第483話「エラ過呼吸」(ブラン視点)





 ついにブランプロデュースの公式イベントが始まった。

 レアは見に来てくれるかとも思ったが、呼ばれない限りは来ないつもりらしい。寂しいが、それはそれで信頼されているということだろう。





 ブランの姿をプレイヤーたちの前に晒してしまえば、レアがせっかく協力を持ちかけたというのにいきなりマグナメルムが人類を攻撃するという矛盾に満ちた状況になってしまう。もちろんブランたちマグナメルムの中では筋の通った極めて合理的な判断ではあるのだが、プレイヤーたちはそうは思わないだろう。

 相手を信用してもらうためには、何でもかんでも隠さず話せばいいというわけではない。嘘はなるべく避けるべきだが、言わなくてもいい事は言わない方がいい。教授がそう言っていた。


 なので、ブランはイベント中、姿を見せないつもりでいた。

 ブランが姿を隠すのであれば1番手っ取り早いのは霧になることだが、プレイヤーの中には濃霧にトラウマを抱えている者もいる。となると速攻でバレる恐れがある。

 それなら別の手段、『変身』スキルを使うのがいいだろう。

 何しろ、真祖は人に紛れて人の血を吸う吸血鬼、その元締めである。人の目を欺く手段は豊富にあるのだ。


 だが『変身』の『個体変化』を発動するには対象の血を吸う必要がある。

 ブランにとっては人魚の血を吸うとなると抵抗感があったが、『血の霧』や『血の杭』をうまく使えばわざわざ経口摂取する必要はない。

 というか、最初は別に直接吸ってもいいかと軽く考えていたのだが、先にジェラルディンが普通にメリサンドに噛み付いて啜っている光景を見て思いとどまった。なんというか、ちょっと淫靡な雰囲気を感じたからだ。下手に真似をして妙な気分になったりしたら困る。


 ともかく、上手くやんわりとメリサンドの血を摂取してみたところ、全身にバフがかかる感覚とともにメリサンドへの変身能力を手に入れることができた。人魚の女王はブランよりも格下だったようだ。

 しかしバフはいいのだが特に戦う予定がない。全くの無駄バフである。


「これ、舐めた後に相手の方が強くなっちゃったらどうなるんですかね。『変身』できなくなるんですかね。舐めた真似してんじゃねーよ、みたいな」


「血を吸収した相手に追い抜かれた事とかないからわからないわね。どうなるのかしら」


 ブランの渾身のダジャレはスルーされてしまった。


「わしと同じ顔の者がわしとは違う声でわしが言いそうにない事を言っておる……」


「あら、声は同じはずよ」


「あーありますよね! 録音した声は自分の声じゃないように聞こえるやつだ! わかりますそれ!」


「ろくおん……?」


 現在、ブランとジェラルディンはメリサンドと同じ姿をしている。声も同じだ。

 ただあくまで外側がそっくりだというだけで内部データはブランのままなので、海に潜って泳ぐ事は出来ない。


「てか、やべーっすねこの体。超動きづらいんですけど。女の子座りしか出来ないのは女子力高いような気もしますけど、ぺたん座りが出来ないから相殺かな……」


「相変わらず何を言ってるのかよくわからないのだけど、移動するだけなら下半身だけ霧に変えて飛んでいけばいいわ」


「なるほど!」


 さすが先輩である。

 霧状態の真祖は飛行可能の判定を受けるらしく、翼を出していなくても『飛翔』が可能だ。

 それはどうやら身体の体積の半分以上が霧に変わっていればいいらしい。


「……ということは、太古の昔より伝わる足のない幽霊って実は真祖吸血鬼だったのでは」


「──何してるの。早く行くわよ」


「あ、はーい」


 ブランとジェラルディンはカナルキアの謁見の間から浮遊しながら外へと向かった。その後をメリサンドが泳いで付いてくる。


 そろそろ、メロウが操る魔物たちがライスバッハに上陸する頃だ。こっそりSNSをチェックしてみればプレイヤーたちの準備も上々のようである。

 もっとも、こっそりのつもりだったのだがジェラルディンにはバレており、鼻をつままれる事で強制的にSNSをシャットダウンされてしまったわけだが。というかそんな事できたのか。





 カナルキアの上、以前にメロウ3人娘が腰掛けていた双子岩に同じように腰掛ける。岩は大きめだが、ブランたち3人が座るとなると少し狭い。メロウよりテリトゥ・オアンネスの方が下半身が豪華なデザインであるためだ。各種ヒレが無駄に大きい。ある意味下半身デブである。

 結果、本物のメリサンドが一段低い岩場に下半身を水に浸す形で座る事になった。1人だけ一段低いという事で文句も出るかと思ったが、むしろ彼女たちにとっては高さよりも水に近いかどうかのほうが重要らしい。そういえば謁見の間でも女王の座る椅子は水浸しだった。

 今は3人共同じ顔をしているので、並んで座る姿は差し詰め人魚の女王三姉妹といったところだ。さぞや映えるに違いない。


 映えスポットと化した岩場から3人で陸地を眺める。


「──うわめっちゃ異邦人いるな!」


「本当ね。こんな人数がどうやってこのチンケな街に駐屯していたのかしら」


 これはブランも気になったのでSNSでざっとチェックしてみた。

 今回専用SNSは設けられていないが、「中規模」で検索すればスレッドはすぐに見つかった。


「えーっとぉ……。あー。街の周りにテントとか立ててイベント待ちしてたみたいっすね。噂に聞く文化祭の準備みたい。ちょっと楽しそふごっ!」


 鼻をつままれた。


「ブランさん、顔」


「お主ら! わしの顔で遊ぶのはやめい! わしに何の恨みがあるんじゃ!」


 周りのメロウたちがこっちを見ている。ような気がしたが、目が合いそうになるとつい、と逸らされた。

 こちらが観測するまでは結果は確定しないとか何とか教授が話していた気がする。何とかの狸だか猫だかの話だ。つまりは目が合わないということは見られていないということである。好奇の視線に晒される女王は居ないということだ。よかった。


 メロウたちは置いておいて、戦況だ。

 さすがに前回の襲撃である程度の対策は立ててきたらしく、しかも数も圧倒的なプレイヤーたちは効率よく魔物を狩っている。どれも雑魚ばかりだが、プレイヤーたちの平均戦闘力からすればそれなりに実入りはいいのではないだろうか。


「えーっと、鳥はキャスターとレンジの的で、馬はタンクに止められてメレーがトドメかあ。超効率狩りしてんじゃん」


「何その、めれー? とか」


「専門用語っすよ! 最近勉強してるんです!」


「あら、えらいわね。でも専門用語の前に勉強すべきことがあるんじゃないかしら。淑女の所作とか」


「それそんなに言うほど必要かな……?」


「必要じゃわ! 少なくともわしの姿で行動するなら必須事項じゃ! まずその、手で輪っかを作って遠くを見るのを止めい! アホに見えるわ!」


 失礼極まりない。


 しかし、このメリサンドは当初思っていたよりずっと面白い人物のようだ。

 からかいがいがある、と言うと本人は怒るかもしれないが、そうとしか言いようがない感覚である。

 品行方正なブランも、今ならライラとわかり合える気がする。


「でも、ちょっとやばくないですかね。馬とか鳥とか全滅しそうっすよ」


「馬だの鳥だの、風情のない言い方はやめよ。上陸しているあれはアハ・イシュケ。空のあれはブーフリーじゃ。所詮奴らはわしらにとって使い捨ての駒のようなものじゃが、確かにあれだけ景気よく殺されてしまうと面白くはないの。蘇るにもすぐというわけにもいかぬし」


「ああ、眷属なんだあれ。人魚と関係ないように見えるんだけどな……?」


「おそらく、幻獣人が系統の獣を『使役』出来るのと同じね。つまりメロウたちはあの馬や鳥と同じ系統の魔物と言うことよ」


「マジすか!?」


「うるさいわお主ら! 黙って見ておれんのか!」


 メリサンドは叫びながら1人の人魚を呼び寄せた。

 やってきたのは他の人魚とは明らかに雰囲気が違う個体だ。単純に美人である。こっそり『鑑定』してみると種族は「オアンネス」となっていた。メリサンドがテリトゥ・オアンネスなのでそのひとつ前の種族とかだろうか。ジェラルディンの言う幻獣人を幻獣王の一段階前だとするなら、このオアンネスがそれに相当する種族なのだろう。


 メリサンドは自分の腰のあたりについているエラを振動させ、オアンネスに何かを伝えたようだった。それを受けたオアンネスは一礼するとカナルキアの中に入っていった。


 どうやら人魚たちはエラを使ってコミュニケーションが取れるらしい。水中では通常の会話は出来ないだろうし、考えてみれば当たり前だ。

 外側だけは同じ身体であるブランにも出来るのだろうか。

 と思ってエラを意識し、力を入れてみた。


 ぶぴっ。


 血の気が引いた。

 聞き覚えはあるが、他人には絶対に聞かせたくない音がした。


 メリサンドの下半身は水に浸かっているが、ブランたちは水上に出ている岩に腰掛けているため、エラも空気中に出ている。考えてみれば当たり前だった。別に体内のガスが漏れたとかそういう事ではないのだが、空気中でエラをむやみに開閉したことで空気をかみ込み、それが腹圧で押し出されたようだ。


「……ブランさん。あまり言いたくはないのだけれど、それはちょっと無いわ……。淑女以前の問題よ……」


「ちっ、違! 今のは違います! 今のはその、メリーサンの身体が勝手に!」


「お、お主、それはさすがに酷いじゃろ! ていうか、わしの姿でなんて事するんじゃ!」









 ブランがジェラルディンの教育的指導とメリサンドの名誉のための抵抗によって顔中を引っ張られていたところ、ずずず、と音を立ててカナルキアがさらに少し浮上した。

 もはや巨大な岩礁の上半分が完全に水上に出ている。

 先ほどメリサンドが配下のオアンネスに何か指示を出していた事に関係しているのだろう。


「お? いっひゃい何がはひまるんれす?」


「ふふん。見ておれ。これが対人間用の切り札じゃ。

 ──果たして、あれを見ても人間は攻撃を続けられるかな?」


 カナルキアの上部ハッチが開かれ、そこから馬に乗った人魚に連れられた1人の人間型の生物が現れた。後ろ手に縄で縛られているようだ。

 それはそうと、人魚が水棲の馬を『使役』しているのはこのためらしい。確かに人魚の体では水のない場所を移動する事は出来ない。となるとあの鳥は人魚が空を移動する時にでも使うのだろうか。古い画像でそういう写真を見た事があるような気がする。確か、猛禽に運ばれるコイ科の魚だった。


 連れ出された人間らしき男は縛られたまま馬に乗せられ、戦いが繰り広げられている磯の方へと移動していく。

 それを見たプレイヤーたちが動きを止めた。空気を読んでか馬や鳥たちもその隙を突くような事はしない。

 彼らは何か叫んでいるようだがさすがにこの位置からでは聞こえない。


「……全然聞こえないっすね」


「カナルキアはこれ以上近付けぬぞ。座礁の恐れがある」


「座礁とかするんすね!」


 岩礁が暗礁に乗り上げるとは新しい。


「馬を用意してちょうだい。私たちも行ってみましょう」


「ごく自然にわしに命令するでないわ」


 そう言いながらもメリサンドは馬を3頭用意してくれた。





 ブランたちが近付いていく間、縛られた男の知り合いらしいプレイヤーたちが海岸沿いにわらわら集まってきていた。かなりの人数だ。これが全て知り合いなのか、それとも野次馬なのかはわからない。野次馬だとしたらこの男は有名な人物なのだろうか。


「──リーダー! あんた何やってんすか! てか何してたんすか今まで! 連絡くらいしろし!」


 人だかりの中央にいる青年が叫ぶ。

 リーダー、という事はこの縛られた男はプレイヤーたちが形成する何らかの集団のトップだったということか。つまりプレイヤーだ。

 確かに、プレイヤーが人魚の王国の中で縛られたまま今まで何をしていたという話ではある。逃げようと思えばすぐに逃げられたはずだ。自害すればいい。デスペナルティが惜しかったのか、何も考えずに牢でログアウトしてしまったのか、それとも縛られるのが好きなのか。

 いや、仮にそのどれだったとしても仲間に連絡くらいは出来たはずだ。


「──すまない、ソーメニー。それにみんな……」


 縛られたプレイヤーは本当にすまなそうに頭を下げる。

 それを見ながらブランは小声でメリサンドに尋ねた。聞いた方が早い。


「……なんすか、あれ。何であんなのカナルキアで捕まえてたんすか?」


「あれは前回の大船団に乗っていた人間じゃ。大半は死ぬか光になって消えていったんじゃがな。あやつは生きたまま波間を漂っておったので、とりあえず捕らえてみたのじゃ」


 『真眼』によれば、確かに縛られた男は他のプレイヤーよりもLPが高い。このLPのおかげで生き延びたようだ。タンク職、それも相当上位の実力者なのだろう。それだけの実力があるという事はそれだけゲームにも慣れているはずだが、なぜリスポーンを選ばなかったのか。デスペナルティは確かにその分痛いだろうが、何日も拘束され、解放されるかもわからない事と比べれば天秤にかけるまでもない。

 同じことをジェラルディンも考えたらしい。


「メリサンドさんが知っているかはわからないけど、異邦人ならいつでも逃げられたはずよ。なぜ大人しく縛られていたのかしら」


「あやつは逃げる気などなかったようじゃぞ。何せ──」


 メリサンドが言いかけたところで、あちらの方でも縛られたプレイヤーが大声を上げていた。


「──すまない! 俺は、俺は──! 俺は真実の愛を見つけてしまったんだ!」


 それを聞いた人だかりのプレイヤーたちはぽかんと間抜けに口を開け、縛った縄を持っているオアンネスは少しだけ嫌そうな顔をした。


「何せ、我が娘イアーラに懸想けそうしておるようじゃったからな」


「……なるほど。ていうか相手メリーサンじゃないんですね。残念な人だな……」


 メリサンド、と言えば確かフランスの伝承「メリュジーヌ」の元になった名前だ。あの物語は人間と妖精の王女メリュジーヌとの悲恋を描いたものだった。であればここはメリサンドの出番ではないのか。


「人間に懸想されても鬱陶しいだけじゃし、別にわしは残念でもなんでもないが」


「メリサンドさんの恋愛遍歴なんてどうでもいいわ。で、あの人間が貴女の言う切り札というわけ? 人質ということ?」


「その通りじゃ。くっくっく。果たして人間どもは同朋に剣を向ける事が出来るかな……?」






★ ★ ★


聡明な読者諸兄ならすでにお気づきの事と思いますが、TKDSGはTaKeDaSinGen、武田信玄から取っています。

そしてソーメニー・ブックスとは英語で「とても多い本」、つまり山のような本ということで、山本勘助です。


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