第403話「危険な空気」(教授視点)
エサとパシが過ごしている集落というのは、常に魔物の脅威に晒されている危険な場所だということだった。
そのため武器の消耗が激しく、こうして定期的に仕入れに出なければならないらしい。
彼らが持っている魔物の素材を見せてもらったところ、何かの動物の牙と革のように見えた。革はすでになめしてある。
「こいつは豚人の革と牙だ。牙は研げばナイフになるし、革は鎧の材料になる。熱に強くて強靭だ」
豚人というと、オークのようなものだろうか。
中央大陸ではついぞ見かけなかったが、この大陸ではオークが繁殖しているのか。
「ふむ。素人考えで申し訳ないのだが、この牙を武器にすれば買い付けに来る必要はないのではないかね」
「だめだ。短すぎる。木の棒にくくりつけてリーチを稼ぐにしても、曲がってるから使い勝手が悪い。それだったら、牙を売った金で最初から人が使いやすいように作られた武器を買った方がいい」
訓練にかかるコストを切り捨て、より手っ取り早く戦闘力を維持しようということだろう。
実に合理的な考え方だ。
そして同時に、彼らの集落はもしかしたら教授が思っているより簡単に人が死亡してしまう環境であるのかもしれない。1人の戦士の寿命が短いのなら、その1人にかけた教育コストを回収する前に死んでしまうのなら、それを道具で補って効率を上げていくしかない。
「やはり随分と過酷な環境のようだね」
「……よし」
「……ああ、そうだな」
教授が彼らから話を聞いている間、ヨーイチとサスケは黙って見つめ合っていた。
やはりそういう関係なのだろうかとちらちら気にしていたのだが、どうやらフレンドチャットで相談しあっていたらしい。
「エサさん、パシさん。俺たちは実は、武者修行のためにこの大陸に渡ってきたんだ。
明日、エサさんたちが取引を終えて集落に帰る時、俺たちも連れて行ってくれないか。迷惑はかけない。最低限、自衛するだけの力はあるつもりだ」
色々やらかして中央大陸に居づらくなり、逃げてきたものだとばかり思っていたが、立派な目的があったようだ。
武者修行とは粋な言い方をしているが、要するに経験値稼ぎだろう。
より過酷な環境に身を置く事で効率的に成長しようという事だ。
「それはいいな。よし私も同行させてくれ。エサ殿たちの文化に興味がある」
「おいあんた、俺たちゃ遊びで行くわけじゃねえんだぞ」
プレイするとは遊ぶことであり、すなわちプレイヤーとは遊び人のことだ。
しかしながら、プレイヤーは確かにゲームを遊んでいるのだが、ゲームの中で遊び感覚でやっている者と、このゲームだからこそ真剣に遊んでいる者と、2種類の人種が存在しているのもまた事実である。
サスケが言いたいのはそういうことだろう。もっとも、あちらは教授も同じプレイヤーだとは気付いていない様子だが。
しかし教授にしても、遊び半分で言っているわけではない。
教授にも目的があり、そのために出来る事を精一杯しようとしているのだ。これでも教授なりに真剣に遊んでいるのである。
「そんな程度の実力で生き残れるほど、甘い環境じゃねえってのは今の話からでもわかるだろ。悪い事は言わん。やめておけ。死んじまったら終わりなんだぞ」
「死んでしまえば終わりなのは重々わかってはいるがね。私にも成すべき使命というものがある。
君たちも知っているだろうが、中央大陸は今、未曾有の大災害に見舞われている。いつ、こちらの大陸と同じような環境に晒されるかわからない。
であれば、そうなってしまう前に、先人たちの知恵を借り、あらかじめ対策を講じておくのは必要な事だ。それが学者である私の使命だ」
後半はでっち上げである。
何しろその未曽有の災害とやらをお見舞いしているのは他ならぬマグナメルムであり、教授こそその一員であるからだ。
「……決意は固い、ようですね」
「まあね。同郷の
「真の意味で同郷、ってわけじゃないんだがな。あー、仕方ねえ。大陸の災害ってのも俺たちにも責任がねえわけじゃねえし、しばらく面倒見てやるよ。……にしてもそうか、そういえば武者なんていねえのか」
全く疑う様子もない。ライラに比べて何と素直なプレイヤーたちだろう。やはり交渉相手というのはこうでなくてはいけない。
*
翌日、取引を終えたエサとパシの2人と合流し、町を後にした。
グスタフたちにはすでに連絡してある。
ケリーたちも町の外の集落については強い興味を示していたが、彼女らの役目はまずはこの町を掌握する事だ。
ここに橋頭保を築いてしまえば、大陸の調査などいつでもできるようになる。わざわざ現地民の協力を仰ぐ必要はない。集落が気になるのなら実力で探しに行けばいい。彼女たちならそれができる。
弱者のふりをしてこつこつ情報を集めるなどという事は、戦闘が得意でない教授のような者がやればいいのだ。
ヨーイチとサスケには中央大陸から連れてきていた馬がおり、エサとパシはこの大陸で馬がわりに使われているらしい、二足歩行するアヒルのような鳥を連れていた。
こっそり『鑑定』したところによれば、その鳥の種族名はアーケオラプトル。現実では存在しない、鳥と恐竜の中間と考えられていた生物だ。
4人が騎乗して教授だけが徒歩というのは問題である。
ひとりだけ歩きなのが嫌という意味ではない。部隊内の行軍速度に差が出るのは歓迎できることではないし、エサとパシにしても教授に文字通り足を引っ張られるのは望ましいことではないだろう。
いつ戦闘に巻き込まれるともわからない未知の土地で相乗りというのもリスクが高い。
町でも荷物運びや移動のためにアーケオラプトルを利用する事は多い。馬より気性は荒いようだが、頭部全体を厚手の布などで覆って視覚と聴覚を遮断してやれば大人しくなるため、場合によっては馬より扱いやすい事もある。そのためこの町でも普通に販売されている。
教授も1頭これを購入する事にした。
素人の学者がいきなり知らない魔物を扱えるのかと心配されたが、『騎乗』スキルがあると適当に言いながらさりげなく『使役』をしておいた。
「……どうどう、どうどう。何だ、こうしてみると可愛いじゃないか。よし、君の名前はアルバートだ。では行こうか」
砂漠と言うほどではないが、乾いた砂が風に舞う街道を進む。
街道と言っても中央大陸のように分かりやすいものではなく、単に何もないから道として使えるといった程度のものだ。
教授の目には全く道など見えないが、エサとパシは進むべき方向がわかっているらしく、迷いなく鳥を進ませていく。
ヨーイチたちや教授はそれに付いていくしかない。
時おりエサたちは一行を制止し、静かに辺りを窺うような事があった。
周辺の魔物を警戒しているようだが、教授の『真眼』には何も映らず、ヨーイチたちも首をかしげていた。
視覚以外に何か感知する能力でもあるのだろうか。『鑑定』によればそういう妙なスキルは持っていないようだが、経験則によるものなのか。
そうして何度か危機、かどうかしらないが、ともかく何かをやり過ごし、長い時間をかけてようやく教授たちは目的地らしい場所にたどり着いた。
それは大きな岩に囲まれた、地面に空いた穴のようなものだった。
枯れかけた木や岩がごろごろしている中に紛れるようにして存在しているため、場所を知っていなければこの穴を見つけるのは難しいだろう。
穴は地下道のように続いているらしく、洞穴のせいで周囲が盛り上がっているという感じでもない。
一行は穴に近づいていくが、穴周辺は何やら非常に嫌な匂いがした。
正直入るのがためらわれるほどだ。ここにいるだけで気分が悪くなってくる気がする。
自身の状態を確認してみれば、軽度の酩酊状態になっていた。教授は酔っぱらった事がないが、こんなに気分が悪いものなのか。だとしたら人はなぜアルコールなど摂取するのだろう。どうかしているとしか思えない。
しかし他の者たちは特に何も感じていない様子だが、どういうことだろう。
「ここからは地下を行く。この辺りには豚人と大サソリが出るが、岩には豚人が嫌う匂いを発する薬草を潰して擦りつけてある。穴から豚人が入る事はない」
いや、その薬草を嫌っているのは、おそらく豚人だけではあるまい。
獣人やヒューマンである彼らが何ともないということは、この不調は教授が人類種ではないからだろう。つまり、控えめに言って可愛らしさの極致であるタヌキもその薬草を苦手としているということだ。
「……豚人、とかいうのは、ともかく、大サソリの、ほうは、大丈夫、なのかね」
「大丈夫だ。大サソリは名前の通り、体が巨大だ。幼体でもこの穴に入る事は出来ない」
子供ですらこの穴に入れないほど巨大な魔物がいるとなると、やはりこの大陸は恐ろしい場所のようだ。
「おい、あんた大丈夫かよ。顔色悪いぜ」
「……ああ、心配をかけて、すまないね。ちょっと、慣れない鳥の背中で、酔ってしまったようだ。馬ならこうは、いかないのだが」
馬にも乗った事がないので本当にそうなのかは不明だが、『騎乗』を持っていると吹かした以上はそうでも言っておかなければ不自然になる。
事実、馬やニルコーンよりもこのアーケオラプトルは揺れる。おそらく足の数が少ないせいだろう。外見的にもアヒルの皮を被ったダチョウさながらの姿なので仕方ないのだが。
「気分が優れないのか。休憩するか?」
「いや、大丈夫だ。先に進もう。もう少し進めば、慣れてくるはずだ」
こんなところで休憩など死んでもゴメンである。
例の薬草とやらは入口周辺にしか塗られていないようで、洞窟に入ってしまえば気分の悪さも収まった。
洞窟内の空気の供給を考えれば内部空間にも匂いが充満していても不思議ではないのだが、そういうことはなさそうである。
洞窟特有の、空気が淀んでいるような感じもなさそうだし、もしかしたら様々なところに空気穴が開いていたりするのかもしれない。
洞窟は驚くほど長く続いており、また地面も整地されていた。
自然のものではない、というより、自然のものを整備して利用しているのだろう。
周辺には豚だのサソリだのがうろついていると言っていたし、安全に移動するための知恵とかなのだろうか。
途中、洞窟のあまりの長さに中で一泊する事になった。
教授の体調次第では、これを入り口付近でするつもりだったのだろう。
そうならなくてよかった。
*
翌日もかなりの距離を歩き続け、洞窟を進んだ。
正直それほど長い時間を他人と過ごす想定をしていなかったため、教授の食糧が問題になった。
インベントリには数週間は過ごせる程度の備蓄はあるが、それをヨーイチたちの前で取り出すわけにはいかない。この大陸で今後どのような行動をとるかはまだ定まっていない今、プレイヤーだと思われるよりはNPCだと思われていた方がいい。
そこで食糧はヨーイチたちから購入する事にした。
彼らは教授の苦労も知らず、堂々とインベントリから食糧を取り出して食べていたので、金貨を支払ってその一部を譲ってもらったのだ。
彼らは別に金貨に困っていないらしく、無償で食糧を差し出してきたが、それは教授が断った。
妙な借りを作ってしまうと、何かの時に手心を加えてしまう事になるかもしれない。普段は詐欺師だなんだと言われる教授でも、そのくらいの常識は弁えている。
そういうあれこれもありつつ、一行はさらに長い時間をかけて今度こそようやく目的地らしい場所にたどり着いた。
洞窟の入り口を目的地だと勘違いしたのも遠い昔の事のように感じられる。
真の目的地であるエサとパシの集落というのは、地下洞窟の伸びた先、これもやはり地下だった。
しかしただの地下ではない。
洞窟の終点は崖のようになっており、崖の向こうには見た事もない景色が広がっていた。これもある意味、ゲームの中でしか見られない光景だと言えよう。
地下空洞と呼ぶにはあまりにも広い空間。
薄闇でぼやけた視界では向こうの端まで見ることさえできない。
まるで鍾乳石か何かのように、空間を貫くように上から下へ何本も柱が伸びている。これが天井を支えているのだろうか。
どうやって明るさを、と思って見渡してみると、柱や天井には無数の光がぼんやりと張り付いていた。
一番近い柱を目を凝らして見てみると、これは苔が光を発しているらしい。
『鑑定』してみるとキラメキゴケと出た。
現実のヒカリゴケはあくまで光をレンズ状の細胞で反射しているだけで自力で光っているわけではない。つまりこのキラメキゴケはゲーム特有の幻想種ということだ。というか、現実にはそもそも発光性の植物というのは天然では発見されていない。菌類ならば聞いた事はあるが。
中心にはひときわ太い柱があり、その柱の至る所から光が帯のように伸びている。
この光は明らかにキラメキゴケとは違うものだが、何が光っているのだろう。ここからでは遠くて見る事が出来ない。
あまりに現実離れした光景に言葉を失う一行を前に、眼下に広がる地下都市を背にしてエサが言った。
「──ようこそ。地底王国ケラ・マレフィクスへ。我々は人類の友であるあなた方を歓迎する」
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