第251話「わるだくみ」
山には普段、ほとんど人は立ち入らないらしい。
けもの道のようなものこそあるものの、人が安定して歩けそうな道はまったくない。
「うわまた引っかかった! なんだよもー!」
山道を歩くのに慣れていないらしいブランが、たびたび枝や茂みにローブを引っかけている。
もっともレアやライラとて別にそこまで慣れているというわけでもないし、そもそもひらひらしたローブにフードを被るという格好自体、山をなめている。
単にレアとライラの着ている装備はランクが高いため、木の枝を引っ掛けたところで行動の阻害ができず、あちらが勝手に折れてしまうだけだ。
そして汚れない効果のおかげで引っ掛かった枝はすぐに落ちる。
「ブランにもちゃんとした服を作ってあげるべきかな。でもそうすると『変身』の時にいちいち脱がないといけなくなるんだよね」
「うーん……。ホントどうしようかな……。高いお洋服は欲しいっちゃ欲しいけど、『変身』できないのは……」
「ていうか、服はともかく、ローブは別に『変身』したところで破れてしまうほど小さくはないし、別に影響ないんじゃないかな。かなりゆとりあるでしょそれ。前回『変身』したときはどうだったの?」
「前回はねえ、ばさぁ!ってローブを脱ぎ捨ててから──」
「じゃあもう『変身』関係ないじゃないか。後でローブだけ作らせておくね。お代はミスリルでいいよ」
今の色もそうだが、ブランは吸血鬼なので赤が似合う。
ライラのアダマス顔料というほどのものでもないが、何かしら赤い染料を用意しておくのがいいだろう。現実で言えばケルメスやコチニールのような虫からとれる染料が一般的だが、残念ながらどちらも見つけていない。
ゲーム内で見た赤い顔料として真っ先にレアが思いついたのは賢者の石の材料のひとつでもある辰砂だ。
あれなら鮮やかな赤色を出すことができるし、ブランのイメージにも近い。
布製品の染色に使用できるかわからないが、アダマスから作った顔料で出来るくらいなのだからスキルか何かで可能なはずだ。あとでレミーに研究させておくことにする。
「ていうかさ、ミスリルって言ったって、別に市場に全くないわけじゃないんだし、今のレアちゃんの財力だったらその気になればいくらでも買えるでしょ」
「そうかもしれないけど、別にミスリル買うためにお金貯めてるわけじゃないし」
金は力だ。
そして力には効果的に使うべき場所とタイミングというものがある。
ミスリルを買いあさるというのがそれにあたるのかどうかは慎重に考える必要がある。
それに友人から巻き上、融通してもらえそうならそのほうがいい。
「ぎゃー! ちょっと裂けた!」
「もうそれ脱いだら? たぶん誰も見てないよ」
慣れない山道と言っても、現在の3人の能力値ならば適当に歩いてもそれなりの速度で踏破できる。
もちろんブランのローブなど犠牲にした物も多いが、些細な問題だ。
「漠然と、山にいる、みたいな情報だけで登ってきたけど、具体的にそれってどこのことなのかな」
歩けども歩けども、視界に入るのはただの山道である。レアはついそうこぼした。
時折イノシシに似た獣は見かけるが、たぶんただの野生動物だろう。LPは低すぎるし、MPなどほとんどない。
ある程度の強さを持った、魔物のような存在すら見つけることが出来ない。
「その前に情報というよりも、ただの噂だけどね」
ライラがそう訂正した。
確かに今、わかっていることと言えば、そういう伝承があるとSNSに──おそらく先ほどいたプレイヤーによって──書き込まれた事。そして山のふもとにある村の住民たちがドラゴンを信仰しているらしい事。
それだけだ。
「……でもドラゴンどころか、大型生物が生息している形跡もないな」
どれだけ目立たないよう気をつけて、隠れ住んでいたとしても、ドラゴンのような大型の魔物が住んでいるのなら、必ずその痕跡は残っているはずだ。
しかしこの周辺にはそうしたものは一切見当たらない。
完全にただの山、それも現実の田舎にあるような普通の山である。
「そういえば話変わるけどさ、あの村っていわゆる辺境の村だよね? この山って魔物も居ないから魔物の領域ってわけじゃなさそうだし、そしたら辺境っていうより、もうただの村だよねあれ」
ブランの言葉にレアとライラは足を止めた。
確かにそうだ。
この山に魔物が居ないのならあれはただの村である。
辺境の村、というのはどこで聞いたのだったか。
確か、あのプレイヤーと話した時だ。あのプレイヤーは「こんな辺境の村まで」と言っていた。
あれが一般的な、いわゆる辺鄙な場所にある村という意味で言ったのであれば問題ない。
しかしこのゲーム特有の、開拓村という側面を持つ、国や自治体から何らかの補助を受けている集落という意味で辺境の村と言っていたのだとしたら。
にもかかわらず、この山が本当に魔物のいないただの山だとしたら。
「──そういうことか。ドラゴンというのはたぶん、建前だ。実際には存在しないんだ」
「どういうこと?」
ブランの疑問に答える。
ライラも同じ結論に至っているようだ。目が合った。
「たぶん、こういうことだよ。
村人たちは、あの村を辺境の危険な村として認識させておきたいんだ。だからこの山は魔物の領域である必要があった。でも実際には魔物なんていない。そこで山から魔物が現れない理由として用意したのがドラゴンの伝承なんだ」
レアの言葉をライラが補足する。
「そうして、傍から見たら魔物の領域に隣接している危険な辺境の村が出来上がるというわけだね。しかもその領域のボスはドラゴンだという。ドラゴンと言えば、強力な魔物という印象がある。それはこの世界で暮らすNPCにとっても同じだと思う。少なくともこの大陸では、今のところ弱いドラゴンは見つかっていないからね。まあ強いドラゴンも私は野生では見たことないけど。
ともかく、ここはそういったドラゴンが支配する山というわけだ。しかし幸いなことにそのドラゴンは非常に理知的で、むやみに山の外に配下の魔物を出すというような事はない」
「もちろんそれはさっき言ったように建前だ。ドラゴンも魔物も本当はいないのだから、山の外に出てこないのは当たり前だ」
「はえー。でも何でそんなことするの?」
「普通に考えれば、国や自治体からの援助が目的かな。平和な村とは言え、完全自給自足でやっていくとなれば生活に余裕もなくなる。たとえば何かの災害に見舞われたりして、作物の収穫量が激減してしまったりした時なんかは、ギリギリの自給自足だったとしたらすぐに破綻してしまう。援助でなくとも、税金が軽減されているってだけでもかなり大きいと思うよ。
それにたとえばうちのオーラルなんかだと、こういう魔物の領域と隣接した街や村なんかには、城壁とまでは言わないまでも魔物避けの柵を用意する為の支援金とかは出してるし、騎士団による見回りも定期的にしてる。
この村を見る限りだと柵とかもないから、ペアレにおいては辺境であっても柵すらないのが普通なのかも。そうでなかったら見た瞬間に嘘がバレちゃうからね。柵や壁がない分も含めて、国は金銭とか物資で援助してるのかもね」
「でもさ、定期的に見回りの騎士?とかが来たらバレちゃうんじゃない? 1回2回とかならごまかせたとしてもさ」
確かにブランの言う通り、他の国だったらそうなっていただろう。
しかしペアレには他国とは違う、ある特色がある。
「騎士というのは基本的に国や領主の眷属の戦士の事だよね。つまり制度として『使役』の存在を前提としている。
ところがペアレ王国は『使役』を持つキャラクターが王家か、その分家くらいしかいない。だからこの国には他の国みたいな騎士団というものが王族の近衛しかいないんだ。
他の全ての兵士は職業として兵士を選んだ普通の国民に過ぎないから、眷属みたいな、主君に対する絶対的な忠誠心はない。彼らの心を縛るには、高い給料や手当を支払うしかない。別に眷属の給料は安くてもいいという意味ではないけど。
そうなるとたぶん、他国と比べて辺境への派兵には多くのお金がかかるんじゃないかな。だから他国のように辺境に対してあまり軍事的な援助を行なう事が出来ない。するとしても頻度は格段に低いはずだし、何より見回りに来たのが兵士だけなら、騎士と違って金で転ぶし村にとってはやりやすい」
「職業倫理が崩壊している!」
「本当に倫理的な行動が必要な局面なら偉い人たちは自分の眷属を使うだろうから、職業倫理っていう概念自体がこの世界には無いんじゃないかな。眷属が少ないペアレにはそのしわ寄せが来てる感じ。
だからもしもこの先この世界で職業倫理って言葉が生まれるとしたら、それはこの国からになるのかもしれないね」
この世界の働き方改革についてなどどうでも良い。
今重要なのはあの村の事だ。
「そう考えれば、あの村人たちの過剰な反応も頷ける。あれはつまり、本当にドラゴンに害をなす存在を許せないのではなく──」
「そう、村が隠しているドラゴンの真実に近づく者を排除するのが目的だ」
山に分け入り、ドラゴンなど本当はいない事が調べられてしまったら、そして魔物も存在しない事が明るみに出てしまったら、あの村は援助を受けることができなくなる。
それだけならばまだいいが、これまで長い間、国を騙して不当に援助を受けていた事が簡単に許されるとは思えない。
追徴金や賠償くらいなら安いものだが、どこで見たのだったか、なめられるのが嫌いという獣人の種族的な性質からすると、おそらくタダでは済まされまい。
「あの村の様子から言って、ずいぶん前、それこそ何百年単位で行われてきた詐欺なんだろうね。発覚したら村人は全員縛り首とかかな」
「そーなると、やっぱり昔のNPCって偏差値高いよね。みんなINT高かったのかな?」
昔となると精霊王が思い浮かぶ。
裏切られて滅んだということは部下や住民たちの全てを『使役』していたというわけではないのだろうが、もしかしたら『使役』していなくとも、自分の国の民であれば全体的に能力を上げるような何かを持っていたのかも知れない。
なんでもかんでも精霊王のせいにしてしまうのもどうかと思うが、今のところ面倒事はだいたい彼の仕業で間違ってない。
たぶん、この大陸においてあらゆるイベントの起点になるよう用意されているキャラクターなのだろう。すでに亡くなってはいるが、最重要NPCということだ。そしてすでに亡くなっているからこそ、もうどうすることも出来ない。
「いずれにしても、この様子ではドラゴンなんていそうにないな」
そうであるなら、先ほどライラが村人たちに植え付けた毒は残念ながら何の効果も無かっただろう。ただライラに、というかレアたち謎のローブ集団に対する恐怖心を植え付けただけになってしまった。それはそれで構わないのだが。
「一応探しはしてみよう。もう情緒も雰囲気も吹き飛んじゃったから、適当に空からでも見て回ろう。それでもし、本当に何もいないようなら──」
ライラが邪悪に嗤う。
自分と似た顔立ちだというのにここまで邪悪に嗤う事が出来るのかと驚く。
「──せっかくドラゴンを信仰しているようだし、ここはひとつ、本当にドラゴンを用意してあげようじゃないか。それとついでにこの山を念願の魔物の領域にしてあげよう。そうすれば村人たちは国に罰せられることもなくなるよね。誰も損をしないし、みんなハッピーになれる」
「おお、そういう顔するとホントに姉妹だなって感じしますね」
「……」
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