第296話「むせる」(ユスティース視点)





 一夜明け、改めて魔物襲撃被害に遭った街の状況を見てみると、それはひどいものだった。

 街の3割にあたる面積が瓦礫に変わってしまっているのだし、当然と言えば当然だ。

 帰ってきた鳩には領主ライリエネによる粋な計らいが命令として記されていた。

 待機中の行動に関しては報告の必要はない、ということは、給料は出るが行動は自由だという意味だ。ユスティースは気が付かなかったのだが、アリーナがそう教えてくれた。


 そこで彼女は早速復興を手伝うべく、アリーナを伴い街の東部へやってきていた。


 街を襲った魔物たちは北東から現れ、そして西に逃げていった。

 なぜ来た方向に逃げていかないのかは不明だが、それよりも北東というのが問題だ。

 街の人の話では、エルフの騎士団が向かっていったのも北東の方向だったという事である。

 彼らの目的地がどこなのかは知らないが、運が悪ければ鉢合わせをしていた可能性もある。


「……あいつら、大丈夫かな」


「大丈夫じゃなかったら今頃その辺にリスポーンしてるはずだし、心配しなくても大丈夫なんじゃない?」


「いや、別に心配してるわけじゃないけどさ。もう終わった任務の事だし」


 今回被害に遭ったのは街の東側だ。

 ユスティースたちは南のオーラルから街道を通ってやってきた。ゾルレンの南には、オーラル最北端の街プランタンが臨む魔物の領域がある。そして街道はその領域を大きく西に避けるようにして敷設されている。

 ポートリーの騎士団はそのまま街に入れずに野営をしたので、彼らがリスポーンするとしたら街の南西部のはずだ。今回は何の被害も受けていない部分である。


「終わった任務の事だって言うならもう忘れたら? それより今は街の復興だよ。ほら、日が昇る前から作業してる人もいるみたいだよ」


 見れば確かにまだ早朝だというのにすでに汗だくで、疲れ切った様子で作業している住民の姿がある。

 お手伝い気分のユスティースとは違い、彼らはこの街で生きてきて、これからも生きていくのだ。寝ている暇などなかったのかもしれない。


 ユスティースは反省すると、すぐに彼らの作業を代わると申し出た。

 礼を言って休憩に入る彼らにはポーションを渡しておく。NPCは疲労回復ポーションは好まないと聞いたことがあるので、純粋に体力を回復させるものだけである。

 これは支給品とは別に自腹で用意してあったものだ。というより、騎士になってポーションも支給されるようになったせいで使われなくなった傭兵時代の残り物というべきか。

 かなり昔のものであり、医薬品などは特に使用期限を無視した場合は安全性が保証されなくなるものもあるが、インベントリに入っていたなら大丈夫だろう。その前にポーションの使用期限などはあまり聞いたことがないが。


 ちなみに今日はちゃんと鎧は着込んできた。

 ちょっとした力仕事くらいなら鎧を着ていてもいなくても十分こなすだけの能力値はあるし、まさかないとは思うが再び襲撃などに遭ったとき、今度こそ街を守るためである。

 そんなユスティースを見習ってか、アリーナも鎧はきちんと着込み、剣もいている。

 彼女も昨日の一戦で思うところがあったのだろう。


 しかしユスティースたちが作業を始めていくらも経たないうちに、今度は街の南西部が騒がしくなってきた。

 もちろん喧噪が直接聞こえたわけではない。

 南西方面から人が走ってきたのだ。


 それもユスティースにも非常に見覚えがある人物である。


「──こっ、ここにいたのか、騎士ユスティース……!」


「あなたは! ……えーと、副隊長さん?」


 次の任務に向かったという彼がなぜここに。

 それに他のメンバーはどうしたのだろう。

 騎士団全員では街に入れないだろうし、また外で待っているのだろうか。

 もし手が空いているようなら彼らにも復興を手伝ってもらうのもいいかもしれない。

 そういう理由なら街の人たちも大勢のエルフが街に入るのを許容してくれるだろう。魔物が入り込むよりはマシなはずだ。


「もしやと思って宿に聞いたら、ここだと……。それと私は副隊長ではなく副団長だ。名前はロイクという。名乗ったはずだが、覚えていないのか……?

 いや、そんなことより、国に帰るのではなかったのか! あれから2日も経っているぞ、なぜまだこんなところにいる!」


 こんなところとは失礼な言い様である。

 確かに今は瓦礫の山にしか見えないが、ここもつい昨日まではちゃんとした街だったのだ。

 そしてユスティースは今、その姿を1日でも早く取り戻せるよう手を貸しているのである。


「ちょっと、あなたね、言い方ってものが──」


「言い方の問題ではない!

 ここにはおそらく、間もなく強大な魔物が攻めてくる! 早く逃げるのだ! あれはさすがに、貴女であっても勝てる相手ではない!」


 情報が遅い。

 魔物であれば昨日攻めてきて、すでに去った後だ。

 確かに奴らはユスティースでも容易に勝てる相手ではなかったが、そんな事まで知っているという事は、やはり彼らもあの魔物と戦ったのだろうか。

 しかしそうだとするとタイミングがおかしい。

 南西から走ってきたならば副隊長、いやロイク副団長はいつかの野営地でリスポーンしたのだろうし、そうであるなら彼はあれからほぼ丸1日、休みもせずに任務をこなし、そして死亡してリスポーンしたということになる。

 魔物の集団が街を襲撃したのが昨日の事であるのを考えると、時間的におかしい。


「……待って。それってどんな魔物? ゴブリンとか、スケルトンとかの混成部隊?」


「魔物の種類など今は! いや、強さを量るのであれば必要か。

 魔物は私たちでは見たことのないものだった。こう、城とまでは言わないが、豪邸と呼べる屋敷よりも上背がある巨大な虎だ。見通しが悪いところで遭遇したから顔や全体の形状までは見えなかったが、体の模様からして虎で間違いないはずだ。

 奴はひと声吠えるだけでこちらの動きを凍らせ、その前脚のひと薙ぎで騎士の鎧など容易く引きちぎるほどの膂力も持っている。

 またサイズが大きいせいか、鈍重に見えても移動速度は速い。

 それとこれは不確定な情報だが、人の言葉を話すのかも知れない。あるいはすぐそばに奴を操る人語を解する魔物がいるか、だな。戦闘中にどこからか怒鳴り声が聞こえた」


 言われて初めて気がついたが、ロイクの鎧は鋭利な何かで切り裂かれたかのように横向きに数本、線が入っている。あまりに鮮やかに入っているため、元々そういうデザインだったっけと思っていた。

 魔物によって鎧に付けられた傷によくあるような、ささくれや盛り上がりなどは見られない。つまり相当硬度に差がある刃物で、相当な速度で切り裂かれたという事だ。


 ロイクの言ったようにこれが魔物の爪による痕だとするなら、線の間隔からしてもかなり大きな魔物であり、また戦闘力も非常に高い魔物であると推測できる。

 少なくともそれほど大きな魔物は前日の襲撃の際には見かけなかった。あれらの魔物はどれも、人間サイズか少し大きい程度だった。


「昨日の奴とは別口ってこと……!?」


「昨日……? というか、先ほどから気になっていたのだが、この惨状はなんだ?」


「今頃!? どこに目つけてんのあんた。隊長の顔しか見てないんじゃないの?」


「アリーナさん!」


 最初の彼の「こんなところ」というのはこの瓦礫の山のことではなく、危険な魔物がすぐ側にいるような街、という意味だったのだろう。


「まさかすでに!? いや、私が復活したタイミングを考えれば、さすがにあの魔物と言えどまだここに来るまで少しは時間がかかるはずだ。

 とにかく、ここは危険だ。すぐに国に帰った方がいい」


 そういうわけにもいかない。

 この街を守り切れなかった、と言うほど背負い込むつもりはないが、それでも悲劇を目の当たりにした者として、自分に出来る限りの復興支援はしてやりたい。

 それに。


「ライリエネ様からもこの街で待機って指示が出てるし、離れるわけにはいかない、かな」


 この街にまた魔物が襲撃をかけてくるとなれば、今度こそは守らなければならない。


「しかし!」


「あなたたちはどうするの? 任務って終わったの?」


「そ、れは……。そうか、そうだな。騎士だものな。

 私たちは、あの魔物が遺跡から外に出次第、再び戻って目的のものを確保するつもりだ。逃げる事はしない。

 であれば、貴女がたにも逃げる事を勧めることは出来ないか」


「遺跡? 目的地って遺跡だったの」


 ロイクはバツの悪そうな顔をしている。

 別に知ったからと言って言いふらしたりするつもりはないのだが。

 いやライリエネに聞かれたら報告はしてしまうかもしれない。


 とにかく、そういう事であれば彼らに復興の手伝いをしてもらったり、その魔物から街を守る手助けをしてもらうというわけにはいかないようだ。


「それより、その話が本当なら、まずは避難勧告をしないと。

 そういうのって他国の騎士がやっちゃってもいいのかな。この街って領主とか居るの?」


 北東に向かったロイクたちが遭遇したという事は、魔物が来るとすればまた同じようにこの辺りが戦場になる可能性がある。

 復興のために働いている住民たちには西側に逃げてもらうか、最悪の場合は街を捨ててどこかに疎開してもらう必要があるかもしれない。

 そのような事は他国の騎士に過ぎないユスティースではおいそれとは言いだせない。街の責任者、例えば領主のような存在に相談するべきだろう。

 騎士とは言えよそ者の言うことを聞いてくれるかはわからないが、何もしないよりはいい。


「気付いてなかったの? さっき隊長が話しかけてた汗だくのおっさんがそうだよ」


「言ってよ! いつのかわかんないポーション渡しちゃったじゃない! てかおっさんとか言わない! 聞こえるよ!」


 背後でぶうっと何かを吹き出すような音がする。

 振り返るとまさにその汗だくのおっさんがポーション瓶を片手にむせていた。

 こちらの話が気になって近くまで来ていたらしい。


「ああっ! う、うちのアリーナが失礼な事を! どうもすみません!」


「……いや今むせたのは私の言葉ってより隊長の言葉に反応してなんじゃないかな」


「私の……? あ、大丈夫ですポーションならインベ、保管庫に入ってたので経年劣化はしてません。たぶん」





 むせる領主を落ち着かせ、今後の事を話し合った。

 領主はすぐに付近の住民たちを避難させ、衛兵たちは街に触れを出しに走らせた。

 その内容は、再び魔物が襲撃してくる可能性が高いこと、そして今度は最悪の場合街を捨てて逃げる必要もあるかもしれないことだ。


 ユスティースは再び街を守るために戦う事を約束し、アリーナもそれに従った。

 今度こそは守ってみせる、と見得を切りたいところだったが、勝てるかどうかわからない相手だ。あまり軽率な事は言いたくなかった。


 ロイクたちは国から言いつけられている任務があるため、全員は街の防衛には参加しない。

 ただ部隊を分けて何名かこちらに人を回してくれるとの事で、まったく手を貸さないというわけでもなかった。防衛分隊については国には陽動部隊が必要だったと報告するとの事なので、もしユスティースも後日聴取されるような事があれば口裏を合わせるつもりだ。


 街の有力者の中にはロイクたちの存在が魔物の襲撃を誘発したのではと勘繰る者もいたが、だとしたら昨日の襲撃をロイクが知らないのは不自然だし、彼にそんな腹芸ができるようには思えない。

 この後来るという魔物については不明だが、そんな魔物の話は街の誰も知らない事だった。

 仮にそんな強大な魔物がずっと以前からこの近くにおり、ロイクたちがそれを目覚めさせたのだったとしても、ロイクたちばかりの責任だとは言い切れない。

 ロイクたちが来ようが来るまいが、いつか誰かがやらかしていただろう。


「──では、申し訳ないが私はそろそろ遺跡に戻る。

 あちらにはまだ生き残りの騎士たちがいるはずだし、様子を見て再び遺跡に侵入しなければならないからな。

 今街の南西部に復活している者たちは好きに使ってくれて構わない。伝令をやって、すでに情報は共有してある」


 話し合いが終わるとロイクがそう言い、席を立った。


「なんか、断りづらい空気出しちゃってごめんね」


 ユスティースに恩を感じている、かもしれない彼らなら、ユスティースがこの街に留まって身体を張って街を守ると宣言すれば、見て見ぬふりは出来なかったのかも知れない。


「いや、構わない。

 ……今回の任務は、確かに騎士として大切なことを学ぶ事が出来たと思っているが、その一方で任務そのものは到底騎士として誇れる仕事とは言い難いものだった。国や種族は違えど、こういう部分で人々の役に立てるというのなら我々としても本望だ。

 それに陽動が必要だというのは確かだ。あの魔物が遺跡からこちらに出てくるかどうかはわからないが、もし出てきたとしたらそれを引きつけるために人数が必要だし、それが結果的に街を守ることにつながるというだけだ」


 遺跡とやらから出てこないのであれば杞憂に終わるが、永遠にそのままというわけにはいくまい。

 いずれ、この街は放棄せざるを得ない事になっていたのかもしれない。


「じゃあ、気をつけて」


「そちらも──、なんだ?」


 どこからか、地響きのような音が聞こえるような気がする。


「──この音は……! まずい! 想像以上に早い! まさかもう全滅したのか!」


 ロイクが叫び、北東の方角を睨みつける。

 幸か不幸か、瓦礫の荒野と化した街東部は見晴らしがいい。


 しばらくすると、遠く、うっすらと土煙のようなものが朝日に照らされているのが見える。

 ユスティースは『視覚強化』は持っていないが、隣のアリーナが険しい顔をしている。彼女は確か持っていたはずだ。


「領主どの! 住民の避難は!」


「いや、さすがにまだだ。済んだと報告は来ていない。東側で作業をしていた者たちは全員下がらせてはいるが……」


 土煙と地響きはどんどん大きくなっている。

 なるほど確かに、すごい速さだ。


「とりあえず、私が時間を稼ぎます!」


「私も復活した団員を呼んでくる!」


 ロイクが南西に走っていった。

 彼が部隊を連れて戻るまで、ここはユスティースとアリーナが何とかしなければならない。









 瓦礫とはいえ、街は街だ。

 ここで暴れられては復興に障るかもしれない。

 今回の魔物をなんとかできるかどうかはわからないが、最初からあきらめてかかるべきではない。

 ユスティースとアリーナは街の瓦礫の外に立ち、迫りくる土煙を待ち構えていた。


「……なんかスケール感が狂って見えるけど、まだちょっと距離あるんだよね」


「……まあ、あの速度ならすぐだろうけど、近くではないね」


 今すでに、魔物の姿はだいたい把握できている。

 あれは虎と言うより、虎の模様をした熊だ。

 いや熊の形をした虎なのかもしれない。

 そんな姿の巨大な魔物が、地響きを立ててこちらに迫っている。


「あれ、剣とかなんかで何とか出来るやつなのかな……。サイズ的に超無理じゃない? 伝説とかのドラゴンスレイヤーの人ってどうやって倒したんだろ。要は人間がブルドーザーに立ち向かうようなものよね」


 そう考えると無理な気がしてくる。

 そうこうしているうち、敵もすぐそばまでやってきていた。

 改めて見てみると、すごい大きさだ。

 そしてその頭部には、何やら小さく人の上半身がくっついているように見える。

 もしかしてロイクが言っていた、人の言葉を話すというのはあの部分がそうなのか。


「ぶるどーざー?ってのは聞いたことがないけど、隊長は魔法もあるでしょ。近づくのが危険な相手なら、遠距離から何とかするしかないんじゃない?

 しょうがないから前衛は私がやるよ」


 近づくのが危険、とたった今アリーナが自分で言ったばかりだ。


「アリーナさん!」


「まあ、少ないとはいえ給料分の仕事はしないとね」


 アリーナはそう言って駆けて行ってしまった。


 敵は向かってくるアリーナに気付き、方向をそちらへと変えた。

 人型上半身部分が何かを叫んでいるようにも見えるが、この距離では何を言っているのかまではわからない。


 アリーナが剣を抜き、迫り来る巨獣の前脚を躱しながら、すれ違いざまに斬りつけた。

 巨獣が脚を踏みだした瞬間に斬ったため、あの体勢からではアリーナへの追撃はできない。

 遠くから見ているとよくわかる。やはりアリーナは先輩だけあり、戦い方をよく知っている。もしかしたらあのように大きな相手とも戦ったことがあるのかもしれない。

 しかし残念ながら、アリーナの剣はそれほどダメージを与えられているようには見えない。


「『フレイムアロー』!」


 相手の防御を推し量るのと牽制の意味を込め、ユスティースも魔法を放った。

 狙いはもちろん人間部分だ。

 どう見てもあれが弱点である。

 最初はあれは一部の深海魚のように餌をおびき寄せるための疑似餌か何かかとも思ったが、動いて話しているくらいだしその可能性は低いだろう。


 しかしユスティースの放った『フレイムアロー』は上半身部分の片手に振り払われ、あえなく散らされてしまった。

 本当に散らされてしまったというわけではないだろう。あれはおそらく腕で払うようにガードし、そこに着弾したために消えたように見えただけだ。

 しかしその腕にもダメージが入っているようには見えない。

 着ている軍服のようなデザインの服の袖は焦げているが、それだけだった。


 魔法を受けてヘイトがこちらに向いたのか、ユスティースをしっかりと睨みつけて上半身が叫ぶ。

 この距離までくればさすがに声は聞こえてくる。


「──貴様、そして足元の小バエも! 貴様らヒューマンだな! なぜこんな所にいる!」


 なぜこんな所に、とはこちらが聞きたいセリフである。


「お前こそ、なぜここに現れた! この街に何の用だ! なぜ街を襲う!」


 巨獣の足もとでアリーナが渋い顔をする。

 煽らないで、ヘイト管理がし辛くなっちゃう、とでも言いたいのだろう。気持ちはよくわかる。


 しかし対話が可能ならするべきだ。

 低位の魔法とは言え、ユスティースの攻撃を片手で振り払ってしまうような、そしてアリーナの斬撃を受けても物ともしていないような強大な相手である。普通に戦って勝てる相手ではなさそうだ。

 物理で解決できないならば、交渉で解決する道も模索する必要がある。


「襲う? 何を言っている! 襲ってきているのは貴様たちの方だろう!

 ……そうかわかったぞ、貴様が耳長どもを手引きしたのだな! ヒューマンという事は、オーラルの手の者か! おのれオーラルめ! ポートリーと手を組んで我が国の至宝を奪いに来たか!」


 巨獣は理解不能な事を叫びながら、ユスティースに向かってこようとしている。

 しかしそうしようとするたびに出足をアリーナに斬り付けられ、鬱陶しげに地団駄を踏む。アリーナを踏み潰そうとしているようだが、アリーナは捕まらない。

 有効なダメージこそ与えられていないが足止めとしては十分だ。


 しかしあの巨獣の言い方からすると、どうも彼はこの国、ペアレ王国の関係者であるかのように思える。

 言われてみればヒト型上半身は獣人に似ている。頭部からは特徴的な耳が生えているし、そこだけ切り取ってみれば立派な獣人だ。

 下半身の熊のような虎型四足獣も、まあ獣の範疇に入れられないこともないので、広い意味で獣と人が混ざった種族だということならこれも獣人と言えなくもない。


「ええい! 鬱陶しい!」


 巨獣人はなおもアリーナを踏み潰さんと地団駄を繰り返している。

 その様子はまるで足元のネズミを踏み潰そうとするゾウかなにかのようだ。やはりこれを獣人と言うのは厳しいか。


 アリーナはスピードを活かして危なげなく立ち回っているが、放っておいていいわけではない。


「『ブレイズランス』!」


「ぐう! ええい、貴様も鬱陶しいぞ!」


 先ほどの『フレイムアロー』とは違い、こちらは少しはダメージを与えられたようだ。

 と言っても敵の様子からするとそれほど深刻な物でもない。おそらく自然回復で治癒してしまう程度のダメージでしかない。

 リキャストタイムとユスティースのMP回復速度、そして敵の自然回復量を考えると、魔法で敵のライフを削りきるのは厳しいだろう。

 敵の足捌きはアリーナが妨害してくれているため、遠距離攻撃が避けられる心配はないが、決定打がない。


「ホントに時間稼ぎくらいしかできないなこれ……!」


 ロイクが騎士団の生き残り組──生き返り組か──を連れてきてくれるのを待ち、そこから何人か手配して街の人々の避難を促し、住民たちが避難しきるまでここで持ちこたえる。

 それが現実的なプランだろうか。


「邪魔をするな! この国は私が護るのだ! 貴様らのような侵略者どもから!」


 この言葉も気になるところだ。

 巨獣は先ほどから、自分がまるでペアレ王国の関係者であるかのような発言を繰り返している。

 ユスティースたちはペアレの住民ではないので、確かにこの国からしてみれば異物とも言える。

 別に侵略をしに来ているつもりはないが、武装して国境を超えたのは確かなので、そう見る者がいたとしても不思議ではない。


 しかし、仮に巨獣の言う事に間違いがなく、彼が正しくペアレ王国の人間だったとしても、護るとか言いながらこの体格で街に押し入ろうとするのは筋が通っていない。

 こんな巨体で人の住む街に入ってしまえば、どうなるかくらいわかるはずだ。

 言っていることとやっていることがどうにもチグハグである。


「──待たせた!」


 そこにロイクが戻ってきた。

 後ろに引き連れた騎士たちはかなりの人数だ。

 ということはそれだけの数がリスポーンしたという事でもあり、やはり彼らの鎧は一様にダメージを受けているように見える。

 スキルで『修復』できれば元通りにもできようが、そんな時間は無かったし、街の外に追いやられていた彼らでは街でそうしたサービスを受ける事もできなかったのだろう。

 また遺跡で足止めをしていたはずの騎士たちも全滅しているのなら、いずれその騎士たちもリスポーンしてくるはずだ。


「皆! 先ほどはいいようにやられてしまったが、ここならば広く部隊を展開できる! それに騎士ユスティースも味方についている! 勝機はあるぞ!」


 ちょっと引っかかったのでアリーナの方を見てみると、やはり憮然とした表情をしている。

 私も居るっつうの、とでも言っているかのようだ。というかおそらく言っている。口が動いているのが見えた。


「……あれには勝てないだろうことは戦った私たちはよくわかっている。道すがら、領主には避難するよう進言しておいた。この街から住民がいなくなれば、私たちも撤退できる」


「……気が利くじゃない。わかった。じゃあそれまでは頑張りましょう」


 ユスティースにそう告げ、ロイクたちは陣形を組み巨獣へと突進していった。

 前衛がアリーナのいる方とは逆側から攻撃を仕掛け、アリーナにばかり気を取られていた巨獣はその攻撃をまんまと受ける事になった。

 アリーナの剣でも有効打がないくらいだし騎士たちの剣でもそれは同じなようだが、鬱陶しさは単体のアリーナの比ではない。


「貴様ら! 先ほど蹴散らしてやった耳長の! やはりあの者の言う通りなのか! この街はすでに貴様らの手に落ちているというのか! おのぉぉぉれぇぇぇ!」


 その言葉に、初めてその存在に気付いたとばかりにロイクが上半身を見上げた。


「なんだこいつは……。こいつが言葉を発していたのか! ではこれは魔物ではなく、もしや人なのか!?」


 遺跡とかいう場所に入ったことのないユスティースでは想像するしか出来ないが、ロイクたちが初遭遇した時は建物や木などで巨獣の上部分がよく見えていなかったのだろう。


「副団長! それは今はどうでもいいでしょう! どっちにしても、街を襲ってきてるのは変わりませんよ!」


「そ、そうだな! よし攻撃は効いているぞ! 前衛はいったん退け! 奴の攻撃は重い! 踏ん張るな! 盾ごと持っていかれるぞ!」


 まともで優秀な騎士はロイクだけではないようだ。彼にはいい副官も付いているらしい。

 元は酷いものだったかもしれないが、やはり彼らはこの行軍を通して成長し、騎士団と呼ぶにふさわしい集団になった。

 こうなってくると、なぜよりにもよってあの偏った思想の男を団長に任命したのかわからない。ポートリーの上層部にはよほど見る目がないのだろうか。それともあの男はおべっかだけは上手いのだろうか。


 ポートリー騎士団は一度すでに敗れている経験を活かしてか、突撃と退却を繰り返す独特な戦法を取っている。

 退却する彼らを追わせないためにアリーナやユスティースがちょっかいをかける。

 特に一時的にでも相手の視界を妨害出来るユスティースの役割は重要だ。

 上半身の方の顔をめがけて炎系の魔法を放てば、例えダメージは無くとも一瞬敵の意識を騎士たちから引きはがすことができる。

 下半身の顔でも知覚は出来るらしく、上が完全に両手で顔を覆っている間にも足元は見えているようだが、それで何かをしようというわけでもない。

 虎熊部分から得られる感覚情報を有効的に活用できていないようにも見える。


「……なんか、慣れてない、のかな。あの身体に。もしかして魔物の姿になったばかりとか?

 そういえば、あの上半身ってどうやって服着たんだろ」


 今気にすべきことではないのはわかっているが、気になり始めると止まらない。


 例えば彼が朝起きて、タンスに入っている服を着るとする。

 その場合、まずどうやってタンスから服を出すのか。

 タンスが床に設置してあるとするなら、手が届くのは虎熊部分だけである。しかしあの大きな手でタンスの中から人の服が取り出せるとは思えない。

 そして取り出せたとしても、それを頭上に生えている上半身に渡す必要がある。という事は普通の熊のように立ち上がる事もできるのだろうか。だとしたら今よりもさらに脅威度が増す。

 しかし仮にあの上半身でも取りやすい位置にタンスが設置されているとしたら、そんな苦労をする必要はない。その場合、そのタンスは通常の家屋の2階か3階くらいの位置に設置してある事になるが、どういう間取りの家なのか。住まいは自分で作ったということなのだろうか。

 戦う様子を見る限りでは、そんな器用なようには見えない。

 となると何者かが彼に住まいやタンスを用意したという事になる。しかしさすがにそんなはずはない。

 というか、まずあの魔物然とした彼がまともな服を着ていること自体がおかしなことだと言える。


「『ライトニングストライク』! 『ブレイズランス』!

 ……だとすると、やっぱり彼はもともと人間、というか獣人だったのかな。

 だけど今はあんな姿になってる……ってことは、つい最近服を着たまま魔物に変化したってこと……?」


 それは何を意味しているのだろう。


 しかし、情報が足りない。

 ここでこれ以上考えてもわかりようがないことだ。

 この件は心の中でライリエネに報告するリストに加えておき、今は巨獣の足止めに専念する。


「『フレイム──」


「いい加減にしろ羽虫ども!」


 ユスティースが次なる妨害をしようと魔法を放つ直前、巨獣は大きく両の前脚を振り上げると、それを地面に叩きつけた。

 大地は凄まじい音を立て、立っていられないほど足元が揺れる。


 ──とてつもなく悪い予感がする!


 別のゲームでこんな状況を見たことがある。


 そしてその場にいる全ての騎士が揺れに足を取られている隙に、巨獣人の下の顔、虎熊が大きく口を開け、咆哮を上げた。





「────────!」





 果たしてどういう声だったのか、ユスティースには聞き取る事が出来なかった。


 それは、声というよりもはや衝撃だった。


《抵抗に失敗しました》


 システムメッセージの無感情な声が聞こえたが、そんなことは言われるまでもなく分かっている。

 音速で飛来する不可視の衝撃波に全身を叩かれ、意識が飛んだ。

 視界は黒く塗りつぶされ、耳も鼻も何もかも、すべての情報が遮断されている。


 時間にして、おそらく数秒から十数秒といったところだろうか。

 しかしそれだけあれば巨獣にとっては十分であった。


 ユスティースが意識を取り戻した時、巨獣の周りには惨状が広がっていた。

 ロイクたちはその半数以上が地面に倒れ、どの騎士もひどい有様である。とても生きているようには見えない者も多い。

 当のロイクや、アリーナの姿はない。

 彼らはもっとも巨獣から近い位置にいた。おそらく巨獣の足元の、なんだかよくわからない何かの塊、そのどれかが彼らの残骸なのだろう。


「うぶっ……」


 残酷な表現フィルタをオンにしておけばよかった。

 雰囲気を損なうなどの理由から評判が非常に悪いため、ほとんど使っているプレイヤーはいないとの話だが、このゲームにも一応法令上の都合で設定だけは準備されている。

 1時間後にはリスポーンすることが分かっていても、仲のよい相手の悲惨な姿を見るのはきつい。


 恐怖か自失かわからないが、とにかく状態異常から立ち直りつつある騎士団も浮足立っている。

 無理もない。

 ロイクももう居ないし、人も減り過ぎている。もう指揮権の委譲どうこうの話ではないだろう。


「──みっ、みんな! いったんこっちに集まって! バラバラに動いても各個撃破されるだけよ!」


 とりあえず、何でもいいから指示を与えなければならない。

 そう考えてユスティースは叫んだ。

 それが聞こえた騎士たちはぱらぱらと、ユスティースの元に集まってくる。

 比較的巨獣に近い位置にいる騎士たちは全く反応しないが、あれはもう耳が機能していないのだろう。咆哮によって鼓膜が部位破壊判定を受けているのだ。声が届かないのでは、ユスティースがしてやれることはない。


 と言っても、集まった彼らもユスティースが指揮できるというわけではない。

 普通の一般人であるユスティースはそんな勉強などしたことがないし、今も一応特務部隊の隊長という事になってはいるが、特務部隊は単体の特化戦力を集めただけの部隊であるため、そういう教育を受けた事はない。ユスティースやアリーナがロイクたちに比べて非常に強いのはそうした理由もある。


 ポートリーの騎士団はまだ着任して日も浅く、経験もほとんどない。このような事態に遭ったことなどないだろうし、指揮権を持つ騎士がすべて死亡してしまったら、どうしていいかもわからないだろう。

 そうして右往左往していては巨獣に殺されるだけだし、たとえ素人の采配だとしても、何もせずにやられてしまうよりはマシなはずだ。


「と、とにかく! 私たちがやるべき事は変わらない! 避難が完了するまで時間稼ぎをするだけよ! 1時間もたせられれば、今しっ、居なくなった人たちも帰ってくる!」


「お、おお……!」


 彼らも恐怖と不安でたまらないはずだ。

 しかし、所属国さえ違うユスティースの指示によく従ってくれる。


「ここが踏ん張りどころよ!」


「おお!」


 と言っても、気合いだけではどうにもならない。

 巨獣はこちらの数を減らせた事が満足なのか、先ほどよりも少し落ち着いてしまっている。

 ああした手合いは頭に血が上っていた方が御しやすいのだが、これはよくない傾向だ。

 もっとも、いわゆる「怒り状態」だと攻撃力が上がるというケースもあるため、一概にどちらがいいとも言えないが。





 改めて戦慄するユスティースの耳に、男の声が聞こえた。


「──やっと追いついたぜ、虎狸め。足速すぎんだろ」


「狸ではなく、熊だろう。熊は意外と足が速いと聞く。

 鵜黒たちがいなかったらもっと時間がかかっていたな」









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