第309話「正しき道を行く者」(別視点)
「──父上!」
「シルヴェストルか。どうした。南部遺跡に行きたいという話なら──」
「その事ではありません。いやそれもまた改めてお話させていただきますが、今日のは別件です」
ペアレ国王アンブロシウスは眺めていた地図から目を離し、顔を上げた。
ノックもせずに執務室に入ってきた事については叱ってやるべきなのかもしれないが、シルヴェストルも最愛の兄を失ったばかりだ。多少のわがままは大目に見てやるべきだろう。
息子オーギュストを失った悲しみという意味ではアンブロシウスも同じだが、愛する者を失う悲しみに耐えることについてはシルヴェストルよりは慣れているつもりだ。
それにアンブロシウスは王である。怒りは見せても、悲しみを表に出すわけにはいかない。
「では何事だ」
「聖教会です。聖教会の坊主が面会を求めています」
「聖教会か……」
アンブロシウスの眉間に刻まれた皺が深まった。
今のペアレ王国において聖教会というのはあまり歓迎される存在ではない。
元々この国では聖教会の影響力は強いものではなかった。
修行の果てに手にできるという神託とやらいうものについても、その情報の有用性こそ重視はするが、だからといってそれに
情報はあくまで情報に過ぎない。それそのものが直接国や民を救うわけではない。
強大な存在が現れたのならそれに対して警戒するのは当然だが、あくまでそれは国民1人1人の心構えの問題であり、その脅威に立ち向かうのは兵士や傭兵の役割だ。聖教会が何かの役に立つわけではない。
そうした風潮の中、我が物顔で勝手に国境線を
これでにこやかに対応しろという方が無理だ。
もっともウェルス王国とはもともと林業や畜産業などで交流もあり、国境を越えることについては大して制限はかけていなかった。
国家間での摩擦や
なのでウェルス聖教会の行動自体については本来であればそれほど問題ではない。
しかし怒りに任せてウェルスを糾弾し、オーラル、ポートリーと併せて敵対的な宣言をしてしまったのは事実だ。
また国王アンブロシウスの怒りは強い言葉を使った宣言や異邦人たちの噂話によって国民の間にも伝播し、国家の制御を離れて暴走した一部の民がウェルスやオーラルに襲撃をかけているとの報告も受けている。
それらの事もあって、国全体でヒューマン全体に対する憎悪の感情が高まってしまっていた。これはエルフに対してはもっと激しい。
さらにシェイプから攻撃的な声明を受けた事や、前回の小競り合いの事もある。ドワーフに対しての国民感情も最悪だ。
もう後戻りはできない。
国民の手前、王子の魔物化はポートリーのエルフたちの仕業であると発表するしかなかったが、あれは間違いなくあの地に眠っていた秘遺物のなせる業だろう。
しかし、あの秘遺物の眠る遺跡の封印は全く解除する見通しも立っていなかったはずだ。それが突然稼働するなど、愛する息子が突然魔物に変わってしまった事実を受け入れたくないという私情を抜きにしても、普通に考えて有り得ることではない。何か人知を超えた力が作用したとしか考えられない。
しかし逆に考えれば、オーギュストはその死の間際、ペアレの秘宝をその手にできたということでもある。
その偉業を引き継ぐ事はまだ出来ていないが、その力さえ手に入れられれば、ウェルスだろうとオーラルだろうと物の数ではない。
これについてはシェイプのドワーフどももおそらく同じことを考えているはずだ。
これまでは固く封印がかけられていたことで安心し、遺跡をペアレに預けていたつもりなのだろうが、封印が解かれた事がわかってしまえば黙ってはいられないのだろう。
それで何やかんやといちゃもんをつけ、この地に土足で踏み入ろうとしている。
実に浅ましい者どもだ。矮小なのは身長だけではないらしい。
あの遺跡こそは愛息オーギュストが命を捧げてその価値を示した重要な財産だ。
他の誰にも渡すわけにはいかない。
いや、今はそれよりも聖教会だ。
「聖教会の坊主が来たのはわかった。して、なぜそれをお前がわしに言いに来る? 取り次ぎの係の者はどうした」
「いえ、たまたま私が歩いていたところを、聖教会の者が騒いでおりましたので……。兄上の件もありますし、ここは父上直々にひとつガツンと言い聞かせておいた方がいいのではと思い、連れてまいりました」
オーギュスト同様、遺跡の調査に行かせてあったシルヴェストルは、あの事件があってから王都に引き揚げさせている。
シルヴェストルを行かせていた遺跡は王都からもさほど離れてはいないが、今やこの王城にすら賊が押し入るような時代だ。近いからといって安心はできない。
シルヴェストルもオーギュスト同様に遺跡の封印を解くことが出来るかは不明ながらも、古文書も失われた今、遺跡というのは何が起きるかもわからない危険な場所でもある。何かの事故に巻き込まれないとも限らない。
そのシルヴェストルは兄オーギュストの仇を討たんと息巻いており、しきりに自分を南部へ行かせるように言ってきているが、行かせられるわけがない。
そもそもプロスペレ遺跡から撤退させる時にしても、王都に帰り着くまでにどこぞの田舎に余計な寄り道をしていたようだった。
あれについては伝令に事態の詳細まで伝えさせるべきではなかったと後悔していた。
ゆえに城に戻らせてからは特に仕事を与えず、自室にて静養するようにと言いつけてあった。
シルヴェストルの私室は王城でもかなり上層の階にあり、城門周辺で誰かが騒いでいたとしても気が付くとは思えない。
城門など外出するのでもなければ用はないだろうし、大方また門兵にでも愚痴を溢しに行っていたのだろう。
門兵はもう長いことこの城に仕えているベテランの兵士だが、王家の眷属ではない。
先の書庫の件では立場上疑わざるを得なかったが、そんな屈辱を受けた後でも変わらず王家に尽くしてくれる得がたい忠臣だ。
その適度な距離感が心地いいのか、ここ最近はシルヴェストルの良い話相手になってくれているらしかった。
「……まあよい。それで坊主はどこだ。廊下に待たせてあるのか」
「はい。ただ今呼んでまいります」
そうしてシルヴェストルは廊下の主教だか何だかを招き入れた。
この国ではあまり立場が強くない聖教会である。主教は突然面会する事になったアンブロシウスに恐縮し、時候の挨拶などを述べようとしたが、そんなものを聞く気分ではない。
「よい。要件を話せ。
言うまでもない事だが、お前たちの外国のお友達が何をしたのか知らぬわけではあるまい。
これ以上わしの機嫌を損ねたくなければ、発言には気をつけよ」
「はっ、はい! それはもう!
陛下におかれましても、我らに伝わる神託についてはその有用性はよくご存知の事かと思います!
つい先ほどの事になるのですが、我がペアレ国内におきまして、この神託により救世主の誕生が宣言されました!
先だっての災厄というのはヒルス王国を滅ぼしたとされる災厄だ。
大天使を6番目とすると7番目ということになるだろうか。
そしてその大天使襲撃の
誕生したという神託以降何の動きも見せないのも、大天使と激突した事による傷でも癒していると考えれば納得もいく。
異邦人の中には大天使の滅亡は異邦人の力によるものだなどと
そして信用していないのはこの聖教会もだ。
こいつらに分かるのは何かが生まれたということだけであり、それが何なのかは偏った思想に基づいて判定されている。
「──生まれたのが救世主とは限るまい。そも、各国に伝わる秘遺物は天使たちには効きが薄かった。秘遺物が聖なるものだとするならば、すなわち天使たちも聖なるものだということだ。
聖なるものというのがお前の言う正道とやらだとしても、正道なる道を行く強大な存在が、必ずしも世を救うとは限らない」
例えばこれがもし、新たな大天使の誕生を意味しているのだとすれば大問題だ。
聖教会は救世主などと都合よく解釈しているようだが、それは希望的観測が過ぎると言わざるを得ない。
事実はひとつだけである。
すなわち、強大な力を持った何者かがペアレ国内に現れたこと。それだけだ。
その強大な何者かが救世主かどうかは断定できない。
いや例え救世主だったとしても、今世の中は大陸を割らんとする争いの時代に突入しつつある。
ペアレの未来、ポートリーの未来、シェイプの未来、誰もが違う未来を求めており、そしてそれらは相容れない。
仮に世を救うものだとしても、それがすなわちペアレを救うとは限らない。
「……厄介なことになったな。ただでさえ他人種どもを
「し、しかし陛下! 救世主様さえ見つけ出せれば──」
アンブロシウスはじろりと主教を睨みつけた。
「もうよい。下がれ。それ以上口を開くな。シルヴェストル、こいつを摘みだせ。
情報提供には感謝する。追って褒美は与えるが、くれぐれも下らぬ事を言って人心を惑わすような真似はするなよ」
***
悠然と
「──シルヴェストル殿下からお話は伺いました。いや、違いますよ、あなたを否定しようってんじゃありません。
俺ですか? さっきも会ったでしょう。ほら、城門を守ってた。
主教さま──あ、これは失礼、総主教さまでしたか。
総主教さまのお考え、俺は間違ってはいないと思います。
というのもね、心当たりがあるんですよ。救世主さまってやつに。
お会いしたくはありませんか? 世を救う、神のごとき力を持ったお方に」
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