第434話「ベルタサレナ・アクラージオ」(別視点)
ベルタサレナの古い記憶は曖昧である。
時系列もめちゃくちゃだし、正しい記憶なのかどうかも定かではない。
ベルタサレナは曖昧な記憶の中で、優秀だった兄がいた事だけは覚えていた。
兄が天使を生み出すと言ったので、ベルタサレナも何となく魔法生物を生み出す研究をした事があった。
しかしベルタサレナの手によって生み出されたのは悪魔だった。
ベルタサレナ自身はエルダー・ドワーフであったつもりだが、いつの間にか魔精になっていたようだった。いつ魔精などになってしまったのかわからないが、そもそも曖昧な記憶の中の事だ。それが正しいものかどうかもわからない。ただ悪魔を生み出したことは確かである。
それはそれで仕方がない。ならば兄よりも先に悪魔をさらに上の存在に至らせてやろうと研究を進めた。
「審判の燃えさし」というアイテムによって大悪魔への転生が可能だということを発見していくらもしないころだろうか。
遠い故郷でクーデターが起き、兄が殺された事を知った。
この時の記憶も、やはり曖昧である。
どこかの地方に封印されていた文献にあった、神のごとき力を持つ機械仕掛けの獣の事を調べていた時だった。
その文献の内容。
そして誰よりも強かったはずの兄が格下の者どもに殺されたという信じがたい事実。
さらには幼い頃に見た演劇。その演劇中に突然あらわれた強引な舞台装置について、兄に聞いた時の記憶。
これらの事実と記憶が時系列がごっちゃになって混ぜ合わされ、ベルタサレナの無意識はひとつの解を導き出した。
すなわち、死ぬはずのない兄が殺されたのは何者かが描いたシナリオのせいであり、その辻褄を合せるために本来ありえない展開が起きた。
そう、いわゆる機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナが降臨したせいだと。
強烈にこの神を憎んだベルタサレナはこの時、急に視界が開けて意識がはっきりとしてきたのを覚えている。
覚えている、というより、現在まで続くベルタサレナの自意識はこの瞬間から始まったと言っていい。
ずっと胸の奥で眠っていた、何かの卵が孵ったかのような、そんな素晴らしい目覚めだった。
それまでの曖昧な記憶が戻ることはなかったが、ただひとつ確たる事実としてベルタサレナの胸に刻み込まれている事があった。
それは何としても機械仕掛けの神を殺し、この世界を縛る偽りのシナリオを食い破ってやらなければ、次は自分が殺されてしまうかもしれないということだ。
ベルタサレナは自分の名前すら曖昧だった。
しかし不安は感じなかった。
つい最近聞いたような、ずっと昔から聞いていたような、そんな不思議なフレーズが耳に残っていたからだ。それが自分の名前に関わりがあることは間違いないはずである。
そのフレーズを女性名らしくアレンジし、ベルタサレナと名乗ることにした。
姓は思い出せなかったが、せっかく新しく名乗るのであれば、今のこの決意を忘れないためのものにしたい。
やはりいつどこで目にしたのだったかは曖昧ながらも、ベルタサレナは古い言葉で「正しきもの」を意味する「アクーラーティオ」という言葉をもじって姓を名乗ることにした。偽りの世界を断罪するのであれば、それは正しきものこそがふさわしい。
*
曖昧だった頃に戻ってしまったかのような、暗く淀んだ意識の中で、アクラージオは目の前で街が破壊されていくのを見ていた。
破壊しているのは悪魔であり、自分自身でもある。
ついに完成を見たディオスの性能は素晴らしいの一言だった。
今となっては何故こんなものを作ろうとしていたのかさえ定かではないが、1人の研究者としてこれは素直に喜ばしい事である。
まさに神の名を冠するにふさわしい性能だ。
ディオスの腕が飛行している異形悪魔を掴み、そのまま握りつぶした。
その様子を見た他の悪魔たちが次々と攻撃を仕掛けてくるが、どうということもない。
やはり悪魔たちに見切りをつけ、ディオス建造を目指すことにして正解だった。ここに至るまでに長い長い時間をかけてしまったが、その力の差は明らかだ。現に同じだけの時間を与えたにもかかわらず、放置してあった悪魔たちはこの体たらくである。
そうしてアクラージオは数え切れないほどの悪魔たちを倒し、その心臓を飲み込み、首都を練り歩いた。
街はどんどん破壊されていく。
アクラージオにはそんなつもりはないが、歩くだけで勝手に壊れてしまうのである。
これは街の構造上の問題だ。
都市計画責任者は処分されるべきだろう。
「──ベルタサレナ! そこまでだ! 敵と味方の区別もつかなくなったというのか!」
1体のドラゴンが現れた。
いやドラゴンではない。これは悪魔だ。しかもこの力、大悪魔の中でも最も強力な個体だ。
街を破壊しながら練り歩くアクラージオを止めに来たかのような言い草だが、なぜ悪魔が止めようとするのか。もしや、この悪魔が都市計画責任者なのか。そう言えば確かに、この悪魔は遠い昔に見たことがある姿のような気もする。
「……わらわを覚えていない? そこまで狂化が進んでいたか。もはや、自分の事すら理解していないというのか」
何を言っているのだろう。
自分の事なら誰より良く知っている。
幼い頃に兄と見た、あの劇の演出家を殺すこと。
それこそがこのベルナデッタの使命である。
いや違った。ベルナデッタなどという名前は知らない。
今重要なのは都市計画を立てた者の責任を追及する事だ。
この悪魔がその責任者であるのなら、この黄金偽神の力をもって責任を取らせるだけだ。
ドラゴンのような大悪魔の力は、なるほど言うだけの事はあった。
機械仕掛けの獣でさえ殺せるだろう力を得たはずのディオスの力をもってしても、殺し切る事は出来なかった。
しかし、無駄な事だ。
何しろ機械仕掛けの獣というのは、その存在を書き記しただけの文献、ただの本でさえ固く封印されてしまうほど危険な力を持っている。
その獣を殺すための神の力だ。悪魔ごとき、物の数ではない。いや神を殺すための獣の力だっただろうか。どちらでもいい。
現に今、戦いながらも周辺の悪魔たちを殺し、その心臓を取り込み、着々と力を増している。
例え大悪魔であろうと、このディオスの猛攻に耐えられなくなるのも時間の問題だ。
「その力、使われているのは我ら悪魔の命だけではないな! タネはその、黄金の波動か? 得体の知れぬ力だが……ここで止めねば、我ら悪魔にも、この大陸にも未来はない……!」
眼の前の悪魔は相変わらず訳がわからない事を言っている。
大陸の未来など、偽りの世界を縛る神を倒すという大義の前ではどうでもいいことだ。悪魔の未来などはもっとどうでもいい。
この間違ったシナリオさえ破壊すれば、兄も戻ってくるはずだ。
そうすれば皆幸せになれる。
ベルタサレナの顔を模した頭部、その口が開いた。
唇の端から耳までが一筋に裂け、喉の奥から光が漏れる。
「くっ、またあのブレス攻撃か! 皆、あれには当たるな! あの光はあらゆる耐性を貫通してくるぞ!」
そして『プライマルブレス』が放たれた。
設計上のものと比べて頭部の形状が変化した事で狙いが甘くなっていたブレスは、悪魔の軍勢を逸れて首都の街並みに突き刺さった。
だが問題ない。ブレスを吐いたまま頭部を動かし、光の帯で軍勢を引き裂くように薙ぎ払う。
しかし『プライマルブレス』は悪魔の軍勢に当たることなく大きく上空に逸れてしまった。
悪魔たちは当然無傷だ。
「……──っ! なんだ? なぜ……」
悪魔は不思議そうにしているが、ベルタサレナには原因はわかっていた。
悪魔たちへ当たる寸前、ディオスの頭部が上を向いてしまったからだ。
しかし原因はわかっても、そうなった理由はわからない。
何かに無理やり顔を逸らされたのかと思ったが、ディオスの周囲には何の反応もないし何かがいるようにも見えない。
この【黄金偽神】が活動を続けるためには、絶えず外部からエネルギーを得続けなければならない。
悪魔の心臓を取り込み続けなければ、戦闘を続けることさえ出来ないのだ。
たった一度『プライマルブレス』が不発に終わったところで、攻撃を止めるわけにはいかない。
外したブレスの分も次で回収しなければならない。
もう一度ディオスの口が大きく開き、ブレスを放とうと構えた。
しかしこれは大悪魔が見逃さなかった。
ドラゴン然とした巨大な体躯を活かし、ディオスの喉をかち上げるように体当たりを敢行してきた。
はずみで発動してしまったブレスは喉を押されて仰け反った事で真上に向かい、高い空に吸い込まれるように消えていく。
しかも発射の瞬間口を閉じさせられたせいで、発射されたブレスの逃げ場がなくなり、ベルタサレナの顔の下半分が吹き飛ばされてしまった。
「──何故かはわからんが、敵は不調だ! この機を逃すな! 畳みかけよ!」
悪魔どもが群がってくる。
わざわざ近寄って来てくれるとはありがたい。
まずは弱い悪魔を殺し、その心臓を奪い、力を得た上でこのドラゴン型大悪魔を始末する。
ところが握りつぶしてやろうと小さめの悪魔に手を伸ばそうとするも、思ったように身体が動かない。まるでなにかに袖を引かれているかのように、腕が予想外の動きをしている。
ブレスは大悪魔に喉元を押さえられているせいで撃つ事ができないし、そもそももう無駄撃ちするだけの余力はない。
ディオスの行動のほとんどは失敗し、その度に貴重なエネルギーが消耗していく。
一方の悪魔たちの攻撃は面白いようにヒットし、着実にダメージが蓄積されていく。
ただし、ディオスもやられるだけではない。
尾を振りまわしたり歩きまわったりする事で小さな悪魔を轢き潰し、その心臓を吸収して力を蓄える。
戦況は膠着状態へと移行していった。
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