第405話「近づくと遠ざかる。人間関係は蜃気楼」(教授視点)
城にエサたちの荷物を置いた後、森エッティ教授たちが地下に入った港町方面とは別方向に伸びている地下洞窟を行き、一同は地上を目指した。
港町方面が東だったとすれば、こちらは南になるだろうか。
東の港町方面とは違い、出口はすぐに現れた。
港町方面はエサたちのように行き来する者が多いため、安全な地下洞窟を長めに掘ってあるとのことだ。
明るい地上より暗い地下洞窟の方が安全というのは感覚的に分かりづらい認識だが、人類の勢力がごく小さいこちらの大陸ではこれが普通なようである。
あるいはこちらの大陸は地下を生息圏とする魔物が少ないのかも知れない。
地上に出る時にはまたあの気分の悪い匂いがしたが、わかっていれば耐えられる。酩酊状態といっても軽度であれば顔色が変わる程度で済む。これは思考力と状態異常が紐付けされることがない、プレイヤーならではの強みかもしれない。
どうしようもない匂いについては口呼吸でやりすごし、何とか地上に到着した。
その出入り口付近は香草の効果で安全が確保されているようだが、そこから離れるとすぐに魔物が襲ってくる可能性があるらしい。
東の港町方面はそこまでエンカウント率が高かったように思えないが、あれは運が良かっただけとのことだった。言われてみればエサたちは確かに何度も安全確認のような仕草をしていた。普段は数回くらいは襲われると言っていた。
それが無かったからこそ帰還直後でもメルキオレの狩りに付き合えたのだろう。戦っていない分消耗が少なかったのだ。
洞窟の入り口付近が安全なのはいいのだが、それはあのひどい匂いのおかげである。
そんなところに長居したくない教授はさりげなく一行を急かし、魔物と戦うために洞窟を離れるよう促した。
しばらく進んで、ひどい匂いがしなくなったなと思った頃、豚人らしき魔物の群れが現れた。
呼び名の通り、まるで二足歩行する豚のような姿だが、遠目では裸のオッサンの集団のように見える。中央大陸ではあまり見ない方向性での脅威を感じた。
それぞれが手に棍棒のような原始的な武器を持っている姿にも、言いようのない不安感を覚える。
豚人というのは東の出入り口周辺に多いと言う話だったが、南側でも出るらしい。大陸のどこにでもいる、中央大陸で言うゴブリンのような存在のようだ。
「出たな! メルキオレ殿、ここは俺たちが!」
「ああ! まずは俺らの実力を知ってもらわねえとな! 行くぜ!」
サスケがどこからともなくナイフを取り出し、先頭にいた豚人に投擲した。
ナイフはスコッと音が聞こえそうなくらいスムーズに豚人の額に突き刺さり、さっそくキル数を稼いだ。ナイフそのものもいい素材を使っているようだし、作りも丁寧だ。投擲に特化してデザインされているらしい。そこにサスケのスキルや技術も乗っている。言うだけの事はあると言えよう。もし教授が今のナイフを食らったら避けられるかどうか微妙なところだ。当たったところで死にはしないだろうが、急所に食らえば笑顔が曇る程度のダメージは受けるかもしれない。
その鮮やかな技術に一行が感心している間に、ヨーイチは実に3射もの矢を放っていた。
特筆すべきはその速射能力と命中精度だ。
それ自体は何かスキルを使ったわけではない。本人の技術だろう。スキルについては威力上昇系のものをチョイスしていた。
3本の矢はまっすぐに豚人の目を射抜き、3頭の豚人を即死させた。
サスケはそのままニルコーンを走らせ、最後に残っていた5頭目の豚人にすれ違いざまナイフを閃かせた。
サスケを乗せたニルコーンが走り去った後、一瞬遅れて豚人の首が飛び、頭部を失った豚人は血を噴き出しながら倒れ伏した。
戦闘終了だ。
恐るべき戦闘力である。
確かに豚人はそれほど強くはない。しかし、かと言って弱いわけでもない。
『鑑定』で見たところでは、その強さは中央大陸で言えばホブゴブリンファイターあたりと同程度だろうか。一昔前の中堅程度、今で言うと初心者を脱した頃のプレイヤーが1対1で何とか戦えるくらいの相手だ。種族名はやはりオークだった。
それを苦もなく倒したこと自体は大した問題ではない。そのくらい、上位のプレイヤーならやれる者は多いだろう。
異常なのは、そのすべての攻撃がクリティカル判定だったことだ。
ゆえにただ一撃の下、すべてのオークを屠っている。
レアたちがたまに口にしている、数値に表れない戦闘力。
なるほど、これがそうなのか。
教授のように、単に能力値を引き上げただけでは到達できない強さがそこにはあった。
「──素晴らしい!」
それは隣で見ていたメルキオレにも感じられたらしい。
彼は拍手と共にローブの2人に近づいていき、それぞれを抱擁して健闘を讃えた。
「私に教えを請うなどと、謙遜するにも程があるな! それほどの身のこなし、あっという間に私など追い越していくに違いない! むしろこちらの方が頭を垂れて教えを請いたいほどだ!」
本心だろう。
エサとパシもそれまでとは打って変わって尊敬のまなざしで2人を見つめている。
そのまま教授にも期待の視線が飛んできそうだったために釘を刺しておいた。
同じ大陸から来たという事で誤解されても困るが、教授にはあのように戦う事など到底できない。
その後も何度かオークの群れを狩り、日が傾いてきたところで地下都市に帰ることになった。
このエンカウント率の高さからすると、どうやら西方大陸というのは大陸中が魔物の領域のようなものであるらしい。
東側の沿岸部はまだマシなようだが、奥に入ると途端に魔境と化す。
巨大なダンジョンの中で人類の生息域を確保しているとなれば、確かにこのように地下にでも隠れ住むしかない。
地下都市全体がセーフティエリアなのかどうかは調べる必要があるが、少なくとも地上にはセーフティエリアがあるようには見えなかった。
運営の販売している、あるいはこの世界のどこかで作られているというインスタントセーフティエリアは、この大陸でこそ必要なアイテムだと言える。
プレイヤーたちの多くがこの大陸まで進出する事になれば、さぞかし売り上げも伸びることだろう。
なお城に戻ったヨーイチたちは、もはや姿を隠す必要もなしとばかりにローブは脱いでインベントリに仕舞ってしまった。
中から現れた彼らの格好を見たメルキオレは一瞬硬直したが、すぐににこやかに対応を再開していた。教授から見ても実に優れた自制心だ。伊達にこの地底王国を支配しているわけではないようだ。
ただ、それまでは肩を抱いたり抱擁したりと感情表現の距離が近めに感じられたものだったのだが、それ以降はそういう事は無くなった。
そして教授は、SNSで言われているより常識人だと考えていた自分の見る目のなさを反省した。
それと同時に、大陸が変わっても美的センスは変わらないらしい事が確認できて安心した。
*
おそらく大部分はヨーイチたちの戦闘力のおかげなのだろうが、中央大陸から現れた一行ということで教授も一緒くたに尊敬される枠に入れられた事は大変僥倖だった。
城の書庫への立ち入りが許可されたのだ。
あるいは何かの狙いがあるのかもしれないが、大した問題ではない。プレイヤーであり、マグナメルムのメンバーでもある教授に対して書庫への物理的接触を許可した時点で、後はどうにでもなる。
書庫は中央大陸の国家ほど蔵書量にバリエーションがあるわけではないが、それでもかなりの数の蔵書が納められていた。
連日のようにメルキオレと狩りに出かけるヨーイチたちを尻目に、教授は書庫へと籠り、おそらく監視のために付けられているのだろう書生めいたエルフの青年と書物について語り合った。語り合ったというか、たいていは教授が一方的に話していただけだったが。エルフの青年の名前すら聞いていない。いや聞いたかもしれないが覚えていない。
しばらくすると、教授が書庫へ行く時は必ず付いてきていた青年は現れなくなり、代わりに老いたドワーフが付くようになった。
教授にとってはエルフの青年に特に思い入れはなかったため、話し相手が変わったとしてもすることは変わらない。構わず思うところを話し続けた。
書庫にあった書物というのは、大陸の歴史やすでに滅び去ったらしい、かつて存在した人類国家についての事がほとんどだった。
これらの文献からするとこの地底王国とやらには相当古い歴史があるようだ。地底王国そのものに関する文献は見つからなかったが、他の国家に関する事が書かれた書物があるという時点でこの国の歴史の長さも想像がつく。
それらが残っているにも関わらず地底王国に関する文献がないのは、おそらく隠されているからだろう。
メルキオレはこの地底王国について、人類が地上の脅威から逃れるために建国されたとか言っていたが、本当にそうなのか怪しいものだ。
ただ歴史的な情報以外については隠さなかったようで、地底王国や周辺を取り巻く状況などに関する文献はいくつか残されていた。
中央大陸との交流はもともと細かったらしく、その理由が記された資料もあった。
中央大陸と西方大陸を隔てる海、カナロア海と言うらしいが、ここには多くの海洋性の魔物が生息している。それらが航海の障害になっているのは確かなのだが、別の理由もあるという。
カナロア海に住む魔物は大エーギル海に比べてそれほど強くなく、サイズも大型化しないようで、教授たちが渡って来たようにタイミングを読めばそれほど航海自体は難しくない。
そのタイミングを読むというのが門外不出の重要情報であるのは間違いないことではあるのだが、それだけならばその情報を独占する商会がもっと大掛かりに貿易をしてもおかしくない。
中央大陸に存在しない魔物の素材と中央大陸で精錬された金属製品をやり取りするような商売をすれば、大きな富を得る事が出来る。一隻の船ではなく、船団を構築して大規模に行なえば一攫千金も夢ではないはずだ。
にもかかわらず、誰もそうしない理由。
それはカナロア海を支配する、海洋王国カナルキアの存在だ。
海洋王国カナルキアを支配しているのはメロウたちを統べる女王、テリトゥ・オアンネスのメリサンド。
文脈からすると、テリトゥ・オアンネスというのが種族名で、メリサンドが個人名だろう。
文献もかなり古いもののようで、今現在も同一人物が支配しているのかはわからない。
メロウというのはいわゆる人魚の事で、女性しか居ないらしい。それはもはや性別が無いのと同義なのでは、と教授などは思うのだが、中央大陸の東の大エーギル海にはマーマンという男性しか居ない魚人の国があるそうだ。
東が男性、西が女性なら一応バランスが取れているのかと思いきや、この2種は非常に仲が悪く、間に中央大陸が無ければとうの昔に戦争が起きて滅ぼしあっていただろうと文献には綴られている。
一体どうやって繁殖しているのだろうか。両種族とも同性同士で繁殖出来る能力でもあるのか。
とにかく、貿易船が小規模なのはカナルキア王国の影響が大きいからだそうだ。
船団と呼べるようなたくさんの船が通行する時、このカナルキア王国の軍勢がそれらの船を攻撃してくるというのだ。
文献によれば、カナルキア王国は日光を神聖なものとして崇める文化を持っているようで、それを遮る船団は忌むべきものだというのである。
航行する船が一隻または少数であれば、宝石などの装飾品と引き換えに見逃してもらえるということだったが、あの時の船長も教授の知らないところでそうした事をしていたのだろうか。それとも今は失われた文化なのだろうか。
これらの内容は本当なのか、というか誰が誰から聞いたのか、非常に気になるところだが、いずれにしてもそういう理由で大規模船団を自粛しているのは確かなようである。真偽はともかく、海洋性の魔物たちの目を盗むようにして航行している以上、大規模な船団は構築しづらいのは間違いない。
商人たちというのは意外と
たとえ多少眉唾でも、船団が壊滅するかもしれないリスクは冒せなかったということだろう。
そういう風潮で今日まで細々と貿易が続けられてきたというわけだ。
距離のせいか東の海のマーマンの王国とやらについては詳しく書かれた文献が無いものの、カナロア海については他にも記述がある文献は多い。
カナルキア王国の女王の種族、テリトゥ・オアンネスとは世界に危惧された存在のひとつだと書かれており、これはおそらく現代で言う災厄級を表していると思われる。世界に危惧されたとは、つまりワールドアナウンスが流れたという意味だろう。
この表現は文献によってまちまちで、監視されただとか警告されただとか色々な言い回しがあるが、共通しているのはそれが世界によってもたらされた情報だとされていることだ。
現在、中央大陸ではワールドアナウンスは神託と呼ばれており、神によってもたらされる物だとされている。
これらの文献が記された当時には神という概念は無かったのだろうか。それとも別の理由でもあるのだろうか。
「──実に興味深いとは思わないかね。ところで現代ではこちらの大陸でそういった、ええとなんだったかな。『霊智』スキルだったかな。それによってもたらされる情報というのはどういう扱いになっているのかな。今でも世界によるものだと認識されているのかな。ちなみに我々の大陸では神なる存在によってもたらされると言われているようだが」
数々の文献を読み、そしてエルフの青年や老いたドワーフと話していく中で、教授は「中央大陸」、「西方大陸」という呼び方はしないようになっていた。
こちらの大陸ではどうもそういう呼び方はしていないようなのだ。
考えてみれば当然である。
誰が好き好んで自分の大陸を、他の大陸の西にある大陸などと呼ぶというのか。
海を越えた交流が少ないが故に各々の大陸を呼びならわす機会が生まれず、結果として名前も付けられないまま今日まで過ごしてきたのだろう。
「こちらの大陸でも、神によるものだとされておりますな。ただ我らが主は神などという不確かな者ではありませんのでな。おそらく神という概念は教授殿の大陸からもたらされたものでしょう」
「なるほど。あちらの文化が輸入されたというわけか。言語は共通なわけだし、そういう事は本来もっと盛んに行われていてもおかしくないと思うのだがね。交流の細さがそれを妨げていたということか。文化的にはインパクトだけは強い神などの概念くらいしか輸出入されなかったということかな。
ところで」
話し相手が若いイケメンエルフから萎びた老ドワーフにすげ替えられた事には随分前から気づいていたが、どうでもよかったため気にしていなかった。そろそろ自己紹介くらいはしておくべきだろう。
「少し前から私の話し相手になってくれている、貴方は一体どなたなのかな。ああ、私の名前はウルススだ。中央大陸で学者をしている。こういう古い文献を調べたり、あるいは魔物や人類について調べるのがライフワークだ。最近は少し『錬金』についても研究しているがね」
「これはこれは、どうもご丁寧に。数日も何も聞かれませなんで、てっきり儂のことなど興味がないのかと思うておりました。
儂はマウリーリオ・アルジェントと申す者で、メルキオレ様の、そうですな。補佐のようなものをしております。言ってしまえば雑用係ですな。お忙しいメルキオレ様に代わって、お客人のお相手をするよう言われたまででして」
教授に対してメルキオレがどのくらい警戒しているのか、あるいはどのくらい重要視しているのか。
それはこの監視役の人物に聞いてみればわかる。
そしてどう見てもヒューマン系種族のメルキオレが、どう見てもドワーフ系種族のこの老人を『使役』しているのかどうか。
これをはっきりさせることで、メルキオレの実力の一端を明らかにする事も出来る。
「なるほど、そうだったのか。それはどうも『ご苦労様』」
NPCが『使役』されているのかいないのか、相手にこちらの手札を明かさずにそれを知る一番手っ取り早い方法はキルしてみることだ。
しかし殺すわけにはいかない状況も往々にしてある。
そんな時は実際に『使役』を発動してみればわかる。エラーが出て失敗するようならすでに誰かの眷属なのだろうし、そうならないなら誰にも『使役』されていないはずだ。
他人の目がある場所でこれをやると、成功した場合相手が突然不自然に畏まってしまう可能性がある。このように2人きりでなければなかなか出来ない手ではあるが、効果は抜群だ。
「ほ──」
「……効いたな。彼の眷属というわけではないのか。やはり種族系統が違うからかな。
よし、ではその雑用係とやらの君の正式な役職名と職務内容、それからこの国とその国王についてと、さっき君が言っていた「我らが主」とやらについて詳しく教えてもらおうか──」
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