第372話「渚おとめちっく」





〈──てなわけで、なんかちょっと心配だからこっそり伯爵の後つけていくことにするね〉


〈わかった。気をつけてね〉


〈ライラさんにはわたしの方から伝えとくから。じゃねー〉


〈うん。よろしく〉


 そう結んでブランとのフレンドチャットを終えた。

 ブランに心配されているなどと知ったら伯爵はどんな顔をするのか、若干気にならないでもないが、わざわざそれを見るためだけに野次馬するほど暇でもないし、性格が悪くもない。


 一部のSNSで話題になっていた、アンデッドの行進とかいう現象はどうやら例の吸血鬼の伯爵の仕業だったらしい。アブオンメルカート高地からわざわざ降りてきたようだ。

 一応ブランに聞いてはみたが、日中であるにもかかわらず弱いアンデッドが大量に行動していることから彼女の仕業ではないだろうとは思っていた。ブランの持っているスキルには、弱いアンデッドたちを長時間日の光に晒したままにしておけるようなものは無かったはずだ。

 その点伯爵はそういう何らかのサポートスキルを持っているのだろう。わざわざ弱いアンデッドを昼間行動させる事にそれほど意味はないため、何かの目的でもなければ必要がないものではあるが。


 それはともかく、この大陸における一種の中ボスのような位置付けにいると思われる伯爵が自ら軍を率いて動きだしたという事実は、なんらかのワールドクエストが進行したらしい事を意味している。

 それが何であるのかは不明ながら、きっかけとなったのは新サービスである建国システムの実装だ。

 いやサービスの実装というよりは、そのさらにきっかけである、大陸に元から存在していた国家のほとんどが崩壊した事がトリガーなのだろう。


 その事実を受けて、晴れて伯爵を縛っていた何らかの制約が解かれ、大手を振って地上を闊歩する事ができるようになった。

 そういうことだ。


 そして地上でプレイヤーたちと戦闘し、以前にレアたちに語ってくれたような、黄金龍に関する情報などをばら撒いたりして、プレイヤーたちを大陸の外へといざなっていくのだろう。 


「ようやくか。これで海を渡る手段について模索していくプレイヤーも増えていくだろうね。いや──」


 レアやブランはそうしたワールドクエストの進行と全く関係なく伯爵から情報を得る事が出来ていた。

 であれば、やはりクエストの進行とは関係なく独自に海を渡る手段を探し出し、すでに勝手に外洋に出ているプレイヤーがいてもおかしくない。

 この大陸の外の世界は難易度的にはずっと高いようであるし、格上相手ということでうまくデスペナルティより多い経験値を得られたとしたら、想像以上に高い戦闘力を持ったプレイヤーがすでに大陸外のどこかにいるのかもしれない。

 定期イベントのデスペナルティ緩和のボーナスも利用すれば、不可能なことではない。


「──今考えても仕方ないな。いずれにしてもまずは安全に海を渡ることだ」


 そのためには海を生活の場とする配下を作るのが一番手っ取り早い。

 その配下に命じて海を渡らせ、到着した先でその配下をターゲットにして自身を『召喚』する。それが一番合理的だ。


「とりあえず、確実に海を横断できるくらいの戦闘力を持った水棲の魔物が必要だな。出来ればその子が海皇とかにまで成長出来れば一石二鳥なんだけど」


 ヒルス王城、その玉座の前に用意したテーブルに地図を広げた。


 このような作業は本来、執務室か何かでやればいいことだ。しかしそういった部屋はそれほど広くなく、あまり多くの人を入れる事が出来ない。

 ディアスやジークのように常に鎧を着ていたり、スガルやヴィネアのように尖ったパーツや翅や翼があったりするような者たちならなおさらだ。

 そういう理由から、レアが執務室に籠るのは評判がよくないので、たいてい考え事をする時はこの広い謁見の間で行なう事になっていた。

 さすがにもう執務室の場所がわからないほど迷ったりはしない。


「──ええと、ここから一番近い港町はウェルスのモワティエとかいうところかな。ヒルス領内にも海沿いに村はあるけど、小舟での漁とかがメインで大がかりな波止場みたいなものは無いみたいだ。どうせもう国家の割り振りなんて関係ないからどっちの国でも同じだし、こっちでいいか」


 まずはこの港町を足掛かりにし、外洋に対してアプローチをかけていくのがいいだろう。

 大陸の東には基本的に海しかないので、この港町もおそらく同じ中央大陸の別の街に海路で物資を運ぶのが主な役割だと思われる。

 そのため外洋航行技術は発達していないと思われるが、レアに必要なのは人類の汎用的な技術ではなく、単体で行動できる海に特化した生物だ。

 漁村ではなく港町を選んだのは単に人の多さからである。何か変わった水棲生物がいたとして、人が多い方が目撃情報も多いだろう。


 大陸の東の海には海皇がいるという噂もあるし、ブランが伯爵について西方面を目指すのであれば、こちらは東を攻めるとしよう。









〈こちらの街は旧ウェルス王国領とのことでしたが、アマーリエの影響はほとんどないようですね〉


「今はもう独立した都市国家になっているようだしね。グロースムントや旧王都からは距離もあるし、近くにアブオンメルカート高地も切り立ってるし、交易路も途中で細くなってるんじゃないかな」


 プレイヤーが大量に現れる前の大陸では、情報というのは基本的に交易によって運ばれる物資と共に移動していた。伝書鳩や腕木通信のような特殊な情報伝達技術もあるにはあったが、あれらは基本的に国家や都市の上層部のためのものであり、誰にでも利用できるものではない。

 情報の広がりは必然的に街から街へ移動する行商人が媒介することになり、噂となって各地へと浸透していったはずだ。


 ところがプレイヤーたちが現れる事でその環境にも変化が生じ、その急激な変化が情報の爆発的な拡散を促すことになり、おそらくそれがウェルス王国に止めを刺した。


 そうは言っても全ての街がその波に飲み込まれたわけではない。

 王都近郊であれば、聖女を直接目にした行商人などもいただろうし、プレイヤー発の情報にも信憑性を持たせる事が出来たかもしれない。

 しかしそういった行商人がいない田舎町などでは、さすがにぽっと出の異邦人の言う事を街全体で信用するという状況にはなりにくかったのだろう。

 マーレから提出された、彼女が把握している限りの神聖なんとか帝国の所属都市の分布情報からもそういう傾向がみられる。


 このモワティエという港町、いや港湾都市国家もそのひとつというわけだ。

 レアはそうした自説を同行しているスガルに話して聞かせた。


 こちらに出張するにあたり、配下からはやはり誰かが同行するべきとの意見が噴出した。

 特に危険な事も無いだろうしどちらでもよかったのだが、誰かを連れていく事で皆が安心するのであれば連れていくのも吝かでない。

 ヒルス王都防衛を任せているジークを連れ出すのは無理だとしても、特に決まった仕事のないディアスであれば連れて行っても問題ない。また強化したばかりであることもあり、本人もその力を試してみたくてしょうがない様子であった。

 しかし残念ながらディアスはまだ飛行能力を持っていない。歩いてウェルスの最東端まで行くなどあり得ない。


 新たな力を発揮するのはまたの機会にしてもらう事にして、ここはスガルを同行させることにした。

 スガルは水中で活動できる数少ない配下でもある。

 海に行くのに誰かを連れていくとなれば、最初から決まっているようなものだった。


 そして手が空いたディアスとヴィネアには別途用事を申しつけ、スガルを伴ってモワティエまで飛んできたというわけである。


「まずはここの領主──じゃないな、都市国家になったわけだし国家元首か。そいつを『使役』しておこう。ウルバン商会もさすがにこんな辺境までは進出していないみたいだし、あとでグスタフを呼んでこの街の主な商人も支配下にいれておくか」





 細々とした雑事を済ませ、モワティエを仮の拠点として使用できるようにしたレアは、さっそく海岸へと行ってみた。

 船舶が停泊している港湾地区からは少し外れた、浜辺のような場所だ。


 人の多い場所で聞き込みをするのがセオリーなのだろうが、それは支配した都市国家元首か、その部下にさせればいい。何もレアが自分でやる必要はない。

 そちらの監督にはスガルを置いてきてあるし、いずれ情報が上がってくるだろう。


 レアはこれまでゲーム内でろくに見たこともなかった、海を見てみたかった。


 白い砂浜に打ち寄せる波が砕けては消え、また打ち寄せては砕けている。

 砂浜にはところどころ変わった形の貝殻のようなものが顔を覗かせており、それがときおりきらりと光を反射していてとても綺麗だ。

 もし現実にあったのなら観光客でごった返しているのではと思えるほどにすばらしい景色だが、ここには人はいなかった。

 ここで生まれ育った地元のNPCにとっては特にどうということもない光景なのだろう。


 それならばと、レアは革の編み上げブーツをそこらに脱ぎ捨てて裸足で砂浜を踏んでみた。


 白い足が砂にわずかに埋まり、離せばそこに小さな足跡を残す。

 ローブとドレスの裾をつまんで持ち上げ、波打ち際にてんてんとその跡を残しながら歩いてみるが、それはやがて白波にさらわれて消えていく。


 後ろに伸びていく自分の足跡ばかりを見ながら歩いていると、時折貝か何かを踏みつけてしまうこともあるが、そこらの貝殻程度ではレアの防御を抜くことはできない。

 そうした物理ダメージは入らないがしかし、足だけを露出したこの状況では日光によってわずかなダメージが足に入ってしまっている。日焼けだ。

 といっても足だけならば自然回復で賄える程度のダメージであるし、爛れたりすることもなく、ただ少し赤くなるだけで済んでいる。気にするほどでもない。

 それよりも、この砂浜をひとりで裸足で歩くという行為の新鮮さの方が重要だ。

 こんなことは、現実ではプライベートビーチでも持っていなければ不可能だ。


 砂を踏む、とす、とす、という感触が実に心地よい。

 砂の熱さも日の光も、最初こそわずらわしくも感じたが、慣れてしまえばこれはこれで趣きがある。

 時折、押し寄せる波を避けきれずにくるぶしまで濡らしてしまう事もあるが、砂と比べて意外なほどひんやりとした波の感触も悪くない。


「ふふっ……」





「──災厄が砂浜で乙女してる……」


 不意に声が聞こえた。


 自分の足跡にばかり気を取られていて気付かなかったが、誰かいたようだ。

 若干の気恥ずかしさを覚え、気持ち強めに問いかけた。


「誰だい、きみは」


「うわっ! 話しかけられた!」


 先に話しかけてきたのはあちらである。実に理不尽だ。もしかしたら独り言だったのを強化されたレアの聴覚が拾っただけなのかもしれないが。


「もしかして、この砂浜はきみの土地か何かだったのか? だとしたら申し訳ない。あまりに綺麗だったものでね」


 ブーツを脱ぎ捨てた場所に戻り、拾い上げて砂を払う。

 足に『洗浄』と『乾燥』をかけ、ブーツを履いた。


「いや! 別に俺の土地ってわけじゃ! ただその、普段は誰もいない砂浜に人影が見えたから気になって!」


 ここが地元であるNPCならば、今さら砂浜をありがたがることはない。

 また以前からこの街で活動しているプレイヤーでも同じだろう。美しく珍しい環境だとは言っても、毎日ログインして見ていればいずれは飽きる。

 つまり、こんなところではしゃいでいる奴がいるとすれば、そいつは高確率で移住してきたプレイヤーか新規で始めたプレイヤーということになる。

 彼はそういう新たな友人を求めて人影を確認しに来た、というわけらしい。


 そんな彼は日焼けした肌に露出度の高い服装という、誰がどう見ても漁師然とした格好をしていた。しかし確認できるLPやMPからはそれなりの高さの能力値が窺える。見たとおり漁を生業にしているのかどうかはわからないが、少なくとも多少は戦闘の心得があると見ていいだろう。


「普段は誰もいないのか。こんなにも綺麗なのに。わたしはこれまで主に森や洞窟などが多いところで暮らしていたのでね。こういう景色は新鮮で、ついはしゃいでしまった。見苦しいものを見せたね」


「そんな、見苦しいなんてことは……」


「ところで、わたしはきみを知らないが、どうやらきみはわたしを知っているようだ」


 レアの今の姿を見ただけで人類の敵を連想する者はいない。

 彼の最初の言葉から、彼が第七災厄という存在をあらかじめ知っていただろうことは明らかだ。


「ええとお、SNえ、いや噂で! 噂で聞いたことが! ありまして……。その……」


「ふうん。ところで、わたしの最初の質問の答えはまだかな。誰だい、と聞いたんだが」


「あっ、おっ、俺、俺は混ぜ蘭と言いまして、プレイヤーです! あいや異邦人です!」


「マゼランか。もう知っているようだが、わたしはセプテム。マグナメルム・セプテムだ。よろしく」


 プレイヤーにしてはまともな名前だ。

 あまりに妙な名前だと聞いた際のリアクションに困るので、常識的な人間が相手だと実に助かる。


 残念ながら、観客がいるのであればこれ以上はしゃぐ事は出来ない。

 しかし国王やスガルに言いつけてあるのはあくまで現地のNPCからの聞き取りである。もしかしたらプレイヤー特有の情報もあるかもしれないし、考えようによってはこれは幸運かもしれない。


「思うに、きみは普段からこの近辺で生活しているようだね。それならこの周辺の海の生物にも詳しいだろう。良ければわたしに、ここらの海の生物について教えてはくれないだろうか」







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