第544話「事案」(ブラン視点)
「こうしてオクトーさんと向かい合うのは初めてですね!」
「そういえばそうだね」
「そうそう、わたし、セプテムちゃんと戦った事ないんですよ。でもオクトーさんは昔セプテムちゃんと立ち合った事ありますよね」
「そうだったかな」
「そうでしたよ! 特等席で見てましたから!
あの時は何やってるのかもよく見えてませんでしたけど、今なら結構見えると思うんですよね! なんなら自分が参加してもいいかもってくらい!」
「そうかな」
「だから──戦った事があるオクトーさんは、ここは大人の心でわたしに譲った方がいいと思うんです。きっとその方がセプテムちゃんの好感度も高くなると思います!」
「それはないね。あの子はこの手の事で忖度されるのを何より嫌うから。だからここは全力で戦って──私が勝つ」
《──それでは、闘技大会準決勝! 【マグナメルム・ノウェム】VS【マグナメルム・オクトー】! 試合開始!》
*
「『魔の霧』! 『血の霧』! 『霧散化』!」
開幕早々ブランは回避の一手を打った。
ライラは何をしてくるかわからない、というのはレアの配下であるドロテアが言った言葉だが、それはブランもよくわかっているし、ライラ自身が試合で証明している。
だからまずは初手で死んでしまわないよう、生存率を高めるために最大のアドバンテージである物理ダメージ無効を得ておくことにしたのだ。
ライラがベヒモスを持ってこなかったのは意外だったが、ベヒモスの攻撃は基本的にはブランには効かない。投石攻撃では霧にダメージを与える事は出来ないし、サイズ差のせいで命中率のそう高くない『マナチャージキャノン』ではブランに命中させるのは難しいからだ。
一方でブランもベヒモスを破壊しようと思ったら相当なリソースを費やす必要があるのだが、おそらくライラはそこで生まれかねない戦況の停滞、時間の無駄を忌避したのだろう。
ライラは前の試合でも時間の無駄を嫌い、メリサンドを窒息ではなく撲殺するという手段を選んでいる。
大会によっては遅延行為はマッチの敗北という重い罰則を科せられてしまう事もあるので、戦闘時間を気にするのはごく普通の事だ。この大会がどうだったかはよく見ていないが。
フィールドを赤黒い霧で満たし、その中に姿を紛れさせたブランに対して、ライラがしていたのは背中から無数の黒い触手を伸ばす事だった。
ブランと同様、初手は攻撃ではなく自分を有利にするための行動に費やしたという事だろう。
ペラペラの触手には全てに気持ち悪い目が埋め込まれており、この目を通じて『魔眼』や『邪眼』を発動させる事もできるとか言っていた気がする。
しかし、ライラの『魔眼』では魔法を発動させる事は出来ないし、対象を視認する必要がある『邪眼』では霧化したブランを捉えられない。どこまでがブランでどこからが霧なのか区別が出来ないため、個体としてのブランを認識できないからだ。
そして直接霧を捕まえる事も出来ない以上、あの触手はブランの脅威たりえない。
フィールド中にランダムに伸ばしているようだが、だからどうしたといった感じだ。
とはいえ、相手は他ならぬライラである。
霧に対してあの触手は効果がないと知らないはずはないし、知っていて無意味に触手を伸ばしたりするはずもない。
ここは対スレイマン戦の前半と同様、霧と同化して距離を取ったまま『杭』か魔法で少しずつ削っていくのがいいだろう。
ブランはライラの斜め右後ろに『血の杭』を何本も発生させ、それを高速で撃ち出した。まずは様子見だ。
それに対し、ライラはそちらに顔を向ける事もなく、伸ばした触手を瞬時に向かわせて軽く払い落とした。
ちょっと考えられない反応速度である。
撃たれてから反応したとは思えない。
普通に考えれば偶然だ。
しかしライラに限って、戦闘中の偶然などあるのだろうか。
少し考え、ブランは今度は複数の方向からより多くの『杭』を撃ち出してみる事にした。
偶然ならばこれは止められないし、偶然でなかったとしても全ての『杭』を叩き落とすのは不可能だろう。
思えば最初からこうするべきだった。
ライラを相手に様子見や小手調べなど、それを逆手に取られて翻弄されるのがオチだ。
ブランはこれまで、この攻撃密度の『杭』を全て躱されたり防ぎきられたりした事は無かった。
ところがブランの撃ち出した無数の『血の杭』は、その全てが漆黒の触手によって迎撃されてしまった。
「──時間の無駄だから先に言っておくと、こんなものいくら撃ってきても同じだよ。この『邪なる手』を打ち破れるほど強力なトゲだったら話は別だったけど、どうもそこまで強くはないようだし」
『血の杭』はMP吸収という追加効果がある分、基本的な攻撃力は低めに設定されている。
アダマスの硬度を持ち、そしておそらくライラの能力値の分性能が底上げされているのだろう触手を破壊するだけの力はない。
そんな事ははじめからわかっているため、どちらかと言えば触手の強度よりもなぜ『杭』の出現場所がわかるのかの方が知りたかったのだが、それは教えてくれそうにない。
ならば、先に触手を魔法で排除するしかない。
ブランはライラの死角に本体を移動させ、そこで上半身のみ実体化させて魔法を撃たんと口を開いた。
「『レヴィン──』、くっ! 『霧散化』!」
しかし実体化すると同時に触手が向かって来ていた。
構わず魔法を撃とうとしたが、触手の目が怪しい輝きを放つ。
何らかの『邪眼』だと看破したブランはとっさに魔法をキャンセルし、再び霧化して邪な視線を逃れた。
「──そのトゲが通用しないなら、魔法で攻撃するしかない。そして魔法を撃とうとするなら、少なくとも首から上は実体化する必要がある。そして実体化したのなら──『邪眼』で捉える事も出来る。まあ、今のは逃げられちゃったけど。
ノウェムちゃん、意外と反応速いね」
実体化してから魔法の発動までにはほとんどタイムラグは無かった、はずだ。
あのタイミングでさえ魔法発動前に触手が飛んでくるのだとしたら、魔法の発動など事実上不可能である。
どうやっているのかはわからない。
しかし明らかにライラはブランの行動の全てをかなりの精度で把握している。
このまま霧に紛れて行動するのはよくない気がする。どうやっても触手を突破出来る気がしない。
ブランは『霧』を一旦解除し、自身をライラの正面で実体化させる事にした。
ここで問答無用で攻撃されていれば厳しかったが、戦略を変えたブランに興味があるのか、触手での攻撃は無かった。
ならばまだブランにも勝ちの目はある。
出来れば使いたくはなかったが、ブランには奥の手があった。
この闘技大会を戦っていく上で、いつかどこかで必ず当たるであろう、ある特定の性質を持つ人物たちに対して絶大な効果を持っているはずの一手だ。
一度使えば二度は通じぬ、まさに奇策。
ライラの前方で霧が集まる。
集まった霧は人型を形作り、あえて時間をかけて徐々に実体化していく。
その人型はブランよりもかなり小さい。
「……どういうこと? 何が──」
ブランが姿を見せるはずだと思い込んでいたライラがそうつぶやくが、もう遅い。
目の前での実体化を許した時点で、ライラはすでにブランの術中に嵌っているのだ。
やがてライラの目の前に現れたのは、ブランの服を丈余りに着た幼女だった。
それもライラが他の誰より良く知る顔をした。
「──やめてお姉ちゃん! いじわるしないで!」
***
「……ああ。あれ、もしかしてヴィネアのところの」
「リビングドールだね。どの
吸血鬼の能力のひとつに、血を舐めた相手の姿を模倣するスキルがある。
これは総合力が相手よりも高くなければうまく発動させられないらしいが、目安として『鑑定』でスキル構成まで見られるくらいの相手であればまず成功するらしい。
なぜブランがヴィネアのリビングドールの血を、と思ったが、そういえば極東列島までヴィネアと一緒に旅をした事があったのだった。
その時に知己を得ていたのだろう。
今回の大会のため、かどうかは不明だが、何かの時に使えるように血をもらっていたようだ。
レアが生み出した大悪魔、ヴィネアはレアにそっくりな顔立ちをしている。
そしてそのヴィネアの生み出したリビングドールもまたレアに非常によく似ている。
リビングドールはホムンクルスから転生したため、外見年齢的には十代前半といったところだ。
さらにレアと違ってアルビニズムも持っておらず、健康的な肌の色に艶やかな黒髪である。
目の前に幼き日のレアが現れたら、それはライラも驚くだろう。
いやライラに限らず、この大会に出場しているレアの配下の魔物などでも、突然対戦相手がレアそっくりの顔になれば少なからず動揺するはずだ。
もちろん、配下であっても実際にレアと対戦カードが組まれれば真剣に戦うはずではあるが、それはあくまで心構えが出来ていてこそのものである。
不意打ちでこうなれば、隙を晒すのも当然と言える。
激戦が予想される組み合わせの大半がマグナメルム関係者である以上、隠し玉としてこれは有効な手だったのかもしれない。
やはりブランは侮れない。
まあ、レアとしては言いたいこともあるので後で呼び出すが。
「オクトー嬢の動きが止まったな。効いているようだ。これまでノウェム嬢の攻撃は全ていなされてしまっていたから、これは大きな効果があったとみていいのではないかな。
ところで、オクトー嬢がノウェム嬢の攻撃をすべて察知出来ていたのはなぜだろう。真後ろからの攻撃も『邪なる手』で対応していたようだったが」
「『魔眼』じゃないかな。あの昆布、手のひらに目が付いてるでしょ。昆布を伸ばした分だけ『魔眼』の感知範囲が広がるとしたら、あの霧が出ているあたりはすべてオクトーの『魔眼』の感知範囲に入っていると言っていいと思う。さらにオクトーはその範囲内において、どこに何が現れたとしてもすぐに昆布を向かわせる事が出来るように計算して、残りの昆布を配置してるんじゃないかな。
あの霧は全体がマナを内包しているから『魔眼』でもぼやけて見えるけど、『血の杭』やノウェムの実体化が発生すれば、その場所だけマナが凝縮される事になる。
その兆候をとらえたらすぐに昆布を向かわせ、実体化が終わる前に対処を始める。そうやってあたかも全てわかっているかのように対応してみせたんだと思うよ。ノウェムが痺れを切らせて一か八かの行動を取るようにね」
「あの数の『邪なる手』をそれだけ精緻に制御しているということか」
「実際に細かく制御してるのはマナの動きを感知した周辺だけだろうけどね。たぶん一番大変だったのはいろんな方向からたくさん『杭』が飛んできた時かな。あれをずっとやってればオクトーの集中力も飽和させられたかもしれないけど……。あれってノウェムは生命力を使ってるんだっけ。ならさすがに無理か。出来るとしても、ノウェムの生命力がオクトーの集中力を大きく上回ってないと厳しい」
数値化されているLPと数値化できない集中力ではそもそも比べる事もままならない。
端的に言って、オクトーの方がノウェムより大きく格下である状態でなければ飽和攻撃は難しい、という意味だ。
「そしてノウェム嬢の一か八かの行動は功を奏し、ああしてオクトー嬢の動きを止める事に成功した、というわけか。しかしこれは……」
「うん……。わたしとしては微妙な気分だけど、逆効果だったと言わざるを得ないな」
鮮やかな不意打ちになるのだとしても、それが仕掛けたブランにとって優位に働くとは限らない。
モニターには、まんまと麻痺の邪眼をくらって動けなくなったブランが、ライラの触手に体中をまさぐられて降参の叫び声をあげるところが映されていた。
《──試合終了です! 勝者、【マグナメルム・オクトー】! ご観覧の皆さま、素晴らしい戦いを見せてくれた両選手に拍手を!》
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