第474話「ブランと海」(ブラン視点)





 ヒルス地方をひと通り見回った後、ブランはジェラルディンと大陸の西海岸に来ていた。

 シェイプ地方は大部分が事実上ブランの支配地ではあるが、一部にはそうではない場所もある。

 その中で最も大きな勢力は旧王都周辺、プレイヤーたちが統べるバーグラー共和国だ。他にも独立性の強い一部の都市国家などがある。


 ここはその都市国家のひとつ、貿易街ライスバッハである。その特異な性質のため、前回の飢饉でも食糧の供給を完全に断つ事が出来ず、かつ今後の事も考えて実力行使もしなかった街である。

 そのため旧シェイプ王国の中でここだけはずっと変わらない姿を保ち続けていた。





「──海だー!」


「なあにそれ」


「いや、なんかこういう時はそういう風に叫ぶというしきたりが」


「そうなの。私も叫んだ方がいいかしら」


「いいっすね! やってみましょう! せー」


「海だー!」


「の、って早いっすよゼリー先輩!」


「あらごめんなさい。慣れてなくて」


 もちろん、人に見られそうなところでこんな目立つ事はしない。

 人気のない、船着き場から少し離れた磯のような場所である。

 船着き場や街の一部は崩れた場所も多く、工事や復旧作業で人がたくさんいるようだったがそれ以外の場所は逆に人が極端に少なかった。特に海岸線だ。

 街が破壊されているのは海から魔物が現れて街を襲ったせいらしい。その原因はまだわかっていないということで、海岸線には近付かないよう触れが出されているようだ。そういう内容の立て看板と縄が街と海の間に張り巡らされていた。

 教授の考察によれば原因は大船団によるものらしいが、これを知っているのは現在教授と一部のプレイヤーたちだけである。

 壊滅した船団に出資していた商人やその家族もまだ生きているだろうし、ただでさえ船団を失って経済的に大打撃を受けているところに、中央大陸の玄関口を破壊されてしまった賠償を負わせることは出来なかったからだろう。


 気持ちはよくわかるが、それでは一方的に海の魔物が悪かった事になってしまう。それは良くない。


「で、何だったかしら。カナルキア? の女王に会いに行くんだったかしら」


「改めて掛け声を合わせたりはしないんすね。まあいいですけどどうでも。

 そうですねー。会いに行きたいですね」


 西方大陸でイベントをやろうと思えば、まずは大量のプレイヤーを安全かつ迅速に輸送する必要がある。

 それを行なうにあたっては、もっとも大きな障害となるのが海洋王国カナルキアだ。それは先日の大船団の壊滅が雄弁に物語っている。

 実際に西方大陸でイベントを起こすかどうかはまだ未定だが、出来もしないのに検討しても仕方がない。

 まずは海洋の脅威を取り除けるかどうかだけでも確認しておきたい。

 なんならその海洋の脅威をそのままイベントの相手にしてしまってもいい。

 それが片付いてから西方大陸で改めてイベントを企画する手もある。


「じゃあ海ね。でもゼノビアならともかく、私はそのカナルキアって王国についてはあまり明るくないのよね」


「あー。始源城って西方大陸の真ん中の方でしたっけ。じゃあ海の事なんてよく知らないですよねえ」


「まあ、あのゼノビアが詳しく知っているかどうかは怪しいものだけど。配下とかならともかく」


「うーん、それはどうかわかりませんけど……」


 ブランだったら確かに、面倒な事はアザレアたちに丸投げして自分自身では細かいところまで把握していない事はある。

 しかし例えばライラであったらどうだろうか。

 細部は配下に任せているとしても、いざという時すぐに対処できるように詳細について知っていてもおかしくない。

 ゼノビアはどちらかと言えばライラに似た雰囲気を放っていた。多少だらしない性格にも思えたが、それもするべき事は押さえた上でだらしなくしている、ような気がしなくもない。

 ただ今ここに居ない以上考えても仕方がない。


「海洋王国かー。結構広いですよね海って。どうやって探してコンタクトを取ればいいのかな」


「つい最近、船が襲われて壊滅したんでしょう? それがカナルキアの仕業だとしたら、同じ事をすればいいのではなくて?」


「なるほど一理ある! ……んですけど、そんなたくさん船持ってないっす。てか一隻も持ってないっす。

 あと、とりあえずお話聞きに行こうって段階なのに、いきなり相手の神経逆撫でしにいくっていうのもどうなのかな感ありますね……」


「そう? たぶん最終的には力でもって従わせる事になるだろうし、同じ事だと思うのだけど」


「やべーゼリー先輩思考のパターンがレアちゃんに似てる! 生まれながらに持ってる人ってみんなそうなのか!?」


「あらいやだ。お似合いだなんて」


「言ってない!」


「でも真面目な話、こちらの目的は大船団の通行なわけだから、例えどういう交渉をするにしてもいずれはその問題にぶつかることになるわよ。こちらの目的がそのままあちらの神経を逆撫でする事に繋がっている以上、どこかであちらの主張をへし折ってやる必要があるわ」


「あ、冗談だったんですねよかった。でも次からはもうちょっとわかりやすい冗談だと嬉しいっす。

 うううううん、確かにゼリー先輩の言う通りかも……。でも正直なところ、なんでダメなのかってのも正確にはわかってませんし、やっぱり一度フラットな状態でお話聞いてみたいですね」





「──こらー! そこのあんたら、看板が見えねえのか! あぶねえぞ!」


 磯で話し込んでいたブランとジェラルディンに、街の方から大声で呼びかける者がいた。

 この街の船乗りか何かだろうか。肩まで捲られたシャツからはよく日に焼けた筋肉質な二の腕が覗いている。

 確かに街と海との間には危険だから海には出ない事などと書かれた看板が立っており、侵入を阻む縄のようなものも張り巡らされている。

 縄自体はただの荒縄で物理的な拘束力など無いに等しいが、これは街の人の民度が高いというより、それを乗り越えるような命知らずはどうなっても自業自得だという考えに基づいた措置だろう。それを皆わかっているからブランたちの他には誰も海に出ていないのだ。


「……わずらわしいわね」


「いや、でもあれたぶんわたしたちの事心配して声掛けてくれたんじゃないすかね。いい人ですよ多分」


「人間ごときが私たちの何を心配するというの?」


「人間ごときなのに敢えて他人の心配するくらい人がいいってことですよ」


 ブランとジェラルディンがそう話している間も船乗りはなにやら叫んでいる。

 あの様子ではブランたちが街の方へ戻るまで止めなさそうだ。


「しょうがない。ここで考えてても埒が明かないのも確かですし、街に行ってみましょうか」


「そうね。あのむさ苦しい人間の言う通りにしたみたいで癪だけど」


「意外と小さい事気にするんすね!」





「貴族みたいなナリして、あんたら文字も読めねえのか? 海には出るなって書いてあるだろ」


 街に入ると先ほどの船乗りにさっそく説教を貰ってしまった。


「読めないわけがないでしょう。読んだ上で海に出たのよ。従う理由がないもの」


 そして案の定ジェラルディンが反発している。


「あーそーかい。あんたがどんだけ偉い人かは知らねえけどな。やるなって言われてる事には大抵理由があるんだよ。つい最近、海から魔物の大群が現れて、この街も結構な被害を出したところだ。あの立て看板はそれを警戒しての事だ。

 あんたがどんだけ偉かったとしても、恐ろしい海の魔物はそんな人間の理屈なんざ考慮しちゃくれねえぞ」


 やはりこの船乗りは悪い人間ではない。悪いのは相手である。

 船乗りが説教を垂れている相手こそ、海の向こうの恐ろしい魔物の親玉だ。シャカに説法というやつである。違うかもしれない。


「……しっかし、遠目にゃカップルか何かに見えたんだが、よく見りゃあんたも女か。どういう組み合わせなんだ」


「こちらは私の、そうね。妹よ。どういう関係かだなんて、貴方に関係あって? いいえそれより、女同士だからと言って恋人とは考えられないだなんて、いかにも生産性重視で繁殖好きな人間の言いそうな──」


「すとーっぷ! いや、すみません急に大声出しちゃって! えっと、えっと。

 あー、その、あの距離でわたしたちの仲の良さが見えるなんて、ずいぶんと目が良いんですね!」


「お、おお? ああ、そ、そりゃ船乗りだからな。目は船乗りの命だぜ」


「はー、そうなんですね。船乗りは目が命……」


 そういえば、教授が船乗りは『真眼』がデフォルトかもしれない、というような話をしていた気がする。

 現在ブランもジェラルディンもそういった偽装は何もしていない。というかそういうスキルをまだ取っていない。

 『隠伏』が発見された時、そのうち取らなければと考えてはいたのだが、そのまま忘れてここまで来てしまった。これから黄金龍討伐に向けて戦闘力を高めていく必要がある中で、敢えて擬装用のスキルに経験値を振るのは惜しい。


 にもかかわらず、街に入ってから誰からもLPのせいで注目されている様子はなかった。この船乗りもLPが見えていないようだ。なぜだろうか。教授の見解が間違っていたのだろうか。

 しかし教授はブランよりもかなり頭が良い。教授の考えと、教授の考えが間違っていたというブランの考えだったら、おそらく教授の方が正しいだろう。


「……あのー。

 もしかしてですが、今この街って他に船乗りさんとか居ないんですか?」


「ん? ああ……。

 あんたが知ってるかわからんが、しばらく前、結構な大船団がこの港を発ったんだよ。その船団にベテランの船乗りの大多数は乗っていったんだ。異邦人たちは船団が壊滅したなんて言いやがるが、俺は信じてねえけどな!

 それで、残ってた船乗りたちもついこの間、ネクラーソフさんの声掛けで異邦人たちを島に運ぶってんで駆り出されちまってな。

 今街に残ってるのは見習いばっかりだ。もしあんたらが海を渡るつもりで街に来たんだったら残念だったな。もしかしてそれで恋しくて海に入ってたのか?」


 つまりこの男性はこう見えて見習い水夫という事になる。とんだ見かけ倒しだ。

 とはいえこの人物の善性と職業には何の因果関係もないのでブランにとっては些細な事だが。


 しかしこれでブランたちを見咎める者が居ない理由も分かった。

 『真眼』を持つほどの船乗りやプレイヤーは皆カナロア海に浮かぶ孤島にお出かけ中だったからだ。SNSに上がっていた、あの黄金龍の端末戦に参加しているからだろう。

 戦闘自体は終わっているはずだが、打ち上げの宴でも開いているのか、あるいはそのまま西方大陸へ旅立った船もあったのかもしれない。プレイヤー的にはボスを倒して終わりでもいいかもしれないが、プレイヤーを運んだ船にとっては出来れば副次的な収入も欲しいところだろう。ついでに貿易を考えていても不思議ではない。


「別に海を渡るつもり、ってほどでもないんだけど、海に興味があるのは確かですかね。

 海って言うか興味があるのは人魚ですけど」


「なんだあんたら。人魚見に来たのか」


「え、知ってんすか?」


「ああ。つっても俺も爺さまから聞いただけで、会った事はねえけどな。

 なんでも、満月の夜には人魚が月光浴をしに海の底から上がってくる事があるらしい。双子岩に腰かけて月を見ながら歌を歌ってるなんてお伽話があるな。まあ誰も見たことねえし、お伽話はしょせんお伽話なんだろうけどよ」


「へー! 超エモいっすね! で、で、で、その双子岩ってどこなんですか? あと次の満月っていつ?」


「次の満月は明日に決まってるだろ。双子岩は知らねえ。誰も見たことねえからな。場所もよくわかってねえ」


 知らないのかよ、と思ったがせっかく教えてくれた事だし言わないでおいた。


「結局知らないんじゃないの。なんなのあなた。役に立たないわね」


 言っちゃった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る