うのはもっと働いている人がたくさんいるものなんだけど」
文武両道の超エリートたちはどこに行ったのか。
他所の国のことだしどうでもいいといえばどうでもいいが、普通に考えてこの状態は異常だ。
もしこのまま衰退して滅んでしまうようだと、せっかく謝りに来た甲斐がない。
「これもてめえが! ……じゃねえな。俺のせいだ。俺が闘技大会で負けたからだな」
聞けば。
その文武両道の超エリートたちだが、みんなして大会を観戦していたらしい。
そして大会終了後、観戦していた獣人帝国の国民たちはこぞってオライオンにこの国の支配権を賭けて挑戦し、そして散っていった。
その後、満を持して官吏たちもオライオンに挑み、散った。
そういう事のようだ。
謁見の間が荒れ果てていたのはそのせいだそうだ。
城の官吏たちは謁見の間で皇帝に挑んだという事らしい。
そして城が荒れ果てるだけで済んでいたのは、オライオンが『幻獣化』するほどの相手ではなかったという事でもある。
国内トップクラスの超エリートでもその程度であるというなら、ケリーが短時間で結果を出せたのも頷ける。
「ふうん。そんな体たらくで国家運営なんて続けられるの?」
「へっ……。元々は俺ひとりから始まった国だ。今更ひとりに戻ったからと言って、やってやれねえ事はねえよ」
いや、その理屈はおかしい。
「何人で始まったかなんて知らないけど。
少なくとも今、城の外には一般市民もたくさん生活してるわけだし、経緯はともかくこれだけ大きな国を作っておいて今更ひとりでなんとか出来るわけないでしょう。
国家としての責任はどうするの? 国際法なんて無いだろうから厳密に決まってるわけじゃないだろうけど、少なくとも国民の生命と財産は守る義務があるんじゃないの? 最低限度の生活の保障とか、というかこの国のインフラってどうなってるの? 例えばだけど、水って誰が管理してるの? 販売? 配給? それと安全保障は? 軍隊ももしかしてきみに挑んで全滅したの? その場合飼ってるグリフォンって放置なの?」
「な、いきなりなんなんだてめえ! 生命も財産も奪われるやつが悪いに決まってんだろ。それと、いんふら? ってのはわからんが、水は確か、川から引いて貯水池が作ってあったはずだ。そこの管理は……どうなってるんだったかな。それと軍は将軍クラスしか始末してねえはずだ。一般兵は将軍にも勝てねえくらいだから、挑んでも無駄だからな。む、てことは今軍部は司令部不在の状況ってことか……」
腕力で交渉をまとめ、腕力で首長を決めようなどというふざけた国家である。よく考えてみれば国民の生命や財産など真面目に守るはずがなかった。
しかしやはり生命維持に欠かせない水については国家規模で管理しているらしい。その水場の管理人にも、腕力で何とかされてしまわないよう、それなりの実力者が据えてあったのだろう。そしてそれなりの実力者であったからこそ、オライオンに挑んで没した。
一定以上の強者たちはほぼ例外なく要職に就いており、しかもそれら強者たちはほぼ例外なくオライオンに挑み、死亡している。
一夜にして政治家も官僚も消え去ったようなものだ。もはやいつ滅んでも不思議はない。
予想以上にヤバい状況だった。
「……まあ、こうなったのも一部にはわたしの責任もあると言えなくもない。
しょうがないから、人材派遣をしてあげるよ。今のままじゃ、もし黄金龍を復活させたときに何かが起きたら、あっという間に滅んでしまうからね。そうでなくとも、北の人類の連邦が攻勢をかけてきたらとても耐えられない」
「ふざけてんのか! てめえの息のかかった連中なんざ受け入れるわけねえだろ! いつ寝首をかかれるかわかったもんじゃねえ!」
「ふざけてるのはきみの方だろう。寝首なんてかく必要はない。わたしがその気なら、きみは今頃死体になっている」
それに強き者が支配するのが正しい秩序だというのなら、寝首をかかれる方が悪いのでは。
「そっ──れはそうかもしれんが……!」
「きみにはこういう言い方のほうがいいかな。
──きみは負けたのだから、わたしの軍門に下りたまえ。これよりこの国はわたしの配下が統治する。きみはお飾りの神輿だ。反論は認めない」
オライオンはレアを睨みつけ、全身から刺すような殺気を放っている。
しかしその程度、レアにとってはそよ風のようなものだ。
ゲーム的な能力差もあるし、表情などの迫力という意味でも祖母の足元にも及ばない。
「てめえ……! 最初からそのつもりで……!」
「いや最初はそんなつもりじゃなかったんだけどね。来てみたらまともな人が誰もいなかったから仕方なくだけど。言っておくが、これはわたしの純然たる善意からだ。ボランティアというやつだね」
そもそもこの国にまともな人がいたのかどうか不明であるが。
オライオンは結局レアの提案を受け入れ、帝城にはケリーが配下を連れて入る事になった。
ケリーならばうまくやるだろう。他に人手や経験値が必要になった場合は報告するよう言っておいた。
「あと西方大陸はいいとして、極東列島にも周知しておいた方が良いかな。確かブランが行ったことあったんだっけ。ヴィネアに伝えて──いやライラに見られたら面倒だし、メッセンジャーはエンヴィにしておこう」
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