第461話「漂流者」(教授視点)





「では、そういうことでいいかな。

 ゼノビア嬢は元々地底王国の──いや地底牧場の経営にはまともに関わっていなかったようだし、後はそちらの君たちだけで何とかなるだろう。とりあえず、暫定的にだがリーダーだけ決めておこう。

 頼むよ、マウリーリオ」


「は。お任せ下さい森エッティ教授」


 森エッティ教授とゼノビアは地底王国を訪れ、お互いの配下に今後の王国経営について指示を出していた。


 マウリーリオたちにはゼノビアの配下についてすでに伝えてあったため、地底王国復興事業は協調して進められてはいた。

 ただゼノビアの配下にとってはマウリーリオたちは知らないうちに主の牧場を勝手に管理していた人物である。本当に手を組んでいい相手かどうかはわからない。


 そこで教授はゼノビア本人を連れて地底王国を訪れ、お互いの配下に面通しをさせたのである。

 ゼノビアは復活してからこの方、配下たちには会っていなかったようで、色々と小言を言われているようだった。

 ライラに似た性質の人物かと思っていたが、こういうところはレアに近いような気がする。


「ああそうだった。すまないが、この姿の時の私を呼ぶ時はウルスス・メレスで頼む」


「承知しましたウルスス・メレス様」


 タヌキの時は慈英難と呼ばせるようにも言っておいた方がいいだろうか。

 しかしそうするともう「森エッティ教授」と呼ばれる事は無くなってしまう。マグナメルムの面々と話す時に略称で教授と呼ばれるくらいだ。


「──僕もそうした方がいい?」


「そうだね。人前ではそう呼んでもらえるとありがたい」


「わかった、そうしよう。ところで、なんでジェリィを呼ぶ時はジェラルディン様で僕はゼノビア嬢なの?」


「彼女にそう呼ぶよう言われたからだが。ゼノビア嬢も様付けで呼んで欲しいのであればそうするがね」


 ゼノビアは少し呆れるような表情をした。


「ああ、確かにジェリィが言いそうな事だ……。いや僕はいいよ。ガラじゃないし。ていうか別にジェリィも本気でそう呼ばせたいわけでもないだろうから、適当なタイミングで様付けなんてやめちゃってもいいと思うけどね」


「心に留めておこう」


 とは答えたものの、本人から何か言われるまではやめるつもりはなかった。

 さすがにそれが理由で関係が悪化する事はないだろうが、教授よりも圧倒的に強い真祖吸血鬼の機嫌を損ねる事になってはたまらない。何しろただのツッコミ程度でも死の危険性がある。

 そう考えると、いかに直接戦闘は領分ではないとは言っても、彼女たちのツッコミくらいには耐えられるよう強化した方がいいかもしれない。


「さて。ではひとまず用件は終了だな。

 私はこの後行くところがあるが、ゼノビア嬢はどうするのかね」


「どうするって、どうしよう。ていうかどうしたらいいのかな。

 特にする事ないし、今こっちの大陸って異邦人とかいう連中がたくさん来てるんだよね。あんまり余計なことするとレア様に嫌われちゃうだろうし……。

 ウルスス・メレスはどうするの? 行くところってどこさ?」


「人前でなければ教授でも構わないがね。

 私が行こうと思っているのは、この大陸と中央大陸の間にある小さな島だ。そこに面白いものが流れ着いたらしいと報告を受けたものでね。ひとつ見に行ってみようかと」


「ふうん。付いて行ってもいいかい?」


 教授は少し考えた。

 ライラと違って角や『邪なる手』を隠せないゼノビアは目立つ。付いてきてもらっても無駄に目立つだけだしいいことはない。

 ではそんなゼノビアを地底王国に置き去りにした場合はどうなるだろう。

 例の黄金怪樹との戦闘を目撃していた妙な格好のプレイヤー2人組はおそらくまだこの街にいるはずだ。

 彼らはゼノビアの姿も見ていたし、もしこの街でゼノビアを見かければマグナメルムとの関係を疑い、接触を図ってくるだろう。

 それが穏便な接触であるならまだいいが、戦闘中にいきなりレアに矢を射かけるような輩である。穏便に接触してくるとは限らない。

 ゼノビアが彼らに後れを取るとは思えないが、余計な情報を与えてしまう事はあるかもしれない。

 それも考えるとやはり、しばらくはゼノビアと行動を共にしておいた方がいいだろう。


「──ふむ。そうだね。ではゼノビア嬢にも付いてきてもらおう。そうなると『召喚』では飛べないな……。

 仕方ない、船を──」


「いやいや、教授には世話になってるし、ここは僕に任せたまえよ。

 確か、タヌキが本体なんだっけ? ちょっと変身してみてよ。それを僕が抱えて飛ぼうじゃないか。

 さっき言ってたのって東の孤島の事だよね。そこなら、大陸の端から全力で飛べば半日あれば行けるはずだ」


「待ちたまえ、私の本体はあくまでこのクールな紳士であってだね──」









 ゼノビアの姿はどうやっても目立つ。

 目立つ部分をすべて隠そうと思ったら全身鎧でも着るしかない。

 ならばそうすればいいということで、教授は急遽空中庭園にいるダクたちにゼノビアの全身を隠せる金属鎧を作らせる事にした。

 さすがに即座に完成させるのは無理だったものの、スキルを駆使する事で半日でそれなりの物が仕上がってきた。

 その間教授とゼノビアは何をしていたのかと言えば、例の孤島の奥の集落、その村長の家で睡眠を取っていた。

 休みなく『飛翔』してきたゼノビアはどうしてもシステム上睡眠を取る必要があったし、抱えられたまま一緒に飛んでいた教授も同じだったからだ。


 何なら実際に飛んだゼノビアよりも消耗してしまった教授は誓った。

 もう二度と風防のない乗り物には乗らないと。

 有り体に言えば酔ったのである。

 船酔いは能力値で防げたようだったが、空での移動には適応されなかったらしい。あるいはゼノビアからの教授に対する状態異常攻撃と判定されたのかもしれない。だとすれば確かに教授では防げない。邪王は特に状態異常攻撃に秀でた種族であるらしいし。





 以前訪れた時はこの集落については手つかずのままにしておいたのだが、そんな他人の家に自分の無防備なアバターを預けておくのはさすがに有り得ない。

 教授は村長一家を『使役』し、この家を孤島での活動拠点にする事にした。

 以前訪れた時に火山の異変を心配していた村長だったが、異変自体はあれ以降も断続的に続いているらしい。

 ただ実害は出ていないという事で、次第に村でも日常の風景に溶け込んでいってしまいつつあるようだった。


「鎧はちょうどいいようだね。意外と似合うな。意外というか、スタイルがいいからか基本的に何を着ても似合うのだろうけど」


「装備品としては大した効果はないみたいだけど、デザインは悪くないね」


 鎧のデザインは邪王の角をメインに据える前提でまとめられている。

 邪王以外が着るのであれば頭部に大きなスリットが開いた、全身鎧としては致命的な欠陥を備えたものになってしまうが、邪王が着るのであればちょうど角がスリットに収まるようになっているため見栄えがいい。


「で、僕はこれ着て教授の後ろについていけばいいわけだね」


「一応私の護衛という設定にするつもりだから、それらしく振る舞ってくれるとなおいいがね。

 少なくとも人前で話すのは避けた方がいいだろう。会話はボロが出やすいからね」


 村長の家を出た教授たちは、集落の者たちに適当に挨拶をしながら孤島の港代わりの漁村に向かった。


 ジェノサイダークリケットから報告があったのは、前回の航海の時に教授たちが乗った船が立ち寄ったあの漁村についてである。









 移動や休息で時間を取られた事もあり、報告があった日から数えると少し経過してしまっている。

 しかし漂着したという「面白い物」は数日で消えてなくなるタイプの物ではない。

 やはりまだ漁村に滞在しているようだ。


 流れついたというのはそう、プレイヤーであった。


「──やあ、初めまして。私はウルススという、元々中央大陸で研究者をしていた者だ。少し前からこの島で火山の観察をするために滞在していたのだがね、こちらの村に人が流れ着いたと聞いて、興味が湧いて会いに来たのだ。

 君がその漂流者で合っているかね?」


 教授は所在なさげに浜辺に座り込み、海を見ている2人の男女に声をかけた。

 男の方が振り返り、教授を見ると立ち上がって砂を払った。


「ああ、俺は中央大陸で傭兵をやっているアマテインだ。こっちはその手が暖か。

 中央大陸から西方大陸に渡るところだったんだがな。ちょっと災難に見舞われちまってな。……船団は壊滅して俺たちはこのザマだ。他にも乗組員はたくさんいたんだが、はぐれてしまった。死亡が確認された者もいるみたいだが、連絡が取れない者もいる。

 ここの村には2日前から世話になってる。定期的に行き来してるっていう貿易船も必ずこの島に寄るらしいから、次に船が立ち寄ったタイミングで乗せてもらえないか交渉しようと思ってな。今はそれを待っているところだ」


 やはりこのプレイヤーは無謀にもカナロア海を船団で渡ろうとした者たちの生き残りのようだ。何人で船に乗っていたのか知らないが、流れ着いたのは2人だけらしい。他は死んだのか別のところへ流されたのか。

 教授はライスバッハで大規模な貿易船団が用意されているとSNSで見かけた時からこうなる可能性は考えていた。


 カナロア海には人魚の女王が治めるカナルキア王国があるという伝承があった。

 海を横断する船団によって太陽の光が遮られるのを嫌うという彼女たちが、もし今もまだカナロア海を支配しているのなら、大船団が無事に海を渡れるはずがない。


 しかし、この彼があのアマテインか。

 SNS上でなら絡んだ覚えもあるが、直接会うのは初めてである。

 隣で笑顔を浮かべている女性が紹介の通りその手が暖かなのだろう。

 会って初めてわかったが、その手が暖かからはどことなく教授と同類のような気配を感じた。

 相手も同じ事を思っていないとも限らないし、仕草や言動には少し注意する必要がある。


「ソノテガアッタカ、というのが名前なのかね? ずいぶんと変わった名前だな。

 ところで、先ほど君は船団と言ったね? その災難というのはもしかしてだが、人魚の群れに襲われたとかそういうものだったんじゃないかな?」


「……この村の人にでも聞いたのか? まだそれほど話していないはずだが」


 アマテインは警戒したように身構えた。

 正解のようだ。


 その手が暖かもアマテインの隣で教授を睨みつけている。

 そこまで睨むほどのことだろうか、と思ったが、これは違う。睨んでいるのではなく、教授の姿を観察しているようだ。

 その手が暖かは教授を見ながら確認するように呟いた。


「……茶色のインバネスコート、モノクル、そしてステッキを持った老紳士……」


「……どうした、その手が暖か」


 なるほど。しまった。

 アマテインとその手が暖かと言えば例の変態2人組と同じクランに所属していた者たちだ。今はどうだか知らないが、この様子だと交流はまだあるらしい。

 いやその前にSNSのマグナメルムスレにそういう記述もあった気がする。

 そんな格好の人物など無数にいるだろうと思って特に警戒していなかったのだが、どうやら見通しが甘かったらしい。


「失礼ですが、貴方はもしかして──」





「──う、海鳥の大群だ!」


「──海からは馬も!」


 その時、海岸線がにわかに騒がしくなった。


 アマテインも何かを言いかけていたその手が暖かも、そして教授もそちらに注意を向けた。

 一応は護衛という建前であるためか、ゼノビアが教授の前に立った。


 海から馬という言葉には違和感しかないというか、一体何を言っているのかという感じだが、海岸に目を向けてみれば確かにそうとしか言いようがない光景が広がっている。

 海から青い馬の大群が現れ、村人を追いかけて砂浜を走り回っている。

 浜で漁をしていたらしい村人たちは次々と馬に食われていく。あの馬は肉食らしい。


「け、ケルピーか!? そんなモンスターもいるのか!」


 アマテインが叫ぶ。

 確かにそう見えなくもないが、海から現れたのなら違うだろう。このゲームではどうだか知らないが、一般的にケルピーと言えば川に住むとされている場合が多い。

 『鑑定』をしてみたところ、やはり違った。


「いや、あれはアハ・イシュケだね。海鳥はブーフリー。人を襲う海の魔物だ」


 ブーフリーはアハ・イシュケが姿を変えたものだとも言われているが、このゲームでは別扱いのようだ。

 ただお互いに共生関係にあるようで、アハ・イシュケが食べ残した漁民をブーフリーがついばんだりもしている。


 どちらの魔物も能力値が高く、プレイヤーであれば十分対応可能だが、漁を生業とする村人では太刀打ちできそうにない。

 相手の数の多さもある。

 この村はもう駄目だろう。

 海鳥たちが島の内陸部まで飛んでいくようだと教授の村も危ないかもしれない。


「あの魔物の事を知っているんですか?」


「まあ、知識としてだけだがね。それより、呑気におしゃべりしていられる状況ではなくなってしまったようだ。君たちには聞きたい事もあったんだが、それはまたの機会にしよう。

 君たちも逃げた方がいいのではないかな。あの数では多勢に無勢だ」


「……いや、この村の人たちには助けてもらった恩もある。見捨てるわけにはいかない」


「そうかね。私としては話を聞く相手が居なくなってしまうのも困るし、君たちには生きていてほしかったんだけどね。

 そういうことなら頑張るといい。ではね」


 教授は踵を返し、島の奥の方に向かって歩きはじめた。

 どうせ彼らはプレイヤーだ。死んだとしてもリスポーンする。

 人魚に襲われた話なら余裕が出来てから改めて聞けばいい。


 しかし教授がいくら面倒から逃げたいと思ったとしても魔物たちがそれを見逃してくれるわけではない。

 ブーフリーが何羽か、背を向けた教授を襲わんと飛びかかってきた。


「──あ、これがもしかして僕の仕事か」


 ゼノビアが素早く手を伸ばし、飛んできたブーフリーの首を捕まえた。

 ブーフリーは人と比べてもかなり大きなサイズだが、能力値で圧倒的に勝るゼノビアの敵ではない。

 ゼノビアはそのままブーフリーの首を握りつぶし、頭部と胴体を分離させると死体をそこらに投げ捨てた。

 続いてやってくる怪鳥をすべて同様に捕まえ、その怪力で引き裂いていく。

 せっかく鎧に合わせて剣も用意してあるのだから、出来ればそれを使って欲しいところだ。

 だがマントの下に隠してある『邪なる手』を使わなかった事は評価したい。


「な、なんて力だ……!」


「うそ、LPなんて全く見えなかったから、護衛なんてお飾りかと……」


 『真眼』で見ていたらしい。

 アマテインとその手が暖かが教授を警戒したのも、ゼノビアのLPが見えなかったせいなのかもしれない。

 ゼノビアは教授と同様、直接戦闘するのは好きではないようで、得た経験値を使って真っ先に取得したのは隠密系のスキルだったと言っていた。そのためゼノビアのLPを『真眼』で見る事は出来ない。


「生命力がない者なんているわけないだろう。彼女は隠密系の技能も修めている。護衛任務で必要な事もあるからね。老婆心ながら忠告しておくが、生命力が全く見えない者がいたらその時点である程度警戒した方がいい」


 そういうスキルは例の変態2人組も使っていたし、アマテインたちも存在くらいは知っているはずである。


 だが呑気に話している余裕はもう無いようだ。

 仲間の血の匂いを敏感に嗅ぎつけたのか、ブーフリーを殺したゼノビアを敵と認定したらしい魔物たちの大半がこちらに向かってきたのである。

 逃げられない、とまでは言わないが、手札を晒さず退却するのは難しい。


「……しょうがないな。すまないが頼むよ」


「このくらいなら大したことないから構わないよ。それより、僕の頑張りについては──」


「わかっているとも。ちゃんと彼女に報告しておこう」





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