第417話「理性と欲望の狭間に存在する穴」(教授視点)
「うん。少し身体のサイズは小さめだけど、タヌキとそれほど感覚は変わらないな」
清掃員によって完全に施錠された屋敷の中で、ハチワレ猫のフェレス・クァトルが後脚で立ち上がる。
さらに尻尾をくねらせ器用にバランスをとり、軽快なステップを踊ってみせた。といっても、本人はそのつもりなのだが実際は不格好な反復横跳びだったが。
身体が小さいため、AGIが低くても敏捷性にはボーナスがついている。その代わりLPやSTRにはデメリットがある。
この猫、フェレス・クァトルの中身はもちろん森エッティ教授であった。
「さて。では調べるとしようか。この屋敷の、メルキオレの秘密を」
クァトルが潜んでいたのは屋根裏部屋だった。
屋根裏までは清掃しないようで、清掃員の目から逃れて潜んでおくには最適な場所だったのだ。
そのせいで埃っぽく、快適な環境とは言えなかったが、それは仕方がない。
屋根裏に上がるための梯子のような階段は普段は仕舞われているらしく、猫の身体ではそれを降ろして使う事は出来ない。
しかし猫ならば隙間さえあれば天井から飛び降りるのは容易だ。
ひらり、というには少々騒がしかったかもしれないが、教授は屋根裏部屋から2階の物置へと飛び降りた。
多少音を立てたところで、この屋敷の周辺には住民はいない。気づかれる心配はない。
また他の猫たちにもメルキオレの尾行はやめさせており、周辺を警戒させている。屋敷に誰かが近づいてくればすぐに分かるはずだ。
「人の気配はなさそう、という報告は嘘じゃないね。確かに誰もいそうにないな。一応2階を見て回って、書斎なんかがあれば書類とか日記とかを……。あ、もし見つけてもこの身体じゃめくったり出来ないな……」
自分のアバターではないためインベントリも使えない。
『召喚』で自分自身をここに呼び出すのが手っ取り早いのだろうが、まずは行けるところをひと通り見て回ってからでもいいだろう。小さな猫の姿の方が都合がいい事もある。
それ以前にせっかく潜入したと言うのに、書類や日記が消えていたら不審どころの騒ぎではなくなる。仮にインベントリが使えたとしても、それらを持ち去るわけにはいかない。
と言っても、普段から業者に屋敷の清掃を任せているのなら、普通の場所には見られて困る物を置いたりはしないはずだ。ここにメルキオレの秘密があるとしたら、隠し部屋とかそういう場所を用意していると見るのが妥当だろう。
廊下側などから間取りを見て、部屋の内装と比べてみれば不自然な空間に気付く事も出来るだろう。
「よし部屋をひとつずつ……あ」
猫の手ではドアを捻ることが出来なかった。
両前脚で挟めば回せるかもしれないが、後脚で立ったとしてもドアノブにギリギリ届かない。
「……仕方ない。やはり本体をこちらに『召喚』するか……? いや、そもそも普通のフロアに隠し部屋なんて作ってもすぐに見つかってしまうだろうし、確保できる空間にも限りがある。何よりもともと国に用意された屋敷だと言うなら、後付けでは隠し部屋なんて大がかりなギミックはつけられなかったはず。
となるとあやしいのは地下かな。地下なら屋敷の土台を傷つけないよう気をつければ拡張する事も可能だし、大きさにもまあ制限はない」
教授は猫の姿のまま、地下室を求めて探索を続けることにした。本体を呼ぶのは猫の姿で出来る事をすべて終えてからでも遅くはない。
久し振りの、服を着ていないという開放感が清々しいからではない。
屋敷の地下室は、それ専用のもの自体は存在していなかった。
あったのはワインセラーのような地下貯蔵庫だ。
と言っても王国自体が地底に造られているし、地底にある屋敷のさらに地下の貯蔵庫なので、これをあえて地下貯蔵庫と呼んでいいのかどうかは疑問が残る。
「そもそも地下貯蔵庫というのなら、この王国の名前自体がケラ、つまりワインセラーのセラーと同じ語源の──お、扉には隙間があるな。猫は頭さえくぐれれば通り抜けられるということだったけど本当かな」
正確には扉を取り付けている木製の柱と石の壁の間にだが、僅かに隙間が出来ていた。
隙間が出来た理由はその柱が破損して曲がっているからだろう。石壁も一部は崩れた跡があるし、2階に比べて1階はかなりくたびれた印象を受けた。
この屋敷は記録によれば、メルキオレが亡命してきた際に国から与えられたものだったとの事だが、こんなぼろい屋敷を亡命者とはいえ国賓にあてがったというのは少々違和感がある。
もし、王国がメルキオレに屋敷を貸した時はこうではなかったとしたら、メルキオレが亡命してきた後にこうなったのだと考えるのが自然だ。
扉や柱が歪んでしまうような破損の仕方は、経年劣化では考えにくい。
何か大きな力がかかった時くらいにしか起こらないはずだ。
考えられる可能性としては地震であろうか。日本などの地域では頻繁に起きる災害である。
この大陸でも、大災害とやらの折には地面が揺れたと言われている。
「大、災、害の、地震のせいで、家が、崩れかけたの、かなっと! よし、通り抜けられたぞ。頭が通ればというのは本当なんだね。毛並みがだいぶ乱れちゃったけど……。まあいいよね。後で謝っておこう」
くぐり抜けた先の階段は端の方に埃が溜まっていた。
定期的に誰かが使っているため真ん中あたりは埃がないが、清掃されていないため端には残っているのだろう。
つまりメルキオレがこの屋敷に来る目的地は地下室で、しかもそこは清掃員を立ち入らせていない。
「ビンゴだね……」
地下貯蔵庫への扉をくぐる前、厨房には例のキラメキゴケを利用した淡い照明があったため明るさは確保されていたが、扉の先は暗闇に包まれていた。
人間であればこの暗闇で階段を降りるのは難しいだろうが、猫であるためか『夜目』を持っているフェレス・クァトルなら全く見えないという事はない。
やはり猫の身体で潜入したのは正解だった。ドアノブへのアクセス権を持たない事など些細な問題だ。
階段を降り始めていくらもしないうちに、天井の低いワインセラーに到着した。
普通の地下貯蔵庫ならそんなものだろう。しかし、一国を支配するほどの人物がこんな場所に定期的に用事があるとは不自然極まりない。
ここには絶対に何かある。
教授は『夜目』を頼りにワインセラーの探索を始めた。
棚に仕舞ってあったのはワインだけではなく何かの野菜の瓶詰のようなものも多かった。酢で漬けてあるのかピクルスのような強めの香りをコルク栓からわずかに漏れ漂わせている。
猫の本能に引き摺られ、ともすれば探索よりも瓶の匂いを嗅ぐ事に意識が持っていかれそうになるが、なんとか耐えて探索を続けた。
幸い、目的のものはすぐに見つかった。
教授が誘惑に耐えた成果、というわけではない。
ふらふらと棚に近づいて行った挙げ句、床が崩れて穴が空いていたところに落ちそうになったせいだ。
その穴が目的の場所、おそらくメルキオレが定期的に訪れているところだろう。
人でも容易に入れそうなサイズである。穴の奥には空間が広がっているようだ。
床の崩れ方から見ると、これも貯蔵庫の入口同様、地震か何かで崩れたのだろう。その結果、屋敷の地下にあった空洞に繋がってしまったというわけだ。
「崩れた床材が折り重なって階段みたいになってるな。偶然こうなったのか、メルキオレが後からやったのかはわからないけど。とりあえず降りてみよう」
地底王国の屋敷の地下、そのさらに地下にあった空洞は通路のように細長く続いており、踏みしめられた土の道は猫の身体でも歩きやすかった。
自然に元々あったというよりは、何者かが掘ったような感じ、例えば蛇の巣穴のような印象を受ける通路である。
あの床が大災害の地震で崩れ、その時この通路と繋がったのだとすれば、メルキオレはそのタイミングでこの通路を発見したということだろうか。
そして通路の先で何かを見つけ、その事が国王に代わって王国を支配するきっかけになったのだ。
あるいは黄金教団が、というよりメルキオレが崇拝している「主」とやらも関係しているかもしれない。
通路はやや曲がりくねってはいたが、おおよそ進んでいる方向はわかる。この通路は城に向かって伸びている。
教授の仮説、城の中心に国王を幽閉しているという説もここにきて再浮上してきたと言えるだろう。
幽閉自体はやはり城の中で行なわれていたのだが、その出入り口は城の外にあったのだ。しかもメルキオレが個人で管理している屋敷の地下である。
これなら長きに渡り、誰にも気付かれなかった事にも頷ける。
しばらく歩くと、やがて通路の先に光が見えてきた。猫の足で慎重に歩いていたため結構時間がかかった印象だが、人が普通に歩けばすぐの距離だろう。屋敷は城からそう離れてはいない。方角と距離を考えると、通路の先はおそらく城の真下あたりだ。
ここに国王が居てくれるのなら話が早い。
そう考えながら先を進み、通路を抜けた先にはまた広い空間があった。
何となく既視感を覚える。
この地底王国に初めて足を踏み入れた時も似たような印象を受けたものだ。
スケールは違うが、それは教授の身体も同じである。あの時とは違い、今は猫の視線だ。
しかし、今回見えた光景は美しい地底王国とはまるで違っていた。
視界の全てを塞いでしまうようにそこに聳え立っていたものは、およそ教授が想像すらしていなかったものだった。
「──これは、まさか……。なぜ、こんなところにこれが……。
そうか! 城の中心というのは──」
だとすれば、あの時のメルキオレの言葉は全てが嘘というわけではなかった事になる。
そして初めて城を見た時、教授が無意識に感じた印象は間違ってはいなかった。
「……お、根本に何か……。とりあえず、ひと通り調べるためにも本体で『鑑定』を──」
そこで教授の意識は途切れ、鍛冶場の仮眠室のベッドで目を覚ました。
強制的に精神を戻されたようだ。
あの瞬間に何者かに攻撃を受け、フェレス・クァトルが死亡してしまったと見るのが妥当だろう。
慌ててマウリーリオに確認してみるが、メルキオレは城にいた。犯人はメルキオレではない。他に協力者がいたのだろうか。確かにメルキオレの眷属はひとりも確認できていないが、存在しないと証明されたわけではない。また眷属でなかったとしても協力者がいないとも限らない。もうひとりの銀の枢機卿など怪しいところだ。
これは迂闊だった。
屋敷には普段人の気配がないということ。そしてメルキオレしか出入りしていないだろうこと。
それらの事から、屋敷周辺さえ見張らせておけば安全だと考えていた。現在あの場には誰もいないものだと思い込んでいた。
しかし別途出入り口が無いとも限らないし、あの地下空洞に常時詰めている者が居ないとも限らない。警戒はもっとしておくべきだった。
「……こちらの存在が相手に知られてしまった可能性があるな。少なくとも、城を探る猫が存在するという事実はバレてしまっただろう。──くそ、これは失態だ。早急にレア嬢に報告しなくては」
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