第329話「おっさん」(バンブ視点)





 おっさん。


 さすがにそんな呼ばれ方をするほどの歳ではない、はずだ。

 いや呼称というのは彼我の立場の違いによって千差万別に変化する。見た目はともかく、仮にこのプレイヤーが小学生か何かだったとすれば、広い意味で知らない大人の男性全般を単におっさんと定義付けて呼んでいるだけという可能性もある。いやそうだとしたら礼儀作法という意味では問題があると言わざるを──


「しっかりしたまえ。あちらはすでに戦闘態勢を整えているぞ。おっさん呼ばわりが傷ついたのはわかるが、切り替えたまえ」


「ぐ、別に傷ついちゃいねえよ」


 確かにそんな呑気な状況ではなかった。

 多少気を抜いたところでバンブが死亡するほどの状況にはなるまいが、大抵の場合そういう慢心が敗北を招くのである。

 敵をからかったり、手を抜いたりをしても構わないが、それは相手の手札をすべてつまびらかにしてからだ。


「──タヌキも喋るの!?」


「今さら、1人喋っても3人喋っても同じことよ!

 うどんと幾重はタヌキを殺って! マリ狼はわんこ! 私はおっさんの相手をするわ!」


「了解! でもタヌキに2人がかりなの? ヤバそうなおっさんにいた方がよくない?」


「この集団のボスはあのおっさんだろうけど、コオロギの飼い主はたぶんタヌキよ! タヌキを倒せば状況は好転するはず!」


 なんだと、と声を上げそうになった。

 もちろん、ヤバそうなおっさんなどと呼ばれたからではない。

 水色の目の女がいきなり教授とマーダークリケットの関係を看破したからだ。

 家檻は何を言ってるんだこいつというような目をしているが、教授は間抜けにも口を半開きにしている。


「わかっ──いやいやなんで!? 何か根拠あるの!?」


 うどんだか幾重だか不明だが、そのどちらかが姫と呼ばれていたリーダーに叫んでいる。

 バンブも心の中で応援した。

 それについてはぜひ聞きたい。


「色がなんか似てるからよ! あとタヌキって化けるっていうし!」


「あ、ああ、そう……」


「ごめんちょっと何言ってるかわかんない」


「……姫の言動に論理的な説明を求めても無駄だよ。

 それより、確かに一番弱そうな敵から狙って、敵の数を減らす事を考えるのは理に適ってる。こっちのほうが数は多いんだし、悪い手じゃない」


 マリ狼とかいうプレイヤーが剣を抜き、家檻に向かった。

 バンブの前には水色の目の姫だ。

 そして諦めたのか、残り2人が教授に向かう。


 パーティメンバーの彼女らはこの姫というリーダーの言動について「しょうがないな」と思っているようだが、バンブの評価は違う。


 こいつは危険だ。

 科学的な根拠や、論理的な理由もなく、ただ直感のみでいきなり正解を言い当てた。

 それ自体は偶然だったのかもしれないが、結果は結果だ。


 勘がいい、というのは立派な才能である。

 それにあの自信に満ちた表情はどうだ。ただの勘だというのに、それが正しいと信じて疑っていない。

 家檻のようなタイプも怖いが、あれはまだ話し合いによって解決できる余地がある。

 しかしこの手のタイプは話を聞かない。正確に言えば話は聞くがそれには一切影響されない。言っても無駄というやつだ。


 直感で正解を言い当て、しかも人の話を聞かない女。

 出来れば関わり合いになりたくないタイプだ。


 とはいえ、対峙してしまったのなら戦うしかない。


「おいタヌキ! 敵は2人だが、やれるな!?」


「もももも問題ないとも! まかまか任せておきたまえ!」


 ダメそうだ。


「……私がとっとと黒髪を倒して、カバーに入ります」


「……頼む。あんなんでも一応部下だ。死なずに済むならそれに越したことはない」


 というか、実際は教授が死亡してしまうとマーダークリケットたちも死んでしまうため、教授の生存はかなり優先度が高い。

 しかしそれを今ここで明かすつもりはない。

 家檻の相手となる黒髪の、マリ狼というプレイヤーの実力も不明だし、バンブも姫を手早く片付けてフォローに回った方がいいだろう。


「お仲間の心配をしてる余裕なんてあるの? 『ブレイズランス』!」


 ひらひらした服を着ているあたり、近接系ではないだろうと考えていたが、やはり姫は魔法職のようだ。魔法職であるにもかかわらずボスをひとりで受け持つなど正気の沙汰ではないが、他のプレイヤーが特に驚いていなかったところを見るに日常茶飯事なのだろう。よく今までやってこられたものである。

 『ブレイズランス』は魔法であるため、弾速は速い。速いが、避けられないほどでもない。

 炎の太さからみるになかなかの能力値であるようだが、魔法職でこの程度なら警戒の必要はない。

 受けたところで大したダメージにもなるまいが、油断は禁物だ。確実に回避し、反撃に範囲魔法でもばら撒くなどして、手早く片付けて教授のフォローをするべきだ。魔法職だからなのか、『真眼』で見えるLPも大した量ではない。

 一瞬でそう考えて一歩、左に動いた。


 左側に避けた事自体に意味はなかった。強いて言うなら癖だろうか。


 だが次の瞬間、左の脇腹に衝撃が走った。


「──硬ったあ! 何これ! ローブの下に何着込んでるの!?」


 驚いて見下ろすと、姫とやらが右手の拳をさすりながら涙目になっていた。


 ──なんだ!? もしかして今、殴られたのか!?


 ダメージはない。

 別にローブの下に何か着ているわけではないが、半分ミイラ化したようなデオヴォルドラウグルの皮膚はもともと硬い。そこにレアから貰ったローブを着込んでいるため、通常攻撃ではそう簡単にダメージを受けることはない。


 問題なのはダメージではなく、いきなり死角から攻撃を受けた事だ。

 そもそもこの姫はつい今しがた、向こうで魔法を撃ったばかりのはずだ。

 なぜこんなところにいるのか。


「──そうか、『縮地』か。てめえ、魔法だけじゃなくて素手でも戦えんのか」


「……モンスターの癖に物知りじゃ──ないっ!」


 姫は言いながらバンブの膝に蹴りを入れ、その反動で飛び退すさり距離をとった。


「──だが、魔法を撃った直後に『縮地』を発動してなきゃあ、あのタイミングで俺を殴ることなんて出来ないはずだ。

 何で俺が左に避ける事がわかった?」


「勘よ!」


 やはり危険だ。

 速やかに始末した方がいい。


 改めて観察してみると、姫はその名のごとく、フリルのついたドレスに白い手袋、革のパンプスという、お嬢様然とした格好をしている。

 魔法攻撃まではまだ分かるが、コレが一瞬で距離を詰めて殴りかかってくるなど普通は考えつかない。

 油断はしていないつもりだったが、少々常識に囚われすぎていたらしい。


「……ちょっと、舐めてたようだ。こっからは──」


「『縮地』! 『スクレイプブロウ』!」


 一瞬で距離を詰め、拳を光らせながら脇腹を狙ってきた。

 しかしわかっていれば対処は出来る。この程度の攻撃も防げないようでは、雇い主に愛想を尽かされてしまう。

 バンブが教授を監視しているという事は、バンブもまた教授に監視されているという事だ。あまり妙な報告をされても面白くない。

 もっとも、今の教授にこちらを気にするだけの余裕があるのかは不明だが。


 光る拳に触れないように、姫の前腕を掴んで止めた。


「──まだ俺が話してる途中だろうが。人の話はちゃんと聞け」


「っ! 離しなさいよエッチ! 変態! てかあんたのどこが「人」なのよ!」


 姫は掴まれた腕を支点に身体を捻り、バンブの顔面にハイキックをお見舞いしてきた。

 大した身のこなしである。これはスキルや能力値によるものというより、プレイヤーとしてのリアルスキルだろう。

 バンブが手を放したため、姫はハイキックの反動でくるりと回りながら器用に着地すると、地を蹴って再び距離をとった。まるで猫だ。


 顔にはダメージはない。

 手を放したのは、つい「人」と言ってしまった自分の失言に動揺したからだ。

 変態と罵られた事に傷ついたからではない。


 動きから推察できる能力値やスキルからは全く予測のつかない行動をしてくるプレイヤーだ。

 どこかレアに通じるものを感じる。

 このプレイヤーがこのまま経験値を稼いでいけば、いつかは手がつけられない敵に成長するだろう。

 その経験値をここで少しでも削いでおきたいところだが、イベント期間中のためそれも出来ない。


 しかし他の2人の状況も気になるし、あまり姫にばかり構ってはいられない。

 バンブは軽く腰を落とし、大地を強く蹴って突進した。


「えっ、な──」


「ふっ」


 そして突進の勢いそのままにショルダータックルを敢行した。


「げふっ!」


「『縮地』」


 およそお嬢様らしからぬうめき声を漏らし、ほとんど水平に吹き飛んでいく姫を『縮地』で追いかける。

 スキルの目標地点は姫が飛んでいる軌道の先だ。なので追いかけたと言うより、追い抜いたと言ったほうが正しい。

 スキル後の硬直をどこかのスレッドで見たやり方でキャンセルし、その腰の捻りから連携して流れるように拳を真上に振り上げた。


「がっ!」


 ちょうどそこに飛んできた姫を拳で打ち上げ、天高く飛ばす。

 このまま放っておけば落下ダメージで死亡するだろう。かつてバンブがレアに投げ飛ばされた時は物理耐性でダメージ軽減が出来たが、今はそれは修正されている。あの高さから叩き付けられればただでは済むまい。


 しかしこれで終わらせる気はバンブには無かった。

 別におっさんと呼ばれたことを気にしているわけではないが、バンブにだって少年の心は残っている。

 今こそ、長年の夢を叶えるときだ。


 右手を天に向けて叫んだ。


「『ブレイズランス』!」


 バンブの手から炎の槍が撃ち出され、上空の姫に向かって飛んでいく。

 その大きさは先ほどの姫の槍とは比べ物にならない。能力値の差だ。共に魔法も接近戦も出来るという似たスタイルならば、能力値の差がそのまま威力の差になって現れる。


 バンブの夢とは、上空に打ち上げた敵を、気とかなんかそんな感じの不思議パワーで爆殺してみたいというものだった。

 厳密に言えばこれは違うが、ビジュアル的には満足のいくものだと言える。

 バンブの口の端が自然と持ち上がる。


 炎の槍は一直線に飛び、目標に突き刺さって炎上した。

 威力の高さ故か、小さめの爆発にも見えるその炎が消えても、姫は落ちてこなかった。

 着弾の時点で死亡し、そのままリスポーンしたのだろう。


「……たねえ花火だ。なんてな。ふふふ……」


 この街を拠点にしていたのならそのうちどこかで復活してくるのだろう。しかしあの程度なら数で押せば他のメンバーでも十分対処できるはずだ。初見では高確率で不意打ちを受けるだろうが、そういうプレイヤーがいるという連絡を回しておけば問題ない。


 傭兵としてはふざけた格好をした女だった。

 しかし本当にふざけていたわけではない。

 ただオシャレなだけの服装だったのなら、最初のタックルか、アッパーの時点で死亡していたはずだ。そうならなかったということは、あれはただのドレスに見えてそれなりの防御力を備えていたという事である。


 バンブの着ているこのローブと同じだ。

 いや同じ性能という意味ではなく、同じような傾向の装備品だという意味だ。ただの布に見えて、金属鎧に匹敵する防御力を備えている。

 このローブはたしか、特別なクモの糸を使って作られているとか言っていた。

 今でこそ糸系の素材といえばヒルス王国のラコリーヌの森だが、かつてはポートリー王国がその主な産地だったと聞いたことがある。

 もしかしたらあのプレイヤーがこの街に居たのはそのためだったのかもしれない。


「……いや、どうでもいいか。

 それより、タヌキや家檻は──」


「──終わったかね。変態おっさん」


「ああん?」


「ふふ。冗談だよ。そう睨ま痛い! なぜ君が殴る!?」


「マスターに失礼なことを言ったからです」


「私じゃなくてさっきの変な女だろう言ったのは!」


 意外な事に、あちらはすでに終わっていたようだ。

 なんならバンブの戦闘を観察していた節さえある。


 変態だのおっさんだのについてはもういいが、あの最期のセリフとにやりを見られていたとしたらさすがに少し恥ずかしい。

 いやフードがあるし大丈夫なはずだ。


「家檻はともかく、慈英難はよく勝てたな。家檻がフォローしてくれたのか?」


「いえ、私が敵を片付けたときにはもう終わっていました。不思議なことに」


「不思議という程のことはないだろう。私だってMPCの幹部だよ。このくらいは当然だ」


「……いつから幹部に」


 ついさっきまで恐怖と動揺で背中の毛が逆だっていたのが嘘のようである。


〈まあネタバラシをしておくと、クリケットちゃんたちが稼いでくれた経験値が思いのほか多くてね。何かあった時の為にと思って使わずに取ってあったんだが、今がまさにその何かあった時なのではと気付いたところで、急いで能力値に振ったんだよ。

 だから私が勝てたのはつまりは数値の暴力だね。レア嬢たちと同じだ〉


〈……そうか〉


 レアの戦闘力は別に数値によるものだけではない。それはバンブもよく知っている。

 しかしそれを説明してやったとしても戦闘に慣れていない教授が理解できるかわからないし、あまり長いこと見つめ合って黙り込んでいるとまた家檻が暴走する。


「まあ、被害がねえなら何よりだ。それより面倒事も片付いたし、俺たちも街の襲撃に参加するぞ」


「ところでマスター。花火とはなんのことかね」


「うるせえ黙れ剥製にするぞ」


 聞こえてたのか。





 ほどなくして、長きに亘りポートリー王国の南の壁としてその責を全うしてきたアスペン市は滅び去った。

 プレイヤーや騎士たちのリスポーンが行なわれない事を確認し、完全に都市を滅ぼしたと判断したMPCはアスペンを後にした。









 アスペン市の陥落はポートリー王国民に大きな恐怖と不安をもたらした。

 この時代、もはや城壁や騎士団だけでは安全が保障されない事が明るみになってしまったからだ。

 人々はただ若き国王の帰還を願ったが、国王エルネストもまた、今のままでは国を守り切れないと悟っており、一刻も早く遺跡を奪取する事に心を奪われていた。








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