第475話「水浸し」(ブラン視点)





 満月の夜。


 シェイプ王国西岸、ライスバッハの街は深い霧に包まれていた。

 霧は海の上にまで遠く横たわっており、せっかくの満月だが海に映し出される姿を見る事はできなかった。


「せっかく上に出てきたってのに、霧のせいで月なんて見えやしないじゃない!」


「この時期に霧? 妙ね……。そんなに気温が高いようには思えないけど」


「メリサンド様は今日は晴れてるって……」


「あの方が雲を読み違えたことなんてこれまでなかったのに」


 ライスバッハの沖合、陸地からでは見るのが難しいくらいの位置に、この日突如として2つの岩礁が出現していた。

 満月の夜、本来であれば大潮の満潮となるべき海に、この日にだけ岩礁が浮かび上がる。

 普通に考えれば有り得ない現象だ。

 では、一体これはどういう事なのか。


 この岩礁そのものが浮上したのである。


 いや、ただの岩礁ではない。

 これは島だ。

 巨大な岩の塊が、浮き沈みを繰り返しながら海中を漂っているのだ。


 岩礁に腰かけている3人の女性──いや人魚は海中から岩礁へ上がったのではなく、岩礁の元になっている巨大な浮き島の中から出てきたのである。


「……しょうがないわ。月見は中止ね。メリサンド様に報告して、カナルキアは沈めましょう」





 カナルキアというのが浮き島の名前らしく、これは教授から聞いていた人魚の王国の名前と一致する。

 またメリサンドというのも人魚の女王の名前として聞いていたものだ。

 つまり、この岩の浮き島こそがカナロア海に名だたる海洋王国カナルキアということだろう。


 いったいどこにあるのか、どうやったら見つけ出せるだろうかと悩んだりもしたが、これではいくら探しても見つける事は出来なかったかもしれない。

 探す前にそれがわかってよかった。


 ライスバッハで双子岩がどうとか言っていた水夫も肝心の双子岩の場所はわからないと言っていたが、それも当然のことだった。

 双子岩というのが人魚たちが腰かけていた岩礁の事だとすれば、これは浮き島の上部の突起のことだ。

 島と一緒に移動する岩なのだから、場所など決まっていない。

 おそらく伝承には場所が謳われたりもしていたのだろうが、発見されるたびに違っていたため、いつしか場所の情報は削除されていったのだろう。









「ただ今戻りました。メリサンド様」


「残念ながら、今宵は霧が深く、月を見る事は叶わないようです」


「恐れながら、こたびの月見は中止し、カナルキアを海へ戻すべきかと──」


 1メートルほどの深さに海水が満たされたホールのような場所で、3人の人魚たちが横座りをするようなポーズで頭を下げ、玉座に腰かけた女王に報告している。

 人魚が正座とかするとも思えないし、これが人魚流の「平伏している状態」なのだろう。


 この水深1メートルの海水というのは入口からホールにくるまでの通路でも同様だった。階を移動しても変わらない事から、普通に水が入り込んでいるわけではなく、何かマジカルな力で常にその状態が保たれるよう制御されているらしい。

 岩の塊であるにもかかわらず海中を自由に移動している事もそうだが、これ自体が巨大な魔法建造物とかそういうものなのかもしれない。何となく雰囲気が空中庭園に似ているような気もする。


「──面を上げよ。我が娘たち」


 女王がそう言うと人魚たちが頭を上げた。

 娘というのが一般的な意味なのか、国民をそういう風に呼ぶ風習なのかはわからない。ファンの事を子猫ちゃんとか同志とかプロデューサーとか呼ぶバンドと同じようなものである可能性もある。


「そなたたちに限って無いとは思うが、よもや上部ハッチを閉め忘れた、などという事は無いか?」


「え?」


「いや、そんなミスは……」


 女王の問いかけに人魚たちはお互いの顔を見合わせた。


「ふむ。ではなぜ、この謁見の間にまで霧が入り込んでいるのじゃ?」


「まさか!」


 人魚たちが色めき立つ。

 女王が玉座の傍らの銛を手に立ち上がろうとしたが、それはブランが許さなかった。


「──さすがは音に聞こえた海洋王国カナルキアの女王、メリサンド様っすね。

 おっと、物騒な物はしまって下さい。わたしたちは別に敵対するつもりはありません。ちょっと相談がしたいだけなんです」


 銛を握ったメリサンドの手に自分の手を重ね、下ろすよう促しながらブランは実体化した。逆隣にはジェラルディンも姿を現している。


 突然女王の両隣に現れた2人の真祖吸血鬼の姿に人魚たちは硬直した。

 女王もだ。

 今この場で最も発言力を持っているのが誰なのか、瞬時に察したらしい。

 当然である。

 この女王が仮に海皇と同格だったとしても、ここにはその海皇と同格だろう真祖ジェラルディンがいる。

 さらにもう1人同じく真祖であるブランがいるのだから、彼女らに勝ち目はない。

 しかも2人の真祖はいつでも女王を害せる位置にいる。


 優位に交渉を進めるにはこれ以上ないくらいのスタートだ。

 ブランもそろそろ強キャラムーブというやつが板についてきたのではないだろうか。





「……まさか、真祖が自らこんなところまでやってこようとはの……。フン、なるほど。噂には聞いておったが、確かに大した力を持っておるようじゃ……。まさか2人組だったとは知らなんだが、なんじゃそれ、反則じゃろ……。そのランクの魔物がほいほい群れたらイカンじゃろ……」


 女王は強がってかっこいい事を言おう、としていたようなのだが、話しながら途中から愚痴のようになってしまっていった。

 見た目は美しい少女なのだが口調は婆くさい。

 これがいわゆるロリババアというやつだろうか。

 なるほど、いつの時代にも常に一定数のファンが居るのもわかる気がする。


「大人しく話を聞いてくれそうなのは高ポイントっすよ! そういう人は長生きできます!

 やっぱ昔から災厄級だったからっすかね。わたしがこれまで会った王様とかってだいたい勝手に暴走して死んじゃったりしてたからなあ」


「私はそういう面白そうなの見たことないから、今日は見れるかと思ったんだけど、残念ね……」


「ひい!」


「あ、ゼリー先輩ダメですよ脅かしたら! ほら下半身濡れちゃってるじゃないですか!」


「ささささ最初からじゃ人聞きの悪い事を言うでないわ!」


 何なら部屋中水浸しである。


「わかってますって大丈夫です。他の人には内緒にしておきますから」


「わかっておらんではないか!」


「まあまあ。で、相談なんですけどね──」


 ブランはここへ来た目的を話した。

 現在、中央大陸から西方大陸へ渡ろうとしている人間が大量にいること。本来であればこれを話す際には異邦人についても話さなければならなかったが、それは面倒だったので割愛した。ただ中央大陸で色々あった結果そういうムーブメントが起きたとだけ話した。

 そうなると、先日あったように大船団がまた組織される恐れがあること。現にあんな事があったにもかかわらず、直後に数隻の船が孤島へと渡っている。これについてはメリサンドは見逃してやったようだが、人間は欲深いから甘い顔を見せれば付けあがる事になる、と忠告しておいた。

 SNSを見る限りでは人類はもう大船団を組織するという愚かな真似はしないだろうが、それはメリサンドにはわからない。


「──てなわけで、いつまた先日みたいな事があるかわかったもんじゃありませんよね。

 それを何とかするためには、元から断たなきゃなりません。そうです、ライスバッハの街をこっちから攻めてやるんです。

 ライスバッハってのはこの間メリーサンたちが攻撃した街のことで、あ、孤島じゃない方ですよ」


「待たんか。今お主、わしの名前を妙な風に略さなんだか?」


「親愛の印みたいなもんですよ。お気になさらず。

 で、どうでしょう。今後もたびたび煩わしい思いをする事を考えたら、今のうちにガツンと一発イワせてやった方がいいんじゃないでしょうかね」


 ブランの丁寧かつ人情味あふれるプレゼンを聞いたメリサンドは胡散臭げな視線を向けてきた。


「……何を企んでおる。妙な術でこのカナルキアに侵入し、一瞬でわしの首元にまで刃を迫らせておきながら、要求が人間どもへの攻撃じゃと?

 わしらがそんな事をして、お主らに何の益がある。これほどの力があるのなら、お主らだけでやったほうが遙かに早かろう」


 ブランたちだけでやってしまったらただ単にプレイヤーやNPCが死亡するだけのイベントになってしまう。それではこれまでと変わらない。

 プレイヤーに適度に経験値を還元してやるためには、彼らの実力に合った敵役が必要だ。適度に死んで経験値をばら撒いてもらわなければならない。

 それにレアが大々的に黄金龍討伐を掲げ、エキストラの募集をかけたばかりの今、その仲間であるブランがプレイヤーを積極的にキルするのは外聞がよくない。

 が、それはメリサンドに言うわけにはいかない。


「それこそなんでわたしたちが、って話ですね。

 わたしたちとしては別に、カナロア海を船団が横断しようが何しようがどうでもいいんですよ。何も困らない。困ってるのはメリーサンたちですよね。

 ただ親切のつもりでこうやって忠告を差し上げてるだけです。訪問の手段が強引だったのは、まあ他にやり方知らなかったもんで……。招待状とかくれれば次からちゃんと玄関から入ってきますよ。仲良くしたいんですよこれでも」


「招待状などやらぬし、次など無いわ!」


「ふう……」


 ジェラルディンが深くため息をついた。

 状況に飽きてきている。

 しかしここでメリサンドを始末してしまっては元も子もない。もう少しだけ我慢してもらいたい。


「ほ、ほらほら。メリーサンがあんまり聞き分けが悪いもんだから、ウチの姐御も困ってますよ。姐御はこう見えて、困ったら所構わず暴れる癖があるんで、なるべく困らせない方がいいっすよ」


「何それ。ちょっとブランさん──」


「まあまあ。

 で、どうなんざんしょ。やってくれますよね」


 メリサンドはジェラルディンとブランの顔を交互に見た後、悔しげに頷いた。


「──言うておくが、お主らに言われたからやるのではないぞ。今後も奴らが大量の船を出すというのが本当なら、それは看過できんからじゃ」


「もちろんそうでしょうとも。誇り高きカナルキアの女王様ですからね。脅されて下半身を濡らした挙句に言う事を聞いたりはしないでしょうとも」


「ぐ! お、お主!」


「あ、ところで気になってたんですけど。なんで船団が通るのはダメなんですか?」


「こちらの言い分は丸無視か! く、言うても無駄じゃな……。

 日じゃ。日の光を遮られるのが困るのじゃ。1隻2隻程度ならば良いが、4隻5隻となると日の光が遮られ、海底に影を落とす事になる。たまの事なら目こぼしもしようが、これが常態化されては敵わぬ。お主の言い様ではないが、人間どもは確かに、一度許せば次も次もと調子に乗ってくるきらいがあるのでな。これも太古の昔の話じゃが、数の多い船の横行は禁止としたのじゃ」


「なるほどー。

 てかこの国動くじゃないですか。日が当たらないのが嫌なら移動すればいいだけなのでは」


「……この国とて、常に移動しておるわけではない。普段は海底の決まった場所に停泊しておる」


「ほー。そりゃまたなんで?」


「カナルキアを動かす力の源となっておるのは日の光じゃ。ゆえに光を十分に浴びねばカナルキアは動く事は叶わぬ。

 しかし、海の中までは日の光は十分には届かぬ。そこでカナロア海の海底で最も日を浴びられる場所を定位置として、普段はそこで力を蓄えておるのじゃ。

 人間どもが決めた航路というのがちょうど、その真上になるのでな」


 教授の話では、確か文献には信仰がどうとか書かれていたとかいないとか。

 それと比べると随分と現実的な理由だった。別に信仰心が現実的でないと言っているわけではないが、そういう事なら交渉の余地があるかもしれない。


「はえー。っていうか、別に日光が浴びたいなら浮上すればいいだけでは。さっきのお月見のときくらい浮上すれば日光なんて楽勝に浴びられるでしょ」


「そうもいかぬ。わしはともかく、娘たち、国民のメロウたちは日の光に弱いのだ。正確には高温に弱い。カナルキアを日中海面近くまで浮上させることはできん」


「高温って言っても、どうせ海の中なんだから知れてるじゃない。わがままな……」


 メリサンドもジェラルディンにだけはわがままとか言われたくないだろう。


「なぜ、人間どもの都合のためにわしらが暑い思いをせねばならんのじゃ!」


「まあ、それはそうね」


 それはそうらしい。意外と気が合うのではないだろうか。

 時間を決めてお互い都合が合うように調整するとかやり方は色々あるだろうが、それさえも人間のためにするのが面倒なのだろう。

 というか、そもそも人間たちが航路を変えればいい話である。

 航路というのはおそらく安全に航行出来るよう昔の人間たちが考えたルートなのだろうが、海洋性の魔物に襲われないのであればどのルートを通ってもいいはずだ。仮にその安全を人魚たちが担保してやるとすれば、お互いに共存の道もあるのではないだろうか。


 これも人間のためにしてやる理由がないからとかだろうが、もしそういう優しい世界だったならばブランの計画も素直にオーク狩り大会とかになっていたはずだ。人魚が当て馬のように使われる事も無かった。

 もっともその場合はプレイヤーたちももっと早くから西方大陸に渡っていただろうし、経験値還元祭を考える必要もなかった、というか、それ以前にレアやブランが今のような形で存在していたかどうかもわからないが。


「まあ、なんでもいいや。

 じゃあ、そうですね。んー、とりあえず10日後! 10日後にライスバッハを攻めましょう!」


「勝手に決めるな! 攻めるとして、なぜ10日も待たねばならん!」


「それはもちろん申請の、じゃなくて、それだけ静かにしていれば人間たちも油断するでしょうし、たまにはそういう駆け引きも必要っすよ。押して駄目なら引いてみろなんて言葉もありますしね。いつもいつも力押しじゃあ、今回のわたしたちみたいにちょっと強い奴が来ちゃったらあっという間に全滅っすよ」


 この様子ではメリサンドたちは知らないようだが、ちょっと強い奴が来ちゃった結果あっという間に全滅した海洋国家が東の海にあった。いや、全滅まではしていなかったのだったか。しかし少なくとも王は死んだ。


「ぐぬ……。だが敵は所詮は人間。お主らのような化け物とは違うわ。

 それに、人間と戦うというのであればこちらには切り札がある」


「切り札? 嘘おっしゃい。そんなものがあるなら今使えばよかったでしょう。私たちにいいようにやられておいて今更そんな事を言い出すなんて、強がるのもいい加減になさい」


「うーん。まあそりゃそうっすね……」


「ふん。アレは人間相手にしか使えん手なのでな。まあ、見ておるがいい」


「あ、わたしたち見学しないといけない感じなのかこれ」


 見学するということは、どこかで人間相手に切り札とやらを使って見せてくれるのだろうか。

 しかしブランやジェラルディンの姿をプレイヤーたちに見られるのはまずい。

 イベント化するとしても姿は隠しておく必要があるだろう。

 霧の姿はプレイヤーたちにバレているし、ブランもジェラルディンも『光魔法』は使えない。


「──まあいいか。あんまりやりたくないけど、かぷりといかせてもらいますか」






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