第259話「前が見えない」





「なんだこ──ああ、目隠しか」


 久しぶりに借りたマーレの身体はレアの動きによく馴染んだ。1人で行動させている間もレアの動きに近い動作をしていたようだ。肉体系のパッシブスキルの構成がレアのものと似ているためかもしれない。

 ただ視界だけが不自由なのがやりづらいが、こればかりは仕方がない。


 敵は魔物と言えどプレイヤーの群れである。ヒルス王都で矢を射た誰かのように『真眼』のようなスキルを持った者がいないとも限らないし、姿を隠してレア本体が様子を見るのは少しリスクが高い。


「でも『真眼』だけだと見にくいな。マーレはよくやってるね……」


「そのためにわたくしどもがおりますので。何なりとお申し付けください」


 ウェルス聖教会の大聖堂に用意させてあるマーレの部屋には、聖教会の女司祭たちが常に控えている。普段の身の回りの世話などは彼女たちにさせているらしい。

 本来聖女のためと言えど、身の回りの世話をするなど司祭の仕事ではないが、あまり低階級の者の仕事にしてしまうと希望者が殺到して倍率が高くなり、結果的に聖教会の手間が増えてしまうらしい。

 それに何があるかわからないし、聖教会中枢部に近づく者はすべて眷属で固めておきたいという事情もある。希望する下女をすべて使役するのも迂遠だし、それなら最初から眷属である司祭を使えばいいという事のようだ。


「では、さっそくで悪いのだけど、マーレは普段どういう風に話しているのか教えてくれないか。まず間違いなく普段のわたしの話しぶりじゃ不審に思われてしまうからね」









 ほどなくして王都に魔物たちの襲撃の報が入った。

 予定通りだ。

 ウェルス王国はグロースムント奪還のためには兵を立てず、王都や周辺都市は防衛に主眼を置いて対応したということだ。

 天使襲撃の疲労も抜けきらない現状では、いかに奪還と言えど侵攻作戦はにわかには立てづらいのだろう。

 魔物に制圧されたとなれば都市内部の生存者は絶望的だし、救出する国民も居ないのならあの街には流通上の地理的な価値以外は存在しない。


「あれが魔物プ、魔物たちの群れですか」


 女司祭たちに案内してもらいながら城壁の上に昇り、眼下に広がる戦闘の様子を眺める。

 と言っても見えるのはLPの光が多数蠢いている様子だけだ。生命力は空気中には存在しないため、障害物などのオブジェクトは視認する事が出来ない。

 またキャラクターとそれ以外の境界線もはっきりと見ることはできず、全体的に人の形にぼんやり光る何かにしか見えない。イメージとしては精度の低いサーモグラフィのようなものだ。

 魔物プレイヤーたちもゴブリン系やスケルトン系ばかりのため、すべてヒト型をしている。距離があることもあって、ヒューマンである街の騎士と区別がつかない。たまに尻尾のようなものがある者がいるが、おそらくあれがコボルトだろう。


 魔物プレイヤーと思われる集団の背後に控えているのは彼らの眷属モンスターだ。

 バンブの話では、経験値取得に関して公平を期すために、眷属モンスターはあまり直接戦闘には参加させない予定だとの事だった。戦況によってはそんな事も言っていられなくなるだろうし、そもそも眷属も含めてのプレイヤーの力であり、それはそれで不公平なのではと思わないでもないが、本人たちが納得しているのなら別にいいだろう。


「この様子では、魔物たちは城壁を破壊するほどの力は持っていないようです。でしたら外の戦闘は騎士団にお任せして、何らかの手段で城壁をすり抜けてくるかもしれない魔物を警戒した方がいいかもしれません。

 聖教会としては街なかの警備と、傷付き後退した騎士様の治療を優先して行動することとしましょう。総主教様にそうお伝えしてください」


 さりげなく、聖教会の戦力は直接戦闘には参加させないよう指示を出す。

 レアの目的はウェルス王都にプレッシャーをかけることであり、王都を守ることではない。

 総主教にもすでにあらましは伝えてあるが、城壁の上にはレアとは無関係なNPCも存在するため、側付きの司祭のひとりを使いに出した。


「騎士団としましては、背後の、街の事を考えずに戦えるというだけでも得がたい支援となります。感謝します、聖女様」


「頭を上げてください、騎士様。街を思う気持ちは同じです。共に乗り越えていきましょう」


 レアたち聖教会のメンバーを城壁の上まで案内してくれた騎士の言葉にそう返した。

 マーレのふりは思っていたより簡単だ。

 そう機会が多いわけではないが、レアも次期家元として人前に出ることもある。丁寧な口調で話すだけなら慣れているし、聖なる心を持った女性であれば言いそうかなと思えるセリフを適当に並べているだけだ。

 特に不審には思われていないようだし、聖なる心を持っているわけではないのはマーレも同じはずなので、マーレもいつも適当に会話しているのだろう。


「……騎士様たちの被害が大きくなっていますね。あの魔物たちは通常の魔物よりも格段に強いようです。治療を急がせましょう」


 騎士たちへの増援や、後方支援の事もあり、城門は開け放ったままだ。

 王都に滞在している人類側のプレイヤーたちも、一部はそこから外へと繰り出し戦闘に参加している。

 あそこから侵入されれば少なくない被害を出してしまう事になるが、現状では魔物たちとしても侵入したところで退路が確保できない。

 それがわかっている魔物プレイヤーたちは城門に向かおうとはせず、そこから出てくる騎士や兵士たち、そして人類プレイヤーをキルすることを優先して行動しているようだ。

 目の前の戦闘だけを優先するかのようなその行動が、却って闘争本能に支配された戦闘狂のモンスターらしさを出しており、レアから見ても興奮した普通の魔物と区別がつかないほどだった。もっともレアに見えているのは光る人影だけであり、たぶんそうかな、という程度でしかないが。


 ただ彼らが通常の魔物NPCよりも強いことだけは確かだ。それは見えているLPの光の色や強さからも判る。

 真の意味で死亡しないことや、イベントの情報などを利用して効率的に経験値を稼ぎ、NPCの野生の魔物よりも遙かに強く成長することができたためだろう。

 バンブから聞いたところでは、ゲームスタート時は非常に難易度が高く、死なないだけでも大したものらしいが、そこさえ乗り越えてしまえばこのように強くなれるということだ。

 またその時苦労した経験も少なからず彼らの糧になっているに違いない。

 レアが持っていない物でもある。


 見えている範囲では、少なくとも王都を守る騎士団よりはやはり魔物プレイヤーの彼らの方が格段に強い。それは人類プレイヤーと比べても同じだ。

 大天使討伐戦の顛末を考えれば、現状では人類側のトップ層よりも魔物側のトップ層の方が単体の戦闘力が高いのは間違いない。

 聖女が現れ街の安全性が増した事で、人類側トップクラスのプレイヤーたちはウェルス王都からは移動しているような書き込みも見かけたし、ここにはそれほど強いプレイヤーはいないという事もある。

 そもそもどこの国でも比較的安全である王都では経験値を稼ぐのは難しく、戦闘系の上位のプレイヤーは少ない傾向にある。例外はダンジョン化したヒルス王都くらいだ。


 後先考えなければ、MPCの彼らが城壁を越えて街を蹂躙する事も可能だろう。現状迎撃に出ている騎士や兵士、人類プレイヤーは彼らの敵ではない。

 ネックになるとすれば、王家を護る近衛騎士団だ。

 王都の騎士団を構成するほとんどの騎士は、王都に在住の法衣貴族の眷属たちであり、彼らは数こそ多いが、経験値を得るチャンスが少ないためか、地方の騎士より少し弱い印象を受ける。もちろん中には例外もいるが。

 しかし近衛騎士団となれば話は別だ。すべてが例外級の力を持っていてもおかしくない。

 これはライラの支配するオーラル王家の様子を見ての話だが、同じヒューマンであるしウェルスもそれほど大きな違いはないだろう。


 そこまで詳しくバンブに説明はしていないが、NPCの人類を甘く見ない方がいい旨は伝えてある。

 MPCのメンバーたちが積極的に街攻めをしようとしないところを見るに、クラン内でのバンブの発言力は相当に大きいらしい。

 自由気ままなプレイヤーなら、血の気の多い何人かは忠告や作戦を無視して突撃を仕掛けてきてもおかしくないところだ。

 あるいは魔物プレイヤーたちは、そうした行動が即死亡につながることを身をもって知っているからなのかもしれない。


「……騎士や兵士たちを殺すだけか。奴ら、一体何が目的なんだ……!」


「一般兵士は、死んじまったらそれまでだ……。ちくしょう、魔物どもめ……!」


 騎士や兵士たちの怨嗟の声がレアの耳にも聞こえてくる。

 少し遠くにいる者たちの話声のようだが、マーレは『聴覚強化』も取得している。


「──皆さん。今は耐えましょう。もしかしたら敵は、街なかの警備が薄くなるのを狙っているのかも知れません。辛いでしょうが、抗うすべを持たない住民の方々の安全が第一です。わたくしたちは、わたくしたちのなすべき事をしましょう」


 マーレの声に、今にも魔物に飛びかからんと、城壁から身を乗り出していた兵士たちも、覚悟を決めて持ち場に戻ったようだ。もっともレアには彼らの表情などは全く見えないため、そうだったらいいなという程度のことでしかないが。


 しかし、なすべき事をしましょうと言いながら、自分は安全な城壁の上で文字通り高みの見物をしている聖女というのはどうなのか。

 ただここに来るまでに会った騎士たちの反応から考えると、聖女に対する好感度は非常に高いようだし、普段はマーレがうまくやっているのだろう。

 天使や謎の巨人による襲撃ではマーレは最前線で戦っていた。今回くらいはサボっていても問題あるまい。





 戦況は全体的にバンブの描いた図の通りに推移している。

 このまま適当に戦い、適当に切り上げて退却すれば作戦は成功だ。

 いや、レアやバンブの目的からすれば現時点ですでに成功していると言ってもいい。

 MPCの彼らも経験値を稼いだだろうし、王国にプレッシャーをかける事も出来ただろう。


「──うん? あれは……」


 すると不意に、街の大通りが騒がしくなった。

 大通りには不安げな、しかし好奇心を隠せない住民たちが落ち着きなさげにうろうろと出てきていたのだが、彼らは一様に家や路地に引っ込んでいく。

 その無人となった大通りを、城門に向かい行進する一団があった。

 城壁外で戦う騎士たちに比べてもLPがずいぶん多く見える。NPCにしてはかなり強いキャラクターたちだ。


「──あれは、もしや近衛騎士団……? それも、先頭は王族の……」


「おお! あれは第2王子のフェルディナン殿下!」


「まさか殿下自らご出陣とは……!」


 行進していたのはウェルスの第2王子だった。

 最近はどうも第2王子に縁があるようだ。


「……聖女様。あれは第2王子フェルディナン率いる近衛騎士団です。王位継承権が2位である彼は、王子としての政務は兄王子に任せ、自身は近衛の隊長をしています」

 

 かたわらの女司祭がそう説明してくれる。

 そうは言ってもれっきとした王族であるし、普通に考えてほいほい現場に出てくるなどありえない。

 これはおそらく、先の天使襲撃において聖教会の人気が想定以上に高まってしまったために、危機感を覚えた王国上層部が「王族自ら兵を率いて防衛に当たった」と印象付けるために指示しているのだろう。


 種族によって階級が厳密に定められているヒューマンの国家においては下克上や革命というのはあり得ない。貴族や王族となれば基本的に下々の者たちによってその地位を脅かされることはない。

 さらに人類間の戦争がなかったこと、魔物の存在により国家間の移動には危険が伴うことから、亡命や移住という発想もなかった。

 つまり為政者はこれまで、住民からの人気というのはあまり考える必要がなかったと言える。

 そんな中、例外的に革命が起きる可能性もゼロではないことがオーラル王国によって示されてしまった。

 その例外とは同じ貴族、同じ王族による謀反だ。

 これまで長らくは長子相続が最も正しく、合理的だとされてきたが、武力によって謀反を起こし、自分以外の継承者をすべて始末してしまえば順番など関係なくなる。

 本来であれば、長子相続の根拠にもなっている経験値システムの存在により、年齢が若い者が年嵩の相手を倒すのは難しい。

 しかしそれも、いかに優秀な協力者を得られるかによって変わってくる。

 そしてこの協力者というのは、民衆からの人気によって左右される可能性がある。


 第1王子の大事な予備でもある第2王子を投入したのも、未だ街に被害が出ていないからだ。

 普通に考えれば、侵攻作戦の目的は拠点の破壊か制圧であり、街に被害を出さずにこれを達成するのは無理がある。

 それがないということは、魔物たちの統率がうまくとれていないと考えることができ、つまり攻めてきているのは烏合の衆であると言える。

 ならばそれほど危険な事はない。安全に王子を活躍させ王族の人気を高める場としてはふさわしい。

 この露骨な人気取り政策ともとれる第2王子の出陣の背景はそんなところだろう。


 しかしこれはまずい。LPから考えても、あの数の近衛騎士団が相手ではMPCと言えども分が悪い。バンブが少し本気を出せば蹴散らすのも容易だが、彼はそんなことはしないだろう。

 その前に、この事態に気づいているかもわからない。


 フレンドチャットで伝えようとしたが、フレンドリストを開くことができなかった。

 これはマーレの身体であるためだ。おそらくインベントリと同じ仕様で、本人にしか使えない機能なのだろう。

 仮に出来たとしてもマーレとバンブがフレンド登録しているわけではない。どのみち連絡は出来ない。


 バンブに伝えるには一旦本体に戻り、連絡だけしてまたマーレに戻るしかない。

 しかしふと、そこまでする必要があるのか考えた。

 MPCのプレイヤーたちはもう十分に経験値は稼げたはずだ。

 王族までも引っ張り出したのなら、王国に対するプレッシャーも十分と言える。控え目に言ってもすでに作戦は大成功だ。

 バンブのことだし、レアが何か言うまでもなく、旗色が悪いと見れば即座に撤退を指示するだろう。彼らは全員プレイヤーであるため、大将であるバンブから最前線の兵士まで連絡が伝わるのは一瞬だ。

 眷属をしんがりにつけ、盾にして退却すれば被害も最小限に抑えられるはずである。

 仮に逃げ遅れてキルされてしまったとしても、収支としてはプラスめなのではないだろうか。


 王都襲撃に関して、レアがバンブにしてやれる支援と言えば、聖教会の構成員を戦闘に直接参加させないようにする事くらいだ。

 さすがに王族や王族直属の近衛騎士団に対して聖教会が出来ることはないし、精一杯努力はしたと言える状況である。

 街にまだ被害が出ていない状況でいきなり王族がしゃしゃり出て来たのは想定外だったが、出てきてしまったものは仕方ない。


 それにうまくいっているうちはいいが、人の真の強さは窮地の時にこそあらわになるものだ。

 この劣勢を利用して、バンブの統率力やMPCのメンバーたちの本質を見極めるのもいい機会かもしれない。


 レアは静観する事にした。





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