第404話「ケラ・マレフィクス」(教授視点)
「地底王国……。あなた方はここに国を作っておられるのか。我々が来た、あの港町もこの国の傘下だったりするのかね」
「いや、あの港町は独立した都市だ。王国から離れ過ぎているのでな。この都市の事も明かしていない」
確かに、それを明かしているのであれば内地の集落から来たなどと言って取引したりはしないだろう。
「あなた方もこの大陸が魔物の支配力の強い荒れた土地である事は知っているだろう。それは事実だ。
この大陸では日夜、多くの魔物たちがその縄張りを巡り争いを続けている。我々人類はその餌にしか過ぎない」
「多くの魔物たちが……? しかし、中央大陸に伝わる話では、この大陸は始源城に住む真祖吸血鬼が治めていると……」
「それも間違いじゃあない。確かに大陸中央部には真祖ジェラルディンという恐ろしい吸血鬼が住んでいる。しかしこのジェラルディンには領土拡張したいという欲求はあまり無いようでな。中央部の彼女の支配域こそ、近づく者は全て滅ぼすほど苛烈に守ってはいるが、彼女たちがその支配域の外に出てくる事はない。他の勢力の魔物たちもそれがわかっているのか、大陸中央部には近づこうとしない。まあ、そのせいで我々人類の生息域もその分狭くなってしまっているんだが」
真祖吸血鬼ジェラルディンは大陸中央を押さえ、自領については強く目を光らせているが、それ以外の地域に関しては無頓着で、好きにすればいいというスタンスであるようだ。
真祖を恐れて大陸の端で細々と魔物たちが縄張り争いをしている様は、ある意味では確かに真祖の撒き散らす恐怖に支配されていると言えなくもない。
「地上がそんな状況だから、人類はこうして地下で生きるしかない、ということかね」
「……その言い方は少し引っかかるな。いいか、俺たちは──」
「──そこから先は、私が話そう」
洞窟終わりの崖の脇、眼下の街に向かってなだらかに下っている坂道を、1人のヒューマンらしき青年が登って来ていた。
教授もその男が近付いていることには気が付いていた。
相当な実力者である。中央大陸の野良NPCではちょっと見かけないレベルのLPの輝きが見える。
しかも顔立ちも非常に美しく、中央大陸の貴族たちにも引けを取らない。
それらのことから、彼はただのヒューマンではなくノーブルか、あるいはその上の種族である可能性がある。
彼の存在にはヨーイチたちも気が付いていたようで、驚く様子はない。
「こ、これはメルキオレ様! このようなところまでわざわざ来ていただけるなど……!」
「いや、いい。客人の前だ。畏まることはない。そろそろ君たちも戻ってくる頃かと思ってね。城を出て散歩をしていたところ、何やら相当な実力者も連れているようだったから、つい見に来てしまっただけだ」
エサとパシが跪こうとしたのをメルキオレとかいう人物が止めた。
この青年は2人の上司か何かだろうか。獣人がヒューマンらしき人物に
彼の言っている城というのが地底王国の中心にあるあの巨大な柱の事であるとしたら、上司どころか国家元首である可能性もある。
遠さと大きさのせいで距離感が掴めないためよくわからないが、周りの建物との対比を考えれば、あの柱はこれまで教授が目にしたことのあるどんなものよりも大きい。いや、さすがに空中庭園アウラケルサスと比べてしまえば少々劣るが、それ以外では1番だ。おそらくトレの森でレアに見せられた世界樹よりも大きいだろう。と言っても空間自体に世界樹ほどの高さがないため、比較できるのも太さだけだが。
今まさに、彼が城と口にしなければ建物だとさえ思わなかった。
他に城に該当しそうな物がないため、あの柱がもしかして城なのかと考えて改めて見てみれば、柱から伸びている光の帯は確かに窓から漏れる光にしか見えない。
城というより極太の塔、あるいは窓が少ないビルと言った方がイメージに近い。
「まずは自己紹介をせねばな。私はメルキオレ・デ・サンクティスという。よろしく頼む」
「俺はヨーイチ。ナースのヨーイチとお呼びいただければ」
「何で呼び名の方が名前より長くなるんだよおかしいだろ。
俺はサスケ。モンキー・ダイヴ・サスケだ。サスケでいい」
「私はウルスス。しがない学者だ。ここへはこの地の人々の生活を知るために来た」
「お、おい! その言葉遣いは何だ! メルキオレ様は教団の──!」
「かまわない、パシ。私と彼らは今は対等の関係だ。これからどういう風に関係が変化していくかはわからないが、少なくとも私は協力的な関係を望んでいる。であればそのような小さなことを気にしても仕方がない」
いきなり気になるワードをさらりとぶちこまれた。そのせいでメルキオレ某の謙虚なセリフは入ってこなかった。
パシは今教団と言った。ではこの地底王国というのは宗教国家か何かなのだろうか。
いずれにしろ、確かに一組織の代表に対していささかフランクに過ぎたかもしれない。ヨーイチはギリギリ敬語だったが、サスケと教授はいつも通りだ。
しかし教授は敬語が苦手というか、以前はヒューゲルカップの領主であるライリエネ相手にもこの調子で面会を申し込んだ事がある。
ライリエネや、その後ろにいたライラたちにさえ敬語を使わなかったと言うのに、このメルキオレに敬語を使う理由はない。
本人がいいというのならなおさらだ。
「私は実は敬語というものが苦手でね。気分を害された事と思うが、ご容赦願いたい。
ところで先ほど、メルキオレ殿は地底王国の状況について自らお話し下さるようなことを言っておられたが……」
「ああ、そうだったな。
この地底王国は確かに、地上において我々人類の生存が厳しいからこそ建国されたものと言える。
しかし、建国後長い時を経るにつれて、国家が存在する意義も少しずつ変化してきたのだ。
我々人類もいつまでも穴ぐらでの生活に満足しているわけにはいかない。我々には光が必要だ。そのために必要なあらゆる手段を講じなければならない。
この地底王国を人類の反撃のための砦として運用し、地上の魔物たちを駆逐する。
そう、つまりこここそが、人類がこの大陸に光を取り戻すためのレジスタンス。その本拠地となるのだ」
立ち話もなんだから、ということで、メルキオレの先導で地下都市の中心にある城に向かって歩きながら話すことになった。
城には鳥舎、中央大陸で言う馬房のようなものもあるらしく、アーケオラプトルやニルコーンはそこに繋がせてもらえるらしい。
さらに城への宿泊も許可してもらえるようで、まさに至れり尽くせりである。
そういう判断を立ち話レベルでしてしまえるあたり、メルキオレはやはり国家の中枢かそれに近い位置にいるのだろう。
教団とやらの重要人物だというなら、ケラ・マレフィクスはやはり宗教国家なのだろうか。
「──私の正体が気になっているようだね」
「……いえ、そのような不躾な事は我々は──」
「もちろん気になるね。先ほどパシ殿は教団と言っていたね? メルキオレ殿がその教団の重要人物であるのは確かなのだろうが、それと地底王国との関係がいまいち掴めない。
私は最初、ケラ・マレフィクスというのはその教団が支配する宗教国家のようなものなのかと考えた。
しかしメルキオレ殿の話しぶりからすると、王国の全てを掌握しているわけではないかのように感じられる。先ほどの本拠地云々の話にしても、どこか希望的なニュアンスというか、現状や近い将来の話ではなく単なる計画の一部を話しているだけのように聞こえたのだ」
さらにもうひとつ、エサとパシはあの港町に武器を買い付けに来ているという話だったが、プレイヤーでもない2人が運べる程度の量の武器でこの規模の都市の防衛力を賄えるとは思えない。鍛冶設備はあるものの修理くらいしかしていないとか言っていたが、あれはおそらく嘘だろう。鍛冶設備があるのは本当かもしれないが、実際は購入した武器をサンプルにして自前で量産しているに違いない。
ついでにそのあたりも突っ込みたかったのだが、その前にサスケに止められた。
「お、おいおっさん! 初対面で目上の相手に聞くことかよ! 自重しやがれ!」
SNSで大活躍のこの2人にだけは自重しろなどと言われたくはない。
サスケの危惧通りエサとパシの雰囲気がざわついたが、それはメルキオレが目で制した。
「──素晴らしいね。貴方は確か、ウルスス殿と言ったか。あちらの大陸の学者先生というのは、みな貴方のように目端が利き頭の回転が速く、そして遠慮が無いのかな」
「……無いのは礼儀と常識もだろ」
サスケの余計なひと言のせいでメルキオレのセリフも全てが皮肉のように聞こえてくる。
しかし皮肉だとしても、こういう言い方をするということは大筋で教授の指摘を認めているということだ。
「確かに、ウルスス殿が言った通りだ。
私はアウローラという名の教団の代表、いわゆる教主を務めている。ケラ・マレフィクスの王は別におられるが、今は体調がすぐれなくてね。城の一室で静養中だ。
そこで国内最大勢力であり、国民の信頼も篤い我が教団が王に代わって国の舵取りをし、政務を取り仕切っているというわけだ」
「その教団の政策が先ほどの過激な
メルキオレは薄く笑って答えた。
「──もちろんだよ。我々アウローラは主の御心に背くような事はしない」
主の御心というのはその教団とやらの信仰対象の事だろうか。この言い方では、少なくとも国王の事ではあるまい。
ほんのり漂う胡散臭さに教授はワクワクしてきた。
「我々はしばらくあの城に泊めてもらえるという話だったかな。もしよければ、城の主たる国王陛下にご挨拶のひとつでもさせていただきたいものだね」
「さすがにそれは難しい。貴方がたを信用しないというわけではないが、出会ったばかりの客人を臥せっておられる陛下の元にお連れするのはな」
単なる勘に過ぎないが、何かあるような匂いがする。
しかし現状持っている情報だけではこれ以上の追及は無理だろう。
「おっさん、お前マジでちょっと黙ってろよ。せっかく善意で城に泊めてくれるっつーのに、パアになったらどうすんだ。おっさんが港でエサさんたちに奢った酒の効力はもうとっくに切れてんぞ」
「そんなつもりはないよ。さすがに私も、奢り酒だけでそこまでしてもらえるとは思っていない。しかし、だからこそ不思議には思わないかね。なぜ、何の縁もゆかりもない我々を城に泊めてくれるのかと」
「そりゃ……、そうだが」
気前よくエサたちに酒を奢った教授の懐を狙っている、という可能性もないでもないが、城を自由に使い、国家の運営さえその手中に収めつつあるらしい教団が、たかが学者1人の財布を狙ってこんな事をするとは思えない。
何か教授たちを城に招き入れたい理由か、教授たちを無条件で信用する理由のどちらかがあるはずだ。
「その事か。それは貴方がたが我々にとって「同志」であるからだ」
メルキオレがそう答えた。
まるで心当たりがない。酒場で酔って何かの証明書にサインでもしてしまったのだろうか。いや、教授が酒で泥酔することはない。
「同志? 待ておい、いつの間に同志になったってんだ」
「……サスケ、お前も言葉遣いがだな」
メルキオレはサスケの言葉はさして気にせず、エサたちに目配せをした。そのエサたちが頷いたのを確認し、続きを話す。
「この地底王国まで伸びる地下洞窟、その入り口にはとある薬草を磨り潰した物が塗ってあった」
あの気分が悪くなる匂いの元だろう。実にひどいものだった。
「周辺の豚人たちを避けるための特殊な香草だとエサたちは説明しただろうが、正確には違う。
あの入り口に塗ってあったのは豚人除けの薬草だけではない。吸血鬼をはじめとするアンデッド、ウェアウルフのような混じり物、デザートスキンクなどのレッサードラゴン系の魔物など、周辺に生息する魔物が嫌うありとあらゆる薬草を塗りつけてあったのだ」
そのうちのどれかが、というかおそらくウェアウルフ除けの薬草とやらがウェアビーストである教授にクリティカルヒットしたのだろう。いい迷惑だ。
「故に貴方がたがここにこうして無事でいるというだけで、すでに十分信用するに足る存在だと言えるわけだ。
この地では人類は生存する事さえ難しい。人類同士で争う事など考えられない。
実力ある人類の同志であれば、城に招くのに十分な理由になる」
人類であれば疑わない。中央大陸でもそうした傾向はあったが、西方大陸はさらにその考えが強いらしい。
あちらはそのせいで滅んでしまった国もあったが、このケラ・マレフィクスはどうだろうか。
教授はなんだかおかしくなり、口髭の下で薄く笑ってしまった。
──この森エッティ教授を前にして、信用前提で物事を進めるとは、自殺行為にも程がある。
いや違った。少々マグナメルムに毒されすぎていた。別に今の段階で彼らをどうこうしようというつもりはない。
「……それで初対面であるにもかかわらず、我々を歓迎してくれたというわけですか。先ほどはこの都市を反撃のための砦とおっしゃっておりましたが、こうした形で同志を増やしていくというのもそのための……?」
「ええ、その通り。そちらの学者先生も言っておられたが、恥ずかしながら今はまだ反撃の砦というには戦力的に心もとないと言わざるをえない。
ゆえに貴方がたのような優秀な人材の協力を得るためにも、広く門戸は開いておくようにしているのだ」
メルキオレはこちらの3人を順々に見つめながら言った。教授に目を留めていた時間はごく短いものだったが。
ヨーイチとサスケだけを強く意識したという事は、メルキオレは『真眼』か『魔眼』を所持しているのだろう。
いきなり取り込みにかかったのも、ヨーイチたちの実力がこの西方大陸においても高めの水準にあるからのようだ。
メルキオレ自身の実力は、教授の『真眼』に映っている限りではヨーイチやサスケを遙かに凌いでいるように見える。
しかしエサやパシにはそこまでの実力はない。
メルキオレがこの地底王国で突出した実力を持っており、エサたちが平均的な能力なのだとしたらこの反応もわかる。
『鑑定』してみれば話は早いが、未知の土地で未知の組織のトップに対して迂闊にやるのも憚られる。
しかし、強者であるヨーイチたちに対してはさり気なく
人類のためと言いながら弱い人類は容赦なく切り捨てる。そうすることで種全体から弱みを消し去ろうとでもしているのだろうか。
それとも、細いながらも西方大陸外部と繋がりがある港町には情報は流せないということだろうか。エサだかパシだかが言っていた、港町は遠すぎるという言葉。あれが距離があるから完全な情報統制が出来ないという意味であるならば、それはいったい誰に対する情報流出を恐れているというのか。
選民思想に秘密主義。
ワクワクするワードがいっぱいだ。
やはり未知の大陸というのは素晴らしい。
「人数もそうだが、魔物たちに対抗するには我々には決定的に個々の実力が足りていない。まずは各々がその実力を高めていかなければならない。
そのために私も率先して、皆の模範となるように日々その牙を研いでいる。
エサとパシが港町で売っていた革を見たかい? あのうちのいくつかは私が仕留めた獲物だ」
「そういう事でしたか……。
我々を評価して下さるのはありがたい限りですが、メルキオレ殿は我々よりもはるかに高い実力を持っておられるように見受けられます。いったいどのような修行をすればそれほどの……」
探るようなヨーイチのこの質問にまたエサとパシが睨んできたが、これもメルキオレが視線ひとつで制してみせた。
これほど従順となると、この2人はメルキオレの眷属なのかもしれない。しかしヒューマン系のメルキオレが獣人系のエサたちを『使役』するには汎用のスキルが必要になる。それを持っているとしたら、メルキオレは『真眼』で視えている以上に実力が高い可能性がある。
確認するにはエサかパシをキルしてみるのが手っ取り早いが、違った場合は取り返しがつかない。
「先ほども少し話したが、私は日々魔物と戦うために身体を鍛え、そしてその成果を試すために魔物を狩っている。他には特別な事はしていない。私に実力があると言うのなら、その繰り返しのおかげだろうな。
今日もこの後、ひと狩り行く予定なのだが、よかったらあなた方も同行されるか?」
「よろしいのですか? 是非!」
「願ってもねえぜ! 足手まといにはならねえから安心してくれ」
ヨーイチとサスケは二つ返事で飛び付いた。
もともと武者修行のために海を渡って来たくらいだし、強くなれそうな機会があるなら逃しはしないだろう。
メルキオレがヨーイチたちより実力的に上である事は『真眼』を持っているらしい彼らにもわかったのだろうし、追いつけるものなら追いつきたいと言ったところか。
全員の視線が自然と教授に向かってきた。お前はどうする、という感じだ。
正直行きたくないというか、城に泊めてくれるなら書庫でも見せてもらえないかと言うつもりだったが、戦わずして西方大陸の魔物の実力を見極められるのであればそれも悪くない。
本など別の日でも読めるだろう。許可さえしてくれるのであれば。
「……では、私も同行してもいいだろうか。ああ、私はそちらの2人と違って戦わないからそのつもりで」
「戦えない、の間違いだろ。正確に申告しろよ」
サスケが茶々を入れてきた。
戦えないわけではないのだが、隠者のチョーカーの事を知られるのもまずい。そういうつもりでこれを付けている限り、戦えないとしておいた方がいいのは確かだ。
サスケの言葉には首をすくめて肯定の意を返しておいた。
「──よし、では一同荷物を城に置いたら出発しよう。エサ、パシ、帰ったばかりのところで悪いが、君たちも同行してくれ」
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